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【クリエイティブ分科会】地域創造に向けたクリエイティブ人材・産業の集積を目指して

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 急速にデジタル化が加速した昨今、オンラインを活用した働き方が定着し、エンターテイメントの分野でもサブスク形式の音楽や動画配信サービスが充実するなど、技術革新や利便性に大きな変化がありました。

 クリエイティブ分科会では、映画監督の飯塚花笑さん、株式会社ネイキッド・プロデューサーの久保哲矢さん、作曲家・音楽プロデューサーの多胡邦夫さんといった群馬にゆかりのあるクリエイターの方々にご登壇いただき、中之条ビエンナーレ総合ディレクターの山重徹夫さんの司会進行で、「地域創造に向けたクリエイティブ人材・産業の集積を目指して」をテーマに、それぞれご自身の活動を通した視点から意見交換が行われました。

コロナ禍がクリエイティブにもたらした変化

山重:いかにしてクリエイティブ拠点を群馬に作るかということが今回のテーマなのですが、昔はズーム会議がなかなかできなかったり、顔を合わせて話そうよという習慣があったと思いますが、コロナ以降、かなりやりやすくなってクリエイティブが促進された印象があります。そこで皆さんにお聞きしたいのですが、最初に飯塚さん、地方で映画を作るということがこのコロナでどう変わってきましたか。

飯塚:映画の分野で言うと、リモートでどうやって映画を作るのかイメージしづらいと思いますが、打ち合わせは全部リモートになりましたね。大きな現場では100人、200人が関わってきます。そこでコロナウイルスの感染者が出ましたというのが日常的にある中で、どうやって映画を作っていくかというのはこの1、2年で試行錯誤してきたんですね。

 僕は群馬にいて、打ち合わせがある度に東京に行っていたのが、リモートでもできるという判断が増えて、例えば衣装合わせは役者さんの都合でスケジュールが取れないからリモートでやっちゃおう。とか、柔軟に広がっていきました。ある意味チャンスだと思いますね。群馬に居ながらでも映画を作りやすくなっている面はすごく変化を感じています。

 「世界は僕らに気づかない」という作品は、まさにコロナ禍真っ最中で第3波、4波のタイミングで撮影を行っていたのですが、僕らが取った作戦としては東京を抜いた状態で映画を作りました。群馬の中で能力を持っている人材が意外といるんですよ。もともと東京でスタイリストをやっていて、今は中之条で移住コーディネーターをやっている方とか、今回の映画をきっかけにそういった技術を持った人たちを集めて、そのメンバーで挑戦したところ、普通に映画が作れたという発見がありました。東京でプロとして現役でやっている方々と遜色ない仕事ができたことは、ある意味今回の実験の成果かなと思っています。

山重: コロナ禍がプラスになって、地方で映画作りができると証明されたわけですね。久保さん、インタラクティブアートであったり、いろいろなブランディングをされていると思いますが、コロナ禍で変わってきたことがあればお願いします。

久保:少し違う視点で言いますと、選択肢が増えたことが一番大きいと思っています。我々が今京都でやっているアートプロジェクトは、文化発信と観光促進なんですね。そのおおもとは、2017年から市長とお話しして、ユニークベニュー(特別な場所)の活用だと。例えば、修復保全にお金をかけるんじゃなくて、もう少し新しいものとして届けていく。そうするとインバウンドが見込めて観光が促進され、結果的に修繕保全費を賄える。そういう正の転換に回していきたい。そういうプロジェクトの中で我々の取り組みはスタートしています。

 ユニークベニューの活用や観光促進、文化発信というのは、リアルに来てもらわないとできなかったものが、オンラインやメタバースによって、リアルではできない体験ができるかも知れない。メタバースやweb3的な観点で、ビジネスが回っているかというと、まだそうではないけれど、何かしらのきっかけがここ数年で見えたと思っています。

 神社仏閣をバーチャルに利用するのは良くないことのように思われる方もいるかもしれませんが、これは考え方、価値観が今まさに変わりつつある節目なのかなと思います。バーチャル上も人の生活をより豊かにできる可能性があるという前提で、そこにトライしていく方々とリアル&バーチャルをクロスオーバーさせて、観光促進するという話になっているので、結果的にコロナ禍でそういったことも増えたと言えます。リアルでできること、バーチャルでできることをしっかり区別しながらクリエイトしていける、その可能性が広がったんじゃないかな。

山重: 続きまして多胡さん、昔はデビューするのにデモテープを作って、という時代から活動されているかと思いますが、今はYouTubeでフォロワー数が増えていきなりデビューという話がたくさんあると思います。特にコロナを経て変わったことはありますか。

多胡:実はコロナで影響を受けたのはライブエンターテイメント事業くらいで、もの作りやレコーディングに関しては、それこそ僕が作曲家になった当時は1曲出来るたびにCDやMDを自分で事務所まで届けていたんですよ。その後インターネットが発達して曲をデータで送れるようになってからは、レコーディングもドラムだけこのスタジオで撮ってその音源を違うスタジオに送って、ギタリストの自宅にあるスタジオでギターを入れてというふうに、コロナの前から分散してレコーディングしていくという文化が増えてきたんですね。やはり音楽とデジタルの相性の良さといういい面が出ているんだと思います。

 TAGO STUDIOにとって一番面白かった現象としては、LUNA SEAというバンドがブラスバンドの演奏を入れたいという相談を受けて、東京でベースのレコーディングを行って、そのデータをTAGO STUDIOに送っていただいて、地元の農大二高ブラスバンド部の演奏をレコーディングして合わせて、それをロンドンに送って、そこでU2をプロデュースした著名なエンジニアがマスタリングして、ロンドン、東京、群馬の三つの地域で一つの作品を作るということが2年前にありました。コロナ以前からそういうデジタルで恩恵を受けているものを活用して、音楽の制作の世界では全く影響を受けていないですね。

山重: かなり早い段階で進んでいたということですね。

多胡: そうですね、今は宅録という自宅で録音するという文化があって、特に若手の中ではパソコンで作って、ちょっと歌えるスペースが6畳一間くらいあれば、音楽をどんどん世に配信して、それこそYouTubeで。僕のころは自分でレコーディングしてCDを作ることさえできなかった時代だったので。それが今はスマホで自分でアコースティックギターで歌って、それを自分の部屋から世界に発信できるというのは、うらやましい時代ですね。

山重: 一晩でスーパースターが生まれる話もありますからね。

多胡: 僕らの時代は、例えばいろいろなレコード会社にデモテープを送るじゃないですか。そこの新人開発部の人がCDを聞くわけですよね。その担当者のセンスが新しい才能を見抜けなければ、一生世に出られないんですよ。僕も何年も苦労して、僕の曲が悪いんじゃなくて僕の曲の良さをわかる担当者がいないからなんだって、ずっと自分を信じて前に進んでいったんですけれど、そういう意味ではYouTubeで世界中の人が見られるその場にエントリーすることで、その良さをわかる人は世界中に無限にいるわけで、一瞬にしてスターが生まれる今のシステムは、非常に素晴らしいと思います。

サブスクや配信に対して思うこと

山重: 音楽のマーケットもだいぶ変わってきていると思います。昔はCDを買う、今はサブスクリプション契約して聞くということを僕もしていますが、群馬県をクリエイティブ拠点にするという意味では、どこにいてもできる。ただミュージシャンが食べていくために、サブスクというのはどうなんですか。

多胡: 僕個人の意見は、サブスクの先にブロックチェーンの技術や「NFT」の技術を使って、ゼロイチを生み出している方にもう少し還元されるシステムを作っていかないと、そこを夢見て目指す方も減っていって、夢がなくなってしまうのかなと思います。やはり日本の場合は日本をマーケットにしているので、今のサブスクのシステムだとなかなか、全世界をマーケットにしているアーティストでないと薄利多売過ぎて難しいことになると思うんです。ここ最近韓国の方たちは韓国語で世界を制覇している流れもあるので、日本も、特にアニメが世界に発信されていると同時に、アニメの中で音楽も一緒に攻められれば、突破口を生み出せるのかなと思っています。

山重: その辺り、映像の世界も同じだと思うのですけれど、飯塚さんも映画を作って群馬を拠点に食べていくということに関していかがでしょうか。

飯塚: やはり映画も、皆さんNETFLIXなど配信もすごく身近になったと思いますが、良い側面もあるんですね。例えば僕の映画を作りましたが著名な配給会社を通さないと全国でロードショーしようにも、場所を押さえられませんというハードルが今まではどうしてもありました。今は配給会社とタイムスケジュールを押さえれば、あっという間に世界配信ができちゃうんですよね。そこである程度印税率、二次使用料が入ってくれば、直通で世界に発信できるというメリットはあります。ただ一方で、日本の中でいろいろと整理がされていない現状があって、二次使用料は世界最下位といわれるくらい低いです。世界にいきなり配信できたからといって、ものすごく経済が回るかといったらそうでもないという現実もあります。そこも早く整備が進めばいいなと思います。

山重: 僕らがWeb3に期待するのは、NFTというのが中古で再販しても、きちんと作者に入っていく仕組みがあるので、その辺りにすごく詳しい久保さん、いかがですか。

久保: 我々もコンテンツというものを作っているという側面もありますし、先ほどのようにプロジェクトをやっている時もあるんですけれど、やはりコンテンツの価値が難しくなっていますよね。サブスクは何か特定のコンテンツを見に来たり聞きに来たりするわけじゃなくて、毎日ずっと流しているような、絵を一つ買って毎日変わるんですみたいな世界で、非常にコンテンツ屋さんとしてあるのは難しくなってきている時代だと思うんです。

でも今、山重さんがおっしゃったように、Web3とかNFTとか、いかにファン層を形成するかという作り方が変わったんだと思うんです。昔はテレビで人気になって、ファンがファンクラブに入ったり、CDをたくさん買ってくれたり、映画でどれだけ集客したかなど一個一個にファンが付いていくと思うんですけれど、そのファンの作り方がもう少しコミュニティになっていって、NFTでも何かをする人たちのファン層を盛り上げていって、そこで売り買いがされていくと、さっきおっしゃったようなおおもとのゼロイチを作った方に入っていくような仕組みができていくので、ポイントになるのはファンの作り方が今の時代で大きく変わっているところかなと思います。

山重: 日本一の星空の名所を作ったという阿智村の仕事を見させてもらったんですけれど、群馬県も昨夜湯畑を散歩したら星がとてもきれいで。群馬県は天文台があって、すごくきれいなんですよ。ただそれを見になかなか人が来ないので、久保さんのような取り組みがもし群馬県で出来たらいいなと思うのですけれど。

久保: 阿智村は皆さんご存じないかもしれませんが、人口6,500人の村なんですよ。コロナ前に来ていた観光客の数が15万人。けっこう奇跡的な数字なんですね。十数年前は、何年か後には無くなる村に名前が挙がっていたんですけれど、そこから星で観光していく、星で街を作っていくと決めた方々がいらっしゃって。ただその方々が日本一の星空というのをいかにして見せるかということを必死に考えられていたんですけれども、我々と一緒にタッグを組むようになって、日本一の星がある村から、日本一の本当の意味での星の村にするということで、我々がブランディングディレクターというポジションになって、例えば自動販売機一つとっても全部星の柄なんですよね。婚姻届けも星、車のナンバープレートも星、マンホールも全部星柄で、クリエイティブも使いながらどうやって街を作っていくかを一緒に始めて、これも星があるだけではなくどう価値化していくか。観光客に対してどう価値にしていくか、もしくは住む人たちにとってのメリットにしていくか、ブランドにしていくかというのをずっと取り組んできました。

山重: ここ最近は技術の進化が早いですね。多胡さん、最初作られている楽器から今はデスクトップミュージックで、打ち込みで絶対弾けないような曲があるじゃないですか。これからどうなっていくのでしょうか。

多胡: やはり聞いているのは人間なので、いつも僕も感じるのですけれど、デジタルに行けば行くほどその揺り戻しで、最近はまた若者の中で生楽器を演奏するバンドが人気が出てきたり、そこから遡ってそのアーティストが影響を受けているユニコーンだとか尾崎豊さんだとかを、今の中学生たちが普通に平気で聞いていたり。デジタルに行けば行くほどその反動が出てきていますね。

山重: そういえば最近昔のカバーが増えましたね。

多胡: お互いに生かしあっているような状況があると思います。その10年前まではボカロ系の一辺倒になっている時代がありましたが、それがある程度行きついて、歌も全部修正してコンピューターのように歌っている、これだったらコンピューターでいいじゃないかみたいなところまでたどり着いたときに、今のヒットチャートを見ると結構ちゃんと歌っているバンド系の人たちが多かったりするんですよね。僕も、こういう事が起きるんだな、人間って面白いなって考えると、例えば、どんな災害にも倒れませんという新素材の家があったとしても、絶対に僕は木材を使いたがるだろうなって。木に感じる癒やしを人間が求めてしまうように、何か音楽にもデジタル一辺倒になる部分に対して、温もりを感じる音楽が欲しくなるというのも、人間の場合は起こるんだろうなと感じて、逆に楽しくなりました。

ポリティカルな問題をお客様に届けるには

山重: 飯塚さんがテーマに扱っているジェンダーのことですとか、もちろん技術だけでなく、現代美術も性や戦争、ポリティカルな表現などは、どこまでこの地方で扱っていいのか、ファミリー層に政治的なことを急に投げかけても…という話もあり、けっこう問題になります。ただクリエイティブ業態にするためには絶対に避けて通れないですよね。

飯塚: 映画って娯楽なんですよね。一般のお客様に料金をお支払いいただいて、楽しんでいただくという。アートという側面もあるけれど、やはりエンターテイメントの側面もあって。これは僕がすごく大事にしている部分でもあるんですけれど、2022年は韓国やドイツ、いろいろな映画祭に参加しました。老若男女問わず当たり前に政治的な話をするんですよ。興味関心が高いです。でも、日本の視聴者はなかなかそういった話になっていかず、やはり関心が低い、じゃあどうするか。例えるなら、この料理は味が複雑で食べられないけれど、優しい味に調理してあげたら食べるきっかけになりますよというように、形を変容させてあげることによってたくさんのお客さんに見てもらう、食わず嫌いされないように料理していくのがクリエイターの役割であって、その技術が問われると思うんです。

 日本の映画産業は世界から見たらものすごく小さいです。島国の中で消費されている小さな市場なんですね。お隣の韓国は思い切り社会的なテーマを扱ったものを世界中に発信していき、世界に市場を持っています。そのかわりマーケットの差が韓国も全然違うんですね。それは国が日本のおよそ10倍映画に予算をかけている現実もありますが、やはり日本は島国の中でお金を儲ければいいという発想なんです。これからは、僕が目標に掲げている「群馬から世界へ」という意識を持った時に、日本ってこういう国で、こういう問題をはらんでいますよと理解したうえで、お芝居や技術的なところも世界にかなうものをそこに入れて世界の市場に持っていく、マーケットを大きくしていくということが、とても重要なんじゃないかなと思っています。なので、どう難しい複雑な問題をお客様に届けるか、その技術をしっかりと持っていくことは、僕自身の課題であると常に考えています。

絆をつないでいくことがクリエイティブの原点

山重: クリエイターの育成、若手を育てることは群馬県の課題の一つです。デザインのクライアントが圧倒的に東京に集中しているため、クリエイティブクラスが群馬に移住してきても、超実力社会なのでやはり仕事の取り合いになって、あぶれてしまう人もいる。群馬県は東京が近いのですぐに出てしまうという問題もあると思うんですけれど。多胡さんはどう思われますか。

多胡: 作曲家という仕事は大変ではあるんですけれど、世界中どこにいてもできてしまう。ただしレコーディングとなった場合には、当然地元にエンジニアがいないので、わざわざ交通費を払って東京から来てもらう方法しか今は無いです。でも実際僕が今活動している中では、群馬だからってマイナスはほぼ感じたことは無いですね。ただ、この10年TAGO STUDIOを運営していく中で、地方で新しいことをやる難しさは僕自身ものすごく感じていて、今質問されたこととは少しずれてしまうんですが、すごく重要なことだと思うのでお話しさせてください。

 プロジェクトのビジョンを掲げて新しいことをやるのは、非常に素晴らしいことですが、新しいことというのはなかなか最初は理解してもらうのも難しい問題で、地域の方々とある程度コミュニケーションを取って進めなければいけない事業の場合には、目に見えない難しい問題が山積みです。それはどういうことかというと、外から見ていたんじゃわからない、その地域その年代に必ず、肩書も無いけれど昔から町の中心になって頼られている人とか、リーダー的存在の方がたくさんいるんですね。そういう方たちと集会を開いていっぺんに話をするようなやり方ではなくて、膝を突き合わせて、今回こういう事をやっていくので是非よろしくお願いしますと頭を下げて、一個一個解決して進めていかないと、ものすごい壁になって立ちはだかる時が何度も来るんですね。それがクリエイティブなことなのかと言われれると、僕もTAGO STUDIOを立ち上げて1、2年は苦しんだ時期もあって、本当にやりたいこととは全然違うことをひたすらやらなければならないジレンマもありました。

でも今10年経って思うことは、実はその素晴らしいビジョンや新しいプロジェクトを立ち上げるのと同じくらい、かみ砕いて街のリーダーの方たちに理解していただく作業というのは、もしかしたら新しいビジョンよりも重要かもしれないですね。なぜならその人たちにとって、新しいプロジェクトの内容よりも、誰がどんな思いでやっているのかということの方が重要だからです。「俺にはよくわからないけれど、あんたがそこまで命がけでやるって言うんだったら応援するよ」というような説得の仕方を、実は地道にしていかないといけないことがたくさんあるんです。クリエイティブとか新しいことをやるという格好いい部分だけではなく、やはりその旗を上げた人が人任せではなく自分で足を運んで、「あいつがちゃんと自分のところに来て話をしてくれた」という絆を一個一個つなげていくことが、地方ではすごく重要なことだと僕はこの10年で感じました。

山重: 僕も同感です。群馬県の良さというのは、やはり人の顔が見えること。人が宝だなと僕は思っています。道端で会った通りすがりの人とお話しするのって、僕は群馬県に来て初めてなんですよ。ぶらぶらしていると、話しかけられて盛り上がったりするんですけれど、それができるのが群馬の良さであり、クリエイティブの原点かなと。農家の人も林業の人も僕はクリエイターだと思っていて、ものすごく創造的なことを考えないと林業、農業はやっていけないです。そういう人たちから生きるヒントや歴史を汲み取りながら、僕らはものを作っていきたい。という感じで締めくくらせていただきます。ありがとうございました。

群馬県の取組

群馬県のアート、文化振興の一部をご紹介します。

アーティスティックGUNMA

有識者による『アートによる地域創造会議』での議論を元に、アーティストを支援し、そのアーティストにアート教育・体験に関わってもらい、それが地域振興・経済効果につながるといった好循環を目指しているのがアーティスティックGUNMAです。これを体現する具体的な事業として、本年度AIRアートプロジェクトを行っております。世界的に活躍されている5人の若手アーティストが本県に滞在し、制作していただいた作品は、高崎の県立近代美術館で展示いたします。

キラーコンテンツの活用

先に東京国立博物館で開催された国宝展の目玉の一つが「挂甲武人」埴輪、群馬県で出土したものです。武具などリアルに作られており、当時、技術の高い埴輪作りのプロ集団が群馬に存在した証と思っています。これらの埴輪をコンテンツとして活用するため、歴史博物館にデジタル埴輪展示室を作りました。通常の展示方法では前しか見えませんが、埴輪スコープだと上からも下からもご覧になれます。

文化の振興で目指す文化の未来

群馬県では、文化分野の基本方針である文化振興指針を現在策定中です。新しい指針は、20年先の未来に向けてバックキャスト思考で作っています。そして、アートの力で他にはない価値を持ち、人々を惹きつける求心力を持つ「快疎」な群馬県の実現に向けた考え方が書かれています。パブリックコメントも実施しておりますので、ぜひみなさんから前向きなご意見をお待ちしています(※現在パブリックコメントは終了しています。完成した指針は、こちら(指針HPリンク)からご覧になれます)。

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ライター: 樋山久見子

高崎市出身。タウン情報誌の編集長に就任した後、雑誌やWeb事業を展開する出版社を経てフリーランスへ転身。群馬県内を中心に新聞、雑誌、フリーペーパー、Web関連などを主軸とし、取材と執筆に明け暮れる日々を送っている。

撮影: 丸山 えり

東京都あきる野市出身。群馬県産有機野菜の美味しさに衝撃を受け、2018年前橋市へ移住。現在、群馬県高山村「在る森のはなし」経営チーム。フリーランスの主な仕事:写真撮影。その他、企画・編集・デザイン・ライティングなど。
人や風景の内側にある輝き(光)を写す写真家。

登壇者

山重 徹夫 中之条ビエンナーレ総合ディレクター

2006年より群馬県を拠点に芸術文化を発信することを目的に、中之条ビエンナーレを立ち上げ、総合ディレクターを務める。その後、クリエイティブコミュニケーションセンターtsumujiをプロデュースし、地域特性を活かした商品デザインやイベント企画などを展開。現在は総合的な地域ブランディングや国際芸術交流をはじめとするアートプロジェクトなど、日本各地で地域文化振興事業を行っている。

飯塚 花笑 映画監督

1990年生まれ。群馬県出身。
トランスジェンダーである自らの経験を元に制作した「僕らの未来」は、ぴあフィルムフェスティバルにて審査員特別賞を受賞。また大阪アジアン映画祭コンペティション部門に最新作「世界は僕らに気づかない」が入選。アジア映画の未来を担う最も優秀な才能に贈られる来るべき才能賞を受賞。今最も注目される若手映画監督。

久保 哲矢 株式会社ネイキッド・プロデューサー

京都大学卒業後、インフラ会社を経て、2014年にネイキッド入社。その後、世界遺産・二条城やあべのハルカスといった関西エリアを中心に事業プロデュースを手掛ける。

多胡 邦夫 作曲家・音楽プロデューサー/TAGO STUDIO TAKASAKI運営責任者

著名人に楽曲提供を行い多くのヒットを飛ばす傍らプロデューサーとしてNHK紅白歌合戦出場も果たす。全国初の試みである高崎市営のプロ専用レコーディングスタジオ「TAGO STUDIO TAKASAKI」運営責任者。