- REPORT
全国群馬県人図鑑-グンマーズ–vol.1 本間和明さん×北村ヂンさん【前編】
全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、さまざまなフィールドで活躍する県ゆかりの皆さんにお話をうかがう湯けむりフォーラムの新企画。今は県外在住のゲストが語る現在のお仕事の話はもちろん、県内で過ごした学生時代の思い出や、他では聞けない群馬エピソードが聞きどころです。
10月28日の県民の日、県庁32階tsulunosスタジオで行われた第1回トークには、ゲーム開発会社代表の本間和明さんとライター・イラストレーターの北村ヂンさん(共に都内在住)が登場。対談にはクリエーター職に憧れる前橋西高3年生の竹内恵さんも参加し、お二人から実践的なアドバイスをいただく場面も。当日生配信されたトークのダイジェスト版を前編・中編・後編に分けてお届けします。
読書感想文が嫌いだった理由
佐藤アナウンサー(以降、佐藤) 群馬にいた頃の学生時代を振り返ると、お二人はどんな学生でしたか?
本間さん(以降、本間) 群馬にいたのは高校までの18年間です。何もない学生時代というか、“無”というか…。普通に学校行って、授業を受けて、家に帰って、ゲームをして、寝る。特筆するようなことは何もしてないと思います。
佐藤 勉強はどうでした?
本間 授業をまじめに聞いていると、何となくテストの点は取れるので、みんなの記憶に残らないくらいの成績はとっていました。
北村さん(以降、北村) 問題児でもなく。
本間 問題児でもなく。平均より上だけど、上位でもなく、普通でした。
北村 ぐんま特使になって「おぉ! やったじゃん!」みたいな連絡も友だちからなかった?
本間 一応1、2件くらいはありました(笑)。群馬の高校時代の同級生とは今、ほとんど連絡とってないんで。
北村 部活は何をやっていたんですか?
本間 中学から卓球部で、高校の間は1年だけ。楽そうだから入ったらみんな同じ考えで卓球ができないほどの人数が集まっちゃって、走り込みさせられて全然楽じゃなかったという(笑)。
佐藤 部活には入らなければいけなかった時代ですか?
本間 中学にはそういう雰囲気がありました。高校ではそんな空気はなかったので1年くらいでスーッとフェードアウトしましたね、スーッと。帰ってゲームしてました。
佐藤 ヂンさんは高校時代、絵を夢中で描いていたとか、文章書いていたとか、今のライターやイラストレーターにつながるようなことはしていましたか?
北村 書いてはいましたけど、学校の作文とか。読書感想文は死ぬほど嫌いでしたね。
佐藤 そうなんですか!?
北村 読書感想文って本当の自分の感情をさらけ出さないといけないと思ってたんですよ。先生の期待に沿うように書けばいいと今はわかりますが、当時は本当にダメでした。夏休みの宿題でも、文章を書く宿題がいつも最後まで残っていましたから。そこから、よく文章を書く仕事やることになったなって(笑)。
本間 僕も本当に嫌いでした。
佐藤 文章を書くことをお仕事にされている方が、作文や感想文が苦手な状況からどう変わってそうなったのか興味があります。
北村 読書感想文って、書評とは違うじゃないですか。学校の宿題のみに存在する独特な文章ジャンルだから難しいですよね。以前、読書感想文の書き方本を何冊も読んでマスターするみたいな記事を書いたんですよ。脚本の「箱書き」みたいに、ここにはこういうことを書く、と決めて書けば書ける。求められているのは多分こういうことで、感情をむき出しにしたような文章は多分、求められていない。
佐藤 先生が期待しているところを読み解くと、ということですね。
北村 本当は荒くれた文章を書く若者の衝動をね、先生が拾ってほめてあげてほしいなって思うんです。でも、多分評価されないでしょうね。
学生時代から今の仕事を目指していた?
佐藤 本間さんは高校生の頃からゲームクリエーターを目指していましたか?
本間 それより前の小学生の頃からゲームを作りたいとは思っていたんですけど、そんなに深くは考えていませんでした。高校時代もゲームの勉強は何もしないまま、親にはゲームが俺の将来の夢なんだと言い訳して遊んでいましたね。いざ進路を決める時に初めてどうしよう…となって、たまたまゲーム誌で専門学校を見つけたので、「じゃ、ここへ行こう!」と。
北村 そこで初めてゲームを作った。
本間 でも、きちんとゲームを完成させるにはいろんな能力が必要だとわかったものの、自分は絵が描けない、音も作れない、企画を考えるのも大変だ、どうしようと。当時数学はできていたので、数学ができるとプログラムはできるらしいと聞いて、まずはプログラマーを目指すことにしました。
佐藤 ゲームの専門学校は県内ですか?
本間 当時は県内にはゲームに特化した専門校はなく、県外に出るしかなかったので、東京のゲーム専門学校に行きました。
佐藤 ヂンさんはどうですか? 高校の頃からライターになろうと思っていましたか?
北村 さっき話したように、文章を書くことが嫌いでしたからね(笑)。全く思いもしなかったです。まぁ、何かしてウケをとることは好きだったと思います。基本的にライターという職業があることもよくわかってなかったですからね。
佐藤 ヂンさんの場合は、進学は専門学校ではなく?
北村 僕はラジオが好きだったので、四年制大学の放送学科に進学しました。放送学科ってラジオとテレビの区別は特にないんですよ。僕の想像ではみんなオールナイトニッポンとか聞いてて、自分が好きなサブカルトークで盛り上がれるなと期待して大学行ったんですけど、9割がトレンディドラマ好きだった(笑)。これはいかんと思って、ラジオの中でもより一人でできる構成作家みたいなコースに流れ流れていったことが、少し関係あるかもしれないですね、文章に。
佐藤 そこからどういう過程を経て今のお仕事に?
北村 それも流れ流れてブログをやっていたら、仕事が来た。それが最初でした。大学卒業後、当時は会社勤めをしていたんですけど、自分でフリーペーパーを作ったり、ブログを書いたりしていたら、なんかお金をくれる人が現れた。で、そっちに行った感じですね。
佐藤 お仕事の依頼が自然と舞い込んできた。
北村 そうですね。当時働いていた会社もトークライブハウスをやっているような、あんまりちゃんとしていないところで…、ブログも暇な時は会社で書いていました。
刺身にタンポポをおくゲームから
北村 本間さんも、会社には一旦入っているんですよね?
本間 はい、一旦。就職したのはゲーム会社ではなく、広告制作がメインの会社でした。200人近い社員のうち、10人くらいでゲームを作っていましたが、赤字続きで肩身の狭い職場でした。ニンテンドーDSの請負仕事とかやっていましたね。
佐藤 でも、順調に希望通りのお仕事につけたわけですね!
本間 いや、専門学校の2年の頃、3D系の授業についていけなくなって僕、一度挫折したんですよ。学校行かず家にこもって、ずっと野球ゲームをしていました。それで就職の選択肢も一気に狭まっちゃって、2Dデザイナーの募集は一社だけだったんですけど、そこを受けて本当にたまたま受かったんです。だから今がある。危なかった。ギリギリ入れて運が良かったですよ。
佐藤 ピンチが今の道を切り拓いてくれたんですね!
本間 切り拓いたというか(笑)、行き当たりばったりでこうなった感じですね。
北村 それから100近いスマホアプリを自主制作し始めた。独立しようと思っていたのですか?
本間 始めは独立しようとは思わなかったです。ただ、会社だと企画を通して、ちゃんとお金を発生させないといけないから自由に作れないことがわかって、自分で作れるものは何だろうと探していました。ちょうど2009年くらいにiPhoneの存在に気づき、これで自分のゲーム作れると思って、翌日MacのPCを買って作り始めた感じです。
佐藤 速い!
本間 速い。そこの行動だけは確かにすごく速かった。一番最初に出したのは、刺身の上にタンポポをおくだけのゲームでしたから、もう完全に趣味でしたね(笑)。仕事だったら絶対できないですから。
佐藤 そこから、ぐんまのやぼうという群馬にまつわるゲームが誕生していくわけですが、開発のきっかけは何だったんですか?
本間 バラエティ番組で、街ゆく人に都道府県の知名度を尋ねたランキングが話題になったんです。その話題をツイートしたブロガーさんが、それぞれ自分の出身県のアプリを作ろうと知り合いのアプリ製作者さんたちに提案したので、そこに反応して「僕は群馬のものを作ります」と言ったことが開発のスタートですね。そこで初めて群馬について考え始めたのですが、すぐには何にも思いつかなくて…。でも、遠い記憶を探っていたら昔やった上毛かるたにネギ、コンニャク、キャベツが出てくるぞと。それをゲームに活かしながら、いろんな群馬らしい要素を盛り込んでいきました。
佐藤 作った時点でこんなに話題になると思っていましたか?
本間 SNSで一気に話題になって、これは大変なことになったと思いました。
北村 いきなりだったんですか?
本間 いきなりでした。当時、出したのがゴールデンウイークの真っ只中で、その1日か2日後ぐらいからどんどんSNSで拡散されて…
北村 他の都道府県を制圧すると、シェアできる機能があったじゃないですか。例えば、「栃木県は群馬県になりました」とTwitterに出る。あのシェアした時のフレーズがいいなと。シェア機能は最初から入っていたのですか?
本間 あれは最初から入っていましたね。そのシェア機能がすごく話題になって、うわぁって広がっていきました。
北村 最初ゲームの存在を知らなくて、周りの人が「東京都は群馬県になりました」とかたくさんつぶやき始めて「何? どうしちゃったの?」と思っていたらゲームだった(笑)。キャッチーなフレーズでしたよね。
※「ぐんまのやぼう」はネギ、コンニャク、キャベツなど特産野菜を収穫するなどして集めたGポイントで他の都道府県を“制圧”すると「〇〇県は群馬県になりました」のメッセージをTwitterにシェアできる。
外でウケる群馬の変わった風習とは
佐藤 ヂンさんも群馬にまつわる記事をたくさん書いていらして、『群馬のおきて』(編・群馬県地位向上委員会、2013年刊行)という本も出されていますね。
北村 群馬のあるある本ですね。
佐藤 こちらはどんなきっかけで?
北村 都道府県魅力度ランキングで群馬県が最下位になった年(2012年)がありましたよね。それまでもネットで群馬関係の記事はちょこちょこ書いていて、そこそこウケるなという感じはありました。ランキングをそんなに意識したわけじゃないんですけど、「最下位だけど○○の生産量は一位だよ、こんな面白いところがあるよ」みたいな企画ってキャッチーじゃないですか。そういう感じで出版社の方も、企画を通したと思うんですよね。
佐藤 県外にいながら群馬の話題を発信し続けてきて、中にいた頃は気づかなかったけれど、県外に出て気づいた魅力って何かありますか?
北村 正直、僕にとってはネタになるか、ウケるかという視点が全てなんです。そもそも郷土愛全開なやつはダサい、と言われる世代で育ってきましたから。この意味では温泉が良いとか、そういうことは皆さん何となく知ってるのであんまり興味持たれないんですが、例えば、運動会が赤組、白組でなくて、赤城団、榛名団、妙義団に分かれるとか、そういう群馬の変わった風習を言うと結構ウケるんですよ。
本間 ちらほら違うんですよね。学校で授業の始めと終わりにかける号令が、群馬だと「起立、注目、礼」、となる。注目が入るのは当たり前じゃない。
佐藤 「注目って何?」って(笑)。
北村 東京から来た転校生が本当にとまどっていましたからね。
佐藤 現役高校生の竹内恵ちゃんにも聞いてみたいと思います。今群馬で過ごしていて気づく群馬の魅力ってありますか?
竹内さん(以降、竹内) 今ちょっと持ってきたんですけど(雑誌「POPEYE」の背表紙を見せながら)、この雑誌を見ていても、サブカル方面で群馬は進んでいる気がします。
北村 へぇ、何が載っているんですか? POPEYEに?
竹内 例えば群馬のコーヒー屋さんとか。Uターンで東京とかからおしゃれな人が戻ってきて、群馬でお店をしていて、私たちがそこからいろんな情報を得られる。それがすごく良いなって。群馬がおしゃれになってきているなと感じます。
佐藤 なるほど、なるほど。
(中編へ続く)
次回は若者に向けたアドバイスから、二人の仕事観が明らかに。クリエーターのはじめの一歩はどう踏み出せばいい?
(ライター:岩井 光子、撮影:大井 拓哉)
登壇者
本間 和明 「ぐんまのやぼう」開発者 ゲーム制作会社代表
北群馬郡吉岡町出身。前橋西高卒。
専門学校卒業後、ニンテンドーDSの開発などを行う会社にプログラマーとして入社し、いくつかのゲーム開発に携わる。2010年独立、スマートフォンアプリを大量生産。2012年に「ぐんまのやぼう」を公開。2019年10月28日にはシリーズ最新作「ぐんまのやぼう あなたもわたしもぐんまけん」をNintendo Switch 向けに配信。気づいたらぐんま観光特使。(現在はぐんま特使)
北村 ヂン 「大群馬展」主宰 ライター、イラストレーター
1975年生まれ。前橋高卒。
デイリーポータルZなどのウェブメディアで面白ネタから実験ネタ、ノスタルジーネタまで、広範囲の記事を執筆。仕事も趣味もジャンルの幅が広過ぎて、他人に何をしている人なのか説明するのが非常に難しい。変なスポット、変なおっちゃんなど、どーしてこんなことに……というようなものに関する記事をよく書きます。
佐藤 由美子 フリーアナウンサー/キャリアカウンセラー
NHK前橋放送局キャスターを経てフリーに。NHK、群馬テレビ、とちぎテレビなど関東のテレビ局を中心にリポーターとして活動。その後出産を機に拠点を群馬県にうつす。
5年前に自身の経験をさらに活かすためキャリアカウンセラー資格を取得。若者や女性のキャリア支援のためにセミナーやイベントを開催。
現在はラジオパーソナリティー、イベント司会、キャリアカウンセラー、講師など幅広く活動中。
一女一男の母。