全国群馬県人図鑑-グンマーズ-vol.8 淵澤由樹さん×新井文月さん【前編】

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全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、県外に住む県ゆかりの先輩方をペアでお招きし、おふたりの母校や近隣校の現役高校生も交え、学生生活と現在の仕事とのつながりや故郷への熱い思いを聞き出していくトークセッションです。

第8回のテーマは、「『自分の作品を作る』という生き方」。母校のドキュメンタリー映像を制作したことをきっかけに、映画監督とフリーアナウンサーという二足のわらじを履くことになった桐生市出身の淵澤由樹さん(桐生女子高校OG)と、芸術家として国内外で活躍する高崎市出身の新井文月さん(藤岡高校OB)が登場。2024年11月27日にウェビナー配信したトークを前編・中編・後編に分けてお届けします。

※ゲスト出身校について 桐生女子高校は、男子校の県立桐生高校と統合し、2021年3月に閉校。藤岡高校は2007年3月、藤岡女子高校と共に閉校となっている。

私が映画監督になった理由

MC西部沙緒里(以降、西部 今日は「自分の作品を作るという生き方」というテーマで、おふた方のゲストにいらしていただいています。まずは簡単な自己紹介をお願いできますか?

グラフィカル ユーザー インターフェイス, テキスト

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淵澤由樹さん(以降、淵澤) はい。淵澤由樹です。私は桐生市出身で、小学校、中学校、高校と18歳まで桐生にいました。幼稚園の時からアナウンサーになりたくて、アナウンサーになるために高校はこのレベルの学校に行って、4年生大学に行かなければいけないなどと、虎視眈々と人生を逆算しながら過ごしていた学生時代でした。

桐生女子高から日本大学の芸術学部に入りました。なぜ日大を選んだかというと、当時フジの人気アナウンサーだった中井美穂さんや近藤サトさんが日芸出身だったんです。それで、私も日芸を目指して行きました。

卒業後はフジテレビ系の富山テレビに入社しました。富山テレビを選んだのは、兄が富山県に住んでいたからで、「お兄ちゃんがいるから、私も富山のテレビ局受けてみようかな」という感じでした。その後、フリーになってホリプロという事務所に入って、もう20年以上になりますから、アナウンサー歴ももう30年になります。

ダイアグラム

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なぜ「話すこと」が仕事の私が、今回「作る人」というテーマで呼ばれたのかと言いますと、きっかけがあります。私の母校、桐生女子高校が男子校の桐生高校と合併する話が何年か前から持ち上がっていって、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えていました。いろんな方に「(閉校前に)映像とか残すんですか?」と聞いたら、「いや、そういう話は何もない。多分、閉校式典だけやるよ」という話でした。

自分が通った高校がなくなって、場所も桐生高校に移って、名前も桐生高校になる。新生・桐生高校は私が通った桐生女子の女子の部分が全くなくなってしまう。そのことに気づいて「映像に残そう!」と思ったんですね。大学で勉強したとはいえ映像制作の実務経験はなかった私が、勢いで企画書を書いて、1年半かけてドキュメンタリーで桐生女子高校を追いました。

私も桐女には知り合いの先生が何人かいて、「淵澤さんが作るのならいいよ」と認めてくださって、県の教育委員会さんも「撮っていいよ」って言ってくださいました。「閉校式で最後お土産に渡すDVDもパックにして作って」とリクエストされたので、桐女の風情を感じるレトロなデザインパッケージのDVDも制作しました。桐女ってすごく歴史が古くて113年で閉校になったのですが、県内では高崎女子高の次にできた女子高なんです。

そんなこんなで映画1本作って、「やれやれ良かった」と思っていました。その後、ひょんなことから映画プロデューサーと知り合って話をしていたら、「君、映画撮れんの? 実は女性監督を探してるんだけど」みたいな話になって、あれよあれよと商業映画を撮ることになったんです。いわゆる雇われ監督ですね。「月下香」というちょっとセクシーなフランス映画みたいな作品です。そんな感じでアナウンサーと映画監督の二足のわらじを履かせてもらっています。

目に見えないものをアートに

西部 続いて新井さんお願いします。

人, 屋内, 男, 若い が含まれている画像

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新井文月さん(以降、新井)  はい。「あらいふづき」と読みます。単純に7月生まれなので文月です。最近は似ている人といったら、天皇陛下といわれる私ですので、僭越ながらお答えしたく(笑)、自己紹介させていただきます。

テキスト が含まれている画像

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幼い頃はすごく内向的な子でして、原因不明の足の病気でずっと松葉杖をついていました。周りに大自然はあるけど、外に遊びに行けないので、家で絵ばかり描いていた子どもでした。

屋内, 写真, 男, 立つ が含まれている画像

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高校では弓道部に入りました。藤岡高校は弓道部が強いと噂を聞いて、それだけで選びました。ちなみに藤岡高校は男子校です。

男性の写真のコラージュ

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そこからは弓道に没頭しました。なんでこんなにハマったんだろうと思うんですけど、後からよくよく考えると、僕がこれまで夢中になったのは、書道なり、枯山水なり、禅、お茶、どれも日本文化が背景にあるものでした。内面を磨くことが好きで、それが今も芸術に活かされていると感じています。

人, 男, 写真, 立つ が含まれている画像

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そして大学デビュー。「お前、内向的じゃないのかよ(笑)」と突っ込みたくなる写真だと思いますが、実は絵を描いていたら足が治ったんですね。これは不思議だなと思いながら、動ける自分をめちゃくちゃ謳歌している写真になります。

それから、大学卒業後は平凡な会社員でしたが、「どう生きればいいのか?」と内面は悶々としていました。

山の写真のコラージュ

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そうした思いを抱えて、なぜか修験道まで行っちゃうんですけど、クラシックバレエからサルサ、太極拳まで、当時は“ダンス”をひと通り、節操なくやりました。特に太極拳の「気」をコントロールするというのが非常に面白くて、突き詰めていったら、滝行まで辿り着きました。

その頃から、そうした体で感じる体験、見えざる不思議な存在を具現化するってことをアートにし始めていきました。

写真, 男, 座る, 女性 が含まれている画像

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それで、初めて描いたアートがこちらです。「輪廻」というタイトルで、背景にがい骨がある。これは死んだ祖父を表します。私の子どもが生まれたのが2012年で、子どもを抱いているのが私です。当時としては珍しかった育休をとって、子育てをしながら描いた絵になります。初めて描いたのにもかかわらず、ドバイの方に100万円で買っていただきました。

私は葛飾北斎を目標にしていまして、いろいろ影響を受けています。彼が80代で、「猫1匹まともに描けない」と言ってるんですね。画家ってそんなに長い時間かけて人生を探求していくものなのか、と気づかされました。逆にそんなに長い旅だったら、自分も回り道しつつ、ダンスなり、文章なり、芸術全般やりながら進めばいいかなと。

ちなみにこれはコロナ禍で描いた絵で、ソーシャルディスタンスとして作品が分割されています。それでも希望の光は見える。そういったものが評価を受けて、ありがたいことに長野県小布施町の北斎館に展示していただきました。

ダイアグラム が含まれている画像

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これは群馬の作品です。実際に榛名を訪れ、榛名山と榛名湖で法螺(ほら)貝を吹きました。法螺貝は修験道の一つの行でして、魔を退けたり、場を浄化する役割があります。山の地面からエネルギーをスパイラル状に吸い上げるイメージで、天と地をつなげたものを表現した絵になります。

文字の書かれた紙

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小学校の卒業文集にも描いていた龍を今描くと、こんな感じです。私を守護する幻獣は大きな白龍で名前を「白桂(ハクケイ)」といいます。

カラフルな絵

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アーティストとして経験を積み、人のために芸術を役立てたいと次第に思うようになってきまして、これはダンスのイベントですけれども、光が当たるフォトスポットで、ライトアップされた華やかな舞台を皆さんに楽しんでいただきました。

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これは「真理」という作品です。真理とは別の言い方をすると「正しく生きる」ということで、そのヒントがこの絵にあります。もうおわかりでしょうけれども、光です。それが僕の作品にとって一番重要なメッセージで、一番の強み、魅力、存在になっています。

西部 ありがとうございました。このように全然ベクトルの異なるおふたりと繰り広げていきたいと思います(笑)。

真面目だった学生時代

西部 今日のおふたりは、何かを作り出す経験をされてきて、なおかつ自分の作品を持っているおふたりなんですよね。

広い意味でクリエイターとしての人生、道を歩んでこられたおふたりで、もともと淵澤さんはアナウンサーっていう立ち位置だし、新井さんは幼少期から絵は描いていたし、ダンスもしましたけど、一般企業に勤めていた一時期もありますよね? 紆余曲折ありながらも、今は結果的に自分らしい自分にたどり着いているおふたりに、今日は根掘り葉掘り聞いていきたいと思っております。

おふたりはそれぞれ群馬県で中学、高校時代を過ごしていますよね? 今日は藤岡中央高校から高校生もいらしてくださってるので、特に高校時代のリアルな話をちょっと深掘りするところから始めていきたいと思うんですけれど、淵澤さんは桐女時代、どんな高校生でしたか?

黒いシャツを着ている女性

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淵澤 はい。真面目でしたね。結構面白いことが好きなので、正真正銘の真面目ではなくて、いつも面白いことも考えていたんですけど、ふざけたことができないので、週1回友だちと「カフェ行っちゃう?」ぐらいでちょっと不良気分を味わう、みたいな高校生でした(笑)。

「〇〇ちゃんは学校帰りにカラオケ行くみたいよ〜」なんて聞くと、「私たちには無理だよねー」みたいな。そういう時代でしたよね。もう直行直帰ですね。学校から家が遠い子は電車通学ですけど、桐生に住む子たちはどれだけ遠くても自転車でした。からっ風がすごくて、自転車が止まるんですよね。前に進めない。

桐女は山の麓にあって、桐高は市内にあるんですよ。市役所とか文化センターと図書館とかが近くに集まっていて、すごく恵まれてるんですけど、女子校の方は「なぜそんな山の麓に作った?」と聞きたくなるような場所にありました。そんなこと言うと怒られちゃいますけど(笑)。

でも、毎日一生懸命自転車こいで、みんなノリが体育会系な感じでしたね。山を目指す自転車通学はそれこそ修業みたいでした。新井さんも男子校っておっしゃってたけど、10代の一時期を女子だけで過ごすってすごく楽しくて、今となっては面白かったなと思いますね。基本的に桐女の生徒はわりとみんな真面目なので、そんなにスレた感じはなかったです。

西部 なるほど〜。対して新井さんはどんな高校生でしたか?

カラフルなシャツを着た少年

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新井 藤岡高校の選抜クラスだったので真面目な生徒が多かったですが、中にはガラの悪い人もいましたね。高校の先輩には誰がいるかというと、BOØWYのボーカルだった氷室京介さんとかいて、ロックな感じがありました。学ランの裏地が紫になってたり。ちょうど着物の裏地にこだわるみたいな感じですかね。当時「ジョニーケイ」っていう学ランのちょい悪カタログみたいのあったんですけど、他のクラスではそんな冊子を読んでいる同級生もいました。

選抜クラスは普通に真面目だったので、淵澤さんと同じく、一見平凡なふりをしていました(笑)。部活はさっきもお伝えしたように弓道部で、男子校で弓道部なんていうとストイックな人みたいな感じですけど。土日もひたすら弓矢を打ってました。

西部 おふたりは総じて結構品行方正というか、比較的真面目な部類に入る高校時代を送った感じなんですねー。

(中編へ続く)

引き続き、おふたりの高校時代がどう現在の職業につながっていったかを深掘りしていきます!

ライター・岩井光子

登壇者

淵澤 由樹 フリーアナウンサー

桐生市出身。日本大学芸術学部卒業、現ホリプロ所属。富山テレビ放送アナウンサーを経て、現在はテレビ・ラジオのナレーター・パーソナリティとマルチに活動。インタビューした各界著名人は1,000人を超える。113年の歴史を誇る母校の桐生女子高校が男子校と合併し、名前が無くなることから映画制作を決意。2021年、自ら脚本・撮影・監督・プロデューサーを務めたドキュメンタリー映画「さよなら桐女」を制作。その後も「映画が作れるアナウンサー」として映画制作に従事。県内では桐生高校放送部講師・桐生ふるさと大使、県総合文化祭審査員なども歴任する。

新井 文月 芸術家

高崎市出身。芸術家。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。幼少の頃、原因不明の足の病気により1日中絵を描いて過ごす。描き続けることで回復した体験から、肉体と精神は連動していると気づき、修験道の影響を受けた作品を制作。2014 年、ニューヨークにて初個展を開催。15年、Arab Week 2015 Art Exhibition に出展。主催国のオマーン/パレスチナ大使より日本アラブ友好感謝賞を受賞。同年、株式会社アトリエ新井文月設立。23年、世界101人の現代アーティストに選出(ジョージア)。24 年、ペルービエンナーレに出展。ダンサー、書評家としての顔も持つ。

西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO

前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。

大谷日咲 藤岡中央高校1年

小板橋華帆 藤岡中央高校2年