全国群馬県人図鑑-グンマーズ-vol.8 淵澤由樹さん×新井文月さん【中編】

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全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、県外に住む県ゆかりの先輩方をペアでお招きし、おふたりの母校や近隣校の現役高校生も交え、学生生活と現在の仕事とのつながりや故郷への熱い思いを聞き出していくトークセッションです。

中編は、ゲストのおふたりが高校時代に熱中していたことを深掘りしていきます。好きなことを仕事にするためには、好きを疑わずに続けていくこと。そうすると、道は自ずと開けていく? センパイたちが意中の進路をつかんだ秘訣とは?

憧れの職業に猪突猛進

MC西部 おふたりは高校時代、将来の夢とかありましたか?

淵澤 先ほどお話したように、私、幼稚園からアナウンサーになりたかったんです。

テレビ番組の画面

自動的に生成された説明

西部 そうなんですね? すごい!

淵澤 もう猪突猛進で、思い立ったら…みたいなのがありますね。恐れを知らないというか(笑)。

西部 新井さんはどうですか?

新井 そうですね。高校生の頃は美術だけは成績が良かったので、消去法ですね。ほかの頭の良い優等生にかなわないし、スポーツ万能でもないし、美大に進学するしかないと思って。県内には美大がないので、関東に視点を広げて東京の多摩美(多摩美術大学)に入った感じで、その道以外あまり考えることがなかったです。

西部 なるほど。淵澤さんは高校の進路選択の時も、アナウンサーになりたいと思って大学を選ばれたんですか?

淵澤 そうですね。全部つながってます。アナウンサーになりたいと思ったのは幼稚園の時で、私、下だけ実は芸名なんです。本名は滋子(しげこ)っていうんですよ。滋賀県の「滋」、滋養強壮の「滋」なんですけど、他に同名の方がいらしたら申し訳ないんですけど。ちょっとおばあさんぽいと思われる名前だと私は感じていたんです。今は気に入ってるんですけど、自分が幼稚園や小学校の時、周りはエリカちゃんとか、リエちゃんとかなのに、滋子ってちょっとレトロな名前だなと思っていました。

黒いシャツを着ている女性

自動的に生成された説明

そんななか、たまたま幼稚園の時に見たNHKのアナウンサーに同じ滋子さんがいたんです。苗字は忘れちゃったんですけど、その方がアナウンサーで画面上に映って、すごくキレイでキラキラしてるの見て、「あ、私と同じ名前で素敵!」みたいに思って、多分それがきっかけでアナウンサーに憧れたんですよね。

なのに、なぜ名前を変えたかというと、局アナを辞めてフリーになってから、ちょっとおしゃれなFM局のオーディションに行くと、「いや、君にしたいんだけど滋子はなぁ〜」って言われて、そこで仕事がもらえないことが実際にあったんですよ。

西部 素敵な名前ですけどね〜。

淵澤 私も、「いや、私は滋子なんで!」と突っぱねるほどのポリシーもなく、オーディション受かりたいから、「あっ、名前変えますよ」みたいな。そんな軽いノリで由樹にしちゃいました。もういい歳になったので、ホリプロにも「私、滋子が似合う歳になったんで、変えていいですか?」って言ったんですけど、事務所も「淵澤さん、由樹でいいと思いますよ」と変えてくれなくて、今に至ります。

アナウンサーはイメージから好きになった仕事だったんですけど、私、しゃべることが好きで、人の話を聞くのも好きなんですよ。だから、結果的に自分に合ってる仕事だったかなって思ってます。なりたくても、なかなかなれない仕事だともわかっているので、すごく恵まれているなあとも思ってます。

好きにどっぷりハマれる年代

西部 おふたりとも、高校時代の経験で今につながってるなと思うことってありますか?

落書きされた壁の前にいる少年

中程度の精度で自動的に生成された説明

新井 部活は高校生活の思い出の一つだと思うんですけど、例えば大人になって社会人になると、何か一つのことに集中して一生懸命やる機会ってすごく少ないと思うんですね。例えば弓矢をやるとか、禅を体験するとかも、休日にやるものじゃないですか? そういうことを高校生活でどっぷりやれたのはすごく良い経験だったと思います。

西部 なるほどね。

新井:弓道で「射法八節」(※)というんですけど、弓を構えて、あげて、ひいて、何秒待って、というその一連の動作が一瞬に集約されていて、それはアートの世界観に結果的につながることになりました。

※弓矢を射つ時の基本となる8つのルール。足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引き分け、会、離れ、残心の8つの動作を断絶なしに一つの流れとして滑らかに行う。

西部 興味深いです。淵澤さんはどうでしょう?

淵澤 私は、それこそさっき新井さんがおっしゃってたBOØWYの同世代のグループアーティスト、TM  NETWORK(※)が中学高校の時は大好きでした。もうそれこそ女子高から帰ってくると、ミュージックビデオを何十回、何百回と見ていました。今でいう“推し活”みたいな感じですね。彼らは雲の上の遠い人のような存在ではあったんですけど、どこかで「同じ人間じゃん」みたいな思いもあって、いつか会える気がしてたんですよね。そしたらやっぱり会えました。大人になってから、仕事で。

※小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登の3人が1983年に結成した音楽ユニット。シンセサイザーを多用した音楽の革新性やスタイリッシュなビジュアル演出で人気を集めた。

淵澤 「好きこそものの上手なれ」じゃないですけど、すごく好きだったり、興味のあることって、自然と道が開けてくる気がします。だから、疑わずにずっと好きでいようと決めてます。今だに。

西部 素敵ですね!

つまらないところだったはずが…

西部 ではちょっと話題変えて、群馬県の外に出て行った元グンマーの先輩たちと現役高校生をつなげるのが、この群馬県人図鑑という企画の趣旨なんですが、改めて群馬についてお聞きしたいです。おふたりは今、群馬の価値をどんなふうに感じたり、考えたりしていますか? 群馬の素敵だな、すばらしいな、と思うところがもしあれば聞かせてください。

少年, 人, 若い, 持つ が含まれている画像

自動的に生成された説明

新井 やっぱり大自然ですよね。都内に住んでいますと、スマホだったり、iPhoneモニターだったり、なんやかんや画面、画面、画面なんですけど、電磁波を発してるじゃないですか?これは私流の考え方なのですが、体内に溜まった電磁波をどう出すかというと、植物に触るんですよ。右手と左手で、それぞれ触ると体内に溜まった電気を放電できる感じがするんですね。例えば、海とかあれば裸足になれば良いんですけど、海ってそうそう近くにないじゃないですか?

西部 あったらいいですけどね。

新井 だから、木々がたくさんある群馬は、もう子どもを育てるとよくわかりますね。やっぱり都内は自然が足りないかなって思います。

西部 特に新井さんは感性が豊かだから、一般の人以上にそう感じるのかもしれませんね。

新井 自分的には大自然のある群馬は、家族を持ったら、さらにオススメです。

西部 ありがとうございます。淵澤さんはどうですか?

黒いシャツを着ている女性

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淵澤 はい。私、学生時代は群馬から出たくて出たくて、18歳まで好きだと思ったことなかったんです。本当にごめんなさい。「絶対東京の大学に行く」と、それこそ小学生ぐらいから決めていましたし、群馬は親が住んでるから住んでる場所みたいな感じで、別に何も感じなかったんです。

ですけど、本当にこれは面白いなと思うんですが、むしろ最近ですね。群馬に帰る機会が多くなって、群馬に対する18歳までの「群馬はつまらないところ」みたいなイメージが私の中でどんどん変わってきています。お世辞じゃなくて、群馬、本当にいいんですよ! その変化はここ5年ぐらいですね。こんなに変わる自分にびっくりしています。

実家は渡良瀬川の近くなんですが、渡良瀬川から赤城山が見えたり、やっぱり新井さんがおっしゃったように自然豊かなんですよ。今は東京暮らしですが、東京の景色とは違う風景がブワーッと広がると、群馬に帰ってきたという思いと共に、あ、やっぱりこっちの風景が自然なんだなって感じます。

本当に最近、群馬と東京を行ったり来たりする機会が多いんですけど、嫌じゃないです。若い頃は親のために3カ月に1回は帰ってあげなきゃ、群馬帰らなきゃとか、ちょっとネガティブな義務感もあったんですけど、今は本当に帰るのが楽しみだし、比重が半々ぐらいになっても、むしろ東京の私と群馬の私と、全然生活が違うのがすごく楽しくて仕方ないです。本当にどっちも好きでなんだか不思議です。

からっ風活かした美術倉庫を

西部 徐々に群馬との接点をつなぎ直しているプロセスにあるおふたりだと思うんですけど、作品制作において「×(かける)群馬」の観点で、既にやられてることもあると思いますし、今後やっていきたいこともあると思います。群馬でもっとこれを作りたいとか、こんな夢や構想があるみたいな話、良かったら聞かせていただけますか?

新井 そうですね。美術品の倉庫を県内につくる事業は、既に取り組み始めています。群馬は土地が膨大にありますので。アート作品は湿気がNGなのですが、群馬はからっ風が湿気を吹き飛ばしてくれるので、湿度調整できます。

西部 確かに群馬県は乾いてますよね!

新井 その事業で高齢者などの雇用創出なんかもできたらいいなと思っていて、少しずつ進めているところです。

あとは、自分のアートを公共の場に出すことで、もっと人と人とがつながっていけばいいなと思ってます。そのきっかけがフォトスポットだったり、アートのある空間だったりで、その場所がポジティブなエネルギーを発して、皆さんにも良い影響を与えていくことができたら私はうれしいです。

これまでも例えば福島の被災地を巡って、仮設住宅の壁画を描いたことがあります。思い出となるものがなくなった無機質な空間にいると、人は前向きになるのが難しい。現地の方にもメイクアップをして、僕が似顔絵を描くところから始めたんですけど、そういったことをすると皆さんの表情がパーッと変わるんですね。海女さんだった女性も、内向的でネガティブな表情だったんですけれども、お化粧して似顔絵を描いてあげると非常に喜んでいました。そういった場所をどんどん作っていくこともしていきたいです。

仕事にも桐生愛を込めて

西部 淵澤さんはいかがですか?

淵澤 現在の群馬との関係ですよね。私は大体桐生がベースです。先ほどの「さよなら桐女」という映画は桐女で撮ったものなので、もちろん桐生オールロケなんですけど、商業映画の「月下香」の方も実はオール桐生ロケなんです。

例えばお花のシーンがあると、友人の花屋さんのところへ行って、「申し訳ないけど、花屋さんのシーンと、使う花をちょっとお友だち価格で使わせてくれない?」とか、いろいろ交渉しながら、友だちを巻き込んで撮影していきました。なので、わかる人に見ていただくと、ロケ地が全部桐生だとわかると思います。

それはもともとプロデューサーが「お金がない、お金がない」と言ってたので、「じゃあ私の人脈がある桐生でお願いしてみましょうか?」と言ったこともありますし、私自身、桐生の映像を残したかったというのもあります。自分の身銭を切ってない商業映画ではありますが、自分の好きな場所を撮らせてもらっているので、私の桐生愛が伝わる映画になっているかなと思います。

テレビの画面に表示された人の写真のコラージュ

低い精度で自動的に生成された説明

「次は何撮るの?」とよく聞かれるんですけど、今は自分が燃え立つような何かがなくて、ちょっと待ってるというか、出会いたいなと思っている状態です。次回も群馬や桐生に関わる作品にしたいなとは思うんですけど、やっぱり意欲が必要なんですよ。気分が乗らないのにやるのは、多分違うんだなと思っていて、今はちょっとそのタイミングじゃないのかなと自分でなんとなく感じてます。

群馬に対する思いとしては、私は今、桐生高校で放送部の顧問をやっているんですけど、その子たちにはもう全力で教えています。私、群馬弁も桐生弁も大好きなんですけど、アナウンスコンクールになると、例えば鼻濁音(※)や標準のアクセントを習得する必要があるので、徹底的に群馬の話し方を排除しなければならないこともあって。でも、心の中は群馬人でいてほしいみたいのがあります。

※が、ぎ、ぐ、げ、ごなどの濁音を鼻から抜けるような音に変えて発声すること。

だから、コンクールの題材に群馬のものを選ぶことは応援していますし、高校生たちにもより良い群馬との付き合いをしてほしいですね。私も自分にできることはどんどん提供していきたいなと思ってます。

西部 素敵〜、いいですね! ありがとうございます。群馬県内での活動がもっともっと広がっていったらいいですし、今日がそのきっかけになったら、すごくうれしいなと思います。

(後編に続く)

「もし夢がふたつあったら…」。高校生からの質問に対するゲストのおふたりの回答は? 新井さんは好きなこと、得意なことを細く、長く継続する極意も伝授。

ライター・岩井光子

登壇者

淵澤 由樹 フリーアナウンサー

桐生市出身。日本大学芸術学部卒業、現ホリプロ所属。富山テレビ放送アナウンサーを経て、現在はテレビ・ラジオのナレーター・パーソナリティとマルチに活動。インタビューした各界著名人は1,000人を超える。113年の歴史を誇る母校の桐生女子高校が男子校と合併し、名前が無くなることから映画制作を決意。2021年、自ら脚本・撮影・監督・プロデューサーを務めたドキュメンタリー映画「さよなら桐女」を制作。その後も「映画が作れるアナウンサー」として映画制作に従事。県内では桐生高校放送部講師・桐生ふるさと大使、県総合文化祭審査員なども歴任する。

新井 文月 芸術家

高崎市出身。芸術家。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。幼少の頃、原因不明の足の病気により1日中絵を描いて過ごす。描き続けることで回復した体験から、肉体と精神は連動していると気づき、修験道の影響を受けた作品を制作。2014 年、ニューヨークにて初個展を開催。15年、Arab Week 2015 Art Exhibition に出展。主催国のオマーン/パレスチナ大使より日本アラブ友好感謝賞を受賞。同年、株式会社アトリエ新井文月設立。23年、世界101人の現代アーティストに選出(ジョージア)。24 年、ペルービエンナーレに出展。ダンサー、書評家としての顔も持つ。

西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO

前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。

大谷日咲 藤岡中央高校1年

小板橋華帆 藤岡中央高校2年