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【熱源な人】多様な人材が活躍、「働きやすい農業法人」を経営する『農園星ノ環』星野高章さん

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道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと湧き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

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雪の残る赤城山の北麓、標高約750メートルに位置する昭和村。冷涼な気候で土の水はけがよいことから高原野菜の栽培が盛んなほか、「日本一のこんにゃく芋生産地」としても知られる地域だ。

この村でレタスやとうもろこし、ほうれん草やカリフラワー、いちごなど多品目の野菜を生産している「農園星ノ環」(以下 星ノ環)は、日々の仕事を通して農業が抱える様々な課題に立ち向かう存在として注目されている。

特に「働き方」「働く環境」をより良く変えていこうという取り組みは高い評価を受けており「群馬多文化共創カンパニー」(※1)に認証されているほか、「農業の未来をつくる女性活躍経営体100選(WAP100)」(※2)にも名を連ねている。

(※1)……外国人材を雇用し、ともに活力を創り出すための優れた取り組みを行う事業者が選ばれる認証制度。2017年に群馬県が創設。

(※2)……女性活躍に向けた先進的な取り組みを実践し、後に続くモデルとなるような農業経営体を日本農業法人協会が認定するもの。星ノ環は2016年度に選出。

代表の星野高章さんは、この地で農業を営む3代目。農業経営における「働き方」「働く環境」という課題をどのようにとらえ、具体的にどんな方法で改善してきたのかについて、詳しくお話を伺った。

戦後開拓によって生まれた昭和村

今では「農業大国」となっている昭和村だが、もともとこの地には田も畑もなく、戦時中には旧陸軍の演習地として利用されていた。終戦を迎え、面積の広い昭和村は食料増産のための開拓対象地に。そうして昭和村を訪れた開拓者のひとりが星野さんの祖父だった。

当時、水も引かれていなかった昭和村に水源を確保するための灌漑施設(田畑に水を引く水路等)を作り、鍬をふるって畑を開墾。何年もかけて耕地を作り上げ、それぞれ農業を営んでいたそうだ。

そして1996年、2代目である星野さんの父が外国人技能実習生の受け入れを始める。それまで家族・親戚だけで営んでいた農家という仕事が、徐々に「組織」として運営されていくことになった。その後、星野さんが3代目として農業を引き継ぎ、「農園星ノ環」として法人化したのが2005年のこと。

2024年1月現在では、社員、パート社員、技能実習生、特定技能外国人が所属しており、季節限定で従事するスタッフも含めると30人以上の規模で活動しているそうだ。

農業につきまとう「長時間労働」の課題

農閑期と呼ばれる冬は、露地栽培の農家にとっては「仕事がない季節」とされている。特に雪が積もるような地域では、現在より選択肢の限られていた当時、冬は文字通り「どうすることもできなかった」。

そして収入が生まれる期間が限られている分、「可能な限り長時間働く」ことが常識とされてきた。農業は会社組織ではなく生活と仕事が一体の「家業」として行われることが多かったという事情もあり、労働環境について客観的に意識されることが少ない業種だったのだ。

昭和村は、1月の平均気温が氷点下に達するような寒冷な地域。星ノ環の主力商品であるレタスも、収穫ができる期間は4月から10月いっぱいまでだ。法人化して年間雇用を目指す中で、露地栽培のできない冬場の収益をどのように確保するかが大きな課題だった。

「家族経営の時にはスキーのインストラクター、法人化してからは前橋市や高崎市の畑を借りてキャベツや白菜、ブロッコリーなどを栽培していました。そうしていろいろ試す中で小さく始めたのが、『いちご』でした」

星ノ環が9年ほど前からスタートさせた、いちごの栽培。湿度と温度の管理されたハウスで行うため、冬でも売上を立てることができる仕事だ。それに加えて、「女性が働きやすい現場」になるというメリットもあった。

いちご栽培は扱うものが軽く、機械も小さいので筋力などに関係なく無理なく働くことができる。また、施設栽培なので天候にスケジュールを左右されにくく、計画的に仕事の予定を組みやすい。そのため、子育てをしながらでも働きやすいのだ。

ライフステージに合わせてキャリアを断絶させることなく働き続けられることは、個人にとっても会社にとっても大きな意味がある。

さらに星ノ環では、次の勤務開始までに連続9時間の休息を付与する「勤務間インターバル制度」も導入している。これは、レタス栽培などでは早朝の作業も多く、残業があると翌日の勤務までに十分な休息時間を確保できなくなることが多いからだ。これを防ぐために働く時間を調整することで制度を実現している。

みんなが安心して自立できる環境を

また、星ノ環が「農業の未来をつくる女性活躍経営体100選(WAP100)」に選ばれた際、評価されたもう一つのポイントがある。それは「自立型人材の育成」。星ノ環の考える「自立型人材」とは、いかなる環境においても自身の能力を発揮でき、自ら道を切り拓く姿勢をもっている人材のことだ。

昭和村は、比較的早いタイミングで外国人技能実習生の受け入れを始めた地域のひとつ。星ノ環も法人化以前である1996年から、のべ50名以上の外国人技能実習生の受け入れを行ってきた。

外国人技能実習制度とは「技能、技術又は知識を開発途上地域等へ移転することによって、当該地域等の経済発展を担う『人づくり』に寄与すること」を目的とした制度だ。ただ、本来の目的ではなく、単なる労働力確保の手段として受け入れている組織もあり、これは大きな社会問題となっている。星ノ環ではあくまで本来の目的である「帰国後の母国での活躍」から逆算し、そのための就労・育成体制を整えている。

例えば、単純労働だけでなく、将来の活躍につながる多様な業務経験を積むためにも日本語は欠かせないため、日本語能力の向上のために以下のような様々なサポートを行っている。

・日本語能力試験の初回受験費用の補助

・試験対策として業務時間外にも学習をサポート

・試験合格者には奨励金を支給

・日常業務の中で日本語を使う機会を増やす

以前は働く期間が3年間と定められていた外国人技能実習制度だが、制度が見直されて現在では「技能実習生3号になると最大5年間、その後特定技能に資格変更すると更に5年間」と最大10年間働くことができるようになっている。さらに現在では特定技能2号に合格するとさらに長く働くことができ、家族の帯同もできるようになった。

特定技能実習生になると引き続き働きながら将来に向けてさらなる実践的な経験を積めるうえ、雇用している会社としても技術・日本語を習得したスタッフに長く働いてもらえるため、双方にとって良い関係性が継続できる。

また星野さんは、彼らが安心して意見でき、どんなことでも相談できるよう積極的に意見交換の場を設けたり、いかなるタイミングでも相談を受け付けたりと、心理的なハードルを取り払うために工夫を凝らす。

「私はどうしても『社長』として見られるので、遠慮して言えないこともあるだろうという前提に立っています。そういったことがなくなるように努力はしているものの、『伝えられたことだけが全てではない』という認識は忘れないようにしています」

さらには、いずれは帰国する技能実習生たちが母国に帰国してからどのように活動するかというプランを立てる起業ゼミも実施。そもそも出身の地域が農業に合わない土地だったというケースもあるため、農業の専門知識ではなく基本的な経営やビジネスの考え方について教えているそうだ。それは例えば、計画を立てることや、リサーチをすること。資源や物流について知っておくことも大切だという。

実習生の母国で結婚式に参列したことも

しかし、スタッフにとって働きやすい環境を整えるということは、少なからず経営上の負担が生まれるはずだ。星ノ環は、どんな哲学でこのような取り組みを続けてきたのだろうか。

「労働環境を整える=スタッフのため、だけではないんです。長く働いて高いスキルを身につけてもらうことで全体の仕事の効率が良くなりますし、結果的に会社の安定にも繋がります。そのためには、長期的な見通しと意志が必要にはなりますね」

また、星ノ環の育成方針は、「個人を見て、関係を深め、それぞれに適切なサポートをすること」。長期的に良いコミュニケーションを醸成しようとする姿勢を大切にしている。

「本人が成長したいと思うことが大事なんです。そのためには勇気がいるし、失敗することも必要。経験のないことにチャレンジするときには、ほぼ必ず失敗します。例えば、先日トラックを倉庫にぶつけてしまい廃車になってしまったのですが、話を聞いてみたら仕事を早くやろうとした結果のミスでした。誰かを事故に巻き込んでしまったり、本人が怪我をしたりしなくてよかったですし、この失敗から『焦っているときほど慎重に』という学びを得てくれればいいんです。若い時期に経験したことは、人生の中で必ず生きてきます」

「失敗してもいい」という考え方については、起業ゼミの中でもよく話していることだという。たとえば、こんなエピソードがある。

家族との時間を過ごすために一時帰国したスタッフが、地元で「サテ※」のお店を開きました。その際、周囲からは「失敗するからやめたほうがいい」と言われていたそうだが、本人は恐れずにサテ屋を開業。これについて、「お父さん(星野さん)から『失敗してもいい、まずやってみる』ことを学んだから、チャレンジできた」と振り返っているそうだ。

※インドネシア・ジャワ島発祥の串焼き料理。タレに漬け込んだ鶏肉などを炭火で焼き、ピーナッツソースをかけて食べる。

星野さんは、星ノ環の社長でありながらスタッフの父のような存在でもある。過去に受け入れた技能実習生の結婚式に出席するため、インドネシアまで飛んだこともあるという。そういった話からも、ともに働く仲間たちへの尊敬の念が受け取れる。

「彼らは家族からの期待を背負って、来たこともない日本という国に来ています。『兄弟を学校に通わせたい』とか『母国で家を建てたい』とか、夢があるんです。だから、彼らに成長を求める分、こちらも成長しなくてはいけない。」

経営者としての責任を果たすだけではない、星野さんの人間味あふれる関わり方。ここに、星ノ環が注目される農業法人である所以があるように感じられる。

「なんだかんだ、彼らと一緒にいること自体が楽しいんですよ。二十歳前後の子が多いんですけど、みんな素直で真面目で、成長も早い。日本に来た当初は電車やエスカレーターの乗り方も分からなかった子たちが、日本語をどんどん覚えて、喋れるようになって、普通車免許も取って。嬉しいですよ」

これからの農家にできること

地元の道の駅「あぐりーむ昭和」に開店した「ムラノナカ食堂」
「ムラノナカうどん牛すじ小どんぶり定食」うどんの上にきんぴらや季節の青菜を乗せて食べる、昭和村の家庭での食べ方

星ノ環は、2022年に飲食事業も開始。農園から車で8分ほどの場所にある道の駅「あぐりーむ昭和」内にレストランとカフェをオープンした。星ノ環の野菜をはじめとする地元食材や旬の食材を使い、村の魅力を内外に伝える。

「農業だけでなく食まで範囲を広げて、いろいろな可能性を探りたいと思っています。うちの野菜を直接食べてもらえるので、ダイレクトに反応が感じられて嬉しくなりますね。難しいですが、工夫次第でいろいろなことが実現できる面白い分野です」

ムラノナカ食堂の店長を務めるのは、20年あまり飲食店で経験を積んだ竹吉さん。星野さんの幼馴染でもある
食堂の隣では「ムラノナカ珈琲」を営業。2021年の「熱源な人」にも登場した、高崎市のtonbi coffee(トンビコーヒー)によるオリジナルブレンドを提供。実習生たちの母国・インドネシアの豆を使う

2019年〜2022年には社会人大学院(KIT虎ノ門大学院)にも通い、MBA(経営学修士)を取得した星野さん。新しい農家の形、よりよい会社を目指して、どんなことにも妥協せず取り組んでいるように見えるが、経営上の課題は尽きないという。

「人間同士の関係には正解がなく、想像以上の感動もある一方、傷つくこともあります。家族経営のときよりも、考えなければいけないことは増えました。それでも、ひとりの社長として『星ノ環の経営の形』を確立し、しっかり責任を果たしていきたいと思っています」

2024年2月9日、外国人技能実習制度に変わる新たな制度「育成就労制度」を設けるとした方針が政府によって決定された。働き方に関するルールや考え方が常に変化し続ける中、星ノ環はこれからどんな場所を目指すのだろうか。

「大切なことは変わらず成長できる環境を整えることを続けていきたいですね。星ノ環で働いているみんなは『お金』を稼いでるだけでなく、『良い暮らし』や『幸せ』のために働いているわけですから、安心して仕事に取り組み、勉強をしたり、新しいことにチャレンジしてもらいたい。いずれ帰国する彼らは、母国に帰ってからの時間の方がはるかに長い。帰国後の彼らが活躍し続けられるよう、日本で過ごした時間が価値あるものになったらいいなと思っています。」

登壇者

星野高章 有限会社農園星ノ環 代表取締役社長

昭和49年、昭和村生まれ。開拓農家の3代目として、高校卒業まで同村で過ごす。日本大学農獣医学部(当時)を卒業後、地元に戻り家業に従事。若手農業者の勉強会「三代目」や冬に花火を打ち上げる「昭和村に花火を上げる会」など地域活動でも活躍し、平成17年に「有限会社 農園星ノ環」を設立、社長に就任。