- REPORT
【じょうもう今昔物語】
まちづくりという「問い」に、あきらめず挑み続ける。前橋中央通り商店街振興組合理事長の大橋慶人さん
【湯けむりフォーラム×上毛新聞】
1887(明治20)年の創刊以来、群馬県内のニュースを伝え続けてきた地元紙「上毛新聞」。約135年分の歴史が詰まった紙面のデジタルアーカイブをひも解けば、まちの過去と人のつながり、先人たちの思いが見えてくる。
今回は「まちづくりの先達」をテーマに、各地のまちづくりをけん引してきた3人を過去記事とともに紹介していく。
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Contents
・住民主体のまちづくり団体「コムネットQ」
・若者が住み、集うシェアハウス
・「めぶく。」ビジョンが人をつなぐ
・「商店街とは何か」未来への問い
群馬県の県都、前橋市。上毛かるたに「生糸(いと)の市(まち)」と詠まれた通り、江戸時代から戦後まで繭、生糸の集散地として栄えた。
にぎわいと商業の核となってきたのが、9つの商店街から構成される前橋中心商店街だ。特に前橋中央通り商店街(前橋市千代田町)は、100年以上続く老舗店も多く、今も昔も変わらず前橋の「街」を象徴するメインストリートとなっている。
だが1980年代以降、中心商店街では映画館や商店の閉店、百貨店の撤退が相次いだ。行政が主導した再開発も、バブル崩壊や市長の交代を背景に方針が二転三転し、20年以上にわたって迷走。その間に郊外店の出店が加速し、市街地の空洞化に拍車がかかった。
現在では「めぶく。」をキーワードとするビジョンに基づき、前橋市街地を中心に民間主導の積極的な街づくりが進む。著名な建築家や若者たちが手掛ける飲食店が次々と開業。2022年10月に初開催された「前橋ブックフェス」は2日間で全国から約4万8千人が訪れ、かつてのにぎわいを再現するかのように中央通りを埋め尽くした。
人や企業を引きつける「何か」が起きている街―。変化の舞台となっているのが、前橋中央通り商店街だ。同商店街振興組合の理事長、大橋慶人さん(63)は「めぶく。」ビジョンができる以前から、市街地の活性化に挑み続けてきた。
大橋さんは2000年、衣料・化粧品を扱う家業の「鈴木ストア」を継いで社長となり、同組合の役員として空き店舗対策やにぎわい創出に奔走してきた。
「中心市街地の活性化はどうあるべきか。商店主になってから、さまざまな会議、専門家の講演会、提言づくりに参加した。その度に刺激を受けたけれど、それで終わり。結局、行動が伴わないと何も変わらないまま。市民が主体となって動く組織が、この街には必要だと感じた」
住民主体のまちづくり団体「コムネットQ」
大橋さんは自ら代表を務め、2000年4月に中心街再生を目指す「前橋中心市街地まちづくりネットワーク(通称:コムネットQ)」を市民約40人と設立した。当時の記事は、設立の目的について「調査研究や議論に終始してきたこれまでの市街地活性化策から脱皮し、実際に事業を行うことや、多彩な市民グループの活動を連携させ、街づくりに結びつけること」としている。
大橋さんも「中心街は都市の顔であり、市民共有の財産だからこそ、市民自身がかかわることが重要」とコメントし、主体的なまちづくりを訴えた。メンバーは20〜30代の若手が中心。街中でやりたいことを自由に意見を出し合って、6年間で大小300近い事業を展開した。
現在も継続している事業もある。松井淳・前橋工科大学助教授(当時)を会長とする空間部会は、街中の空地に緑を植栽したコミュニティーガーデンづくりに取り組み、中央通りと前橋テルサを結ぶ遊歩道「グリーンウォーク」(前橋市千代田町)を整備した。
現在は中央通り商店街と前橋市まちづくり公社が管理し、大橋さんが日々の水やりや手入れを担当。四季折々のハーブや花であふれる遊歩道は、市民に癒しを与えるスポットとなっている。
「現在の前橋市のコンセプトにも『グリーン&リラックス』がある。街をデザインされた森(緑)で包むことで、クリエイティブな暮らしを実現するという考え方。『コムネットQ』も当時、魅力的な緑の空間を点在させることで、人の交流を生み出すことを目指した。前橋工科大学の学生たちが測量やプランニング、設計をして、地元中央小学校の児童が植栽を担当。多くの人が関わることで、商店街と人のつながりができたと思う」
にぎわい創出を目指し、多彩なイベントも手掛けた。思い出深いのは、商店街を縦断した流しそうめんだ。中央通り商店街の傾斜を利用して、150㍍の流しそうめんに挑戦。商店主や若者たちが前日から竹を組んで台を用意し、当日の朝までうまく流れるか調整した。
「話題性もあって、流しそうめんは大人気。若者たちが本当に頑張ってくれて、商店街はたくさんの人でにぎわった。一方で、人が来れば物が売れるという単純な話ではない、と気付いた。商店街は売り上げを、市民団体はにぎわい創出と、それぞれ目的が異なり、全員のやりたいことが一致するのは難しい。商店街という枠組みのまちづくりに限界を感じた」
そんな時、家庭の事情で会の活動に時間が割けなくなり、代表を継続するのが難しくなった。後任も見つけられず、結果として「コムネットQ」の活動は6年間で終了せざるを得なかった。
上毛新聞では、前橋市街地再生がテーマの記事(2006年10月14日付)で、 「コムネットQ」が「活動が持続化可能なにぎわいに結び付かなかった」ことを理由に「発展的解散」に至ったと伝えている。
同じ記事の中で、大橋さんは市街地の在り方について言及した。
「このまま郊外店が発展して中心市街地が廃れたとしても、ふるさと前橋の中心はやはりここだと思う。地方都市の中心街には商業的な要素だけでなく、文化や伝統、歴史、人が集まるコア(核)としての役割がある」
※太字は記事の引用
若者が住み、集うシェアハウス
商業的な要素でなく、人が集まる核とは何か―。
大橋さんは、次に関わるシェアハウス(複数人が共同で暮らす賃貸物件)づくりで、商店街を「若者が住む街」として再定義する活動に取り組んでいく。
上毛新聞でも2013年ごろから「シェアハウス」の記事が増えていく。きっかけは、大橋さんらが手掛けた学生向け集合住宅「シェアフラット馬場川」だった。
前橋工科大の石田敏明教授(当時)が「若者が街中に住み、集うような住空間をつくりたい」と要望し、大橋さんが物件探しに協力した。前橋中心街の中央通りと馬場川通りの接点にある空きビルに目をつけて、オーナーと交渉してシェアハウスの活用に理解を得た。
大橋さんら商店主と市民有志で「前橋まちなか居住有限責任事業組合」を発足し、事業化に向けて議論を重ねた。その成果を試そうと、商店街の活性化を支援する「群馬県商店街活性化コンペ事業」に応募し、2012年度は優秀賞、2013年度には最優秀賞に輝いて100万円の補助を受けることに。大口出資の見通しが立ったことも後押しとなり、改修工事の開始に踏み切った。
ところが、中間の支払いの段階になって、大口出資の話が白紙の状態となった。「自分のお金で続けるか、違約金を払って中止にするか、3日くらい悩んだ。でも自分が出資をお願いした人もいて、後に引けない。貯金も全て失う可能性もある、と妻に説明したら『学生たちのシェアハウスって面白いね』と一言。『私も協力するから一緒にやろうよ』と応援してくれた。シェアフラット馬場川は、妻の理解があったから実現したと思う。本当に感謝している」
工事費の中間払いに間に合わせるため、親戚や青年会議所の先輩たちに頭を下げて2週間で1千万円の出資金を集めた。最終的には、経営者からの出資と日本政策金融公庫からの借入金など約4500万円をかけて、1階はテナント、2、3階に計11部屋と共用スペースを備えたシェアハウスに改装した。
2014年のオープン以降、入居率は8割以上と順調に推移している。学生や若者の中心商店街への居住に取り組む先進事例として、経済産業省が選ぶ「がんばる商店街30選」(2014年度)にも選定されるなど、全国から注目を集めた。
「ことし7月に借り入れの返済が終わり、来年からようやく出資者に配当を出せる。ここまで苦労してきたが、シェアフラット馬場川の成功で弁天通りにも同様の施設ができるなど、商店街全体への波及効果もあった。入居学生や遊びに来た友人が建築士やデザイナーになり、今では前橋のまちづくりに関わっている。ここが前橋と若者をつなぐ場となったことが、何よりうれしいし、やってよかったと思う」
「めぶく。」ビジョンが人をつなぐ
大橋さんたちが一歩ずつ、着実に積み重ねてきた中心街のまちづくり。
2016年8月に前橋市のビジョン「めぶく。」が制定されたことで、前橋中央通り商店街は大きな変化の舞台となっていく。
米国・ポートランドの人気パスタ店の第一号となる「グラッサ」、和菓子店「なか又」、海鮮丼専門店「つじ半」など、有名建築家の手掛ける店舗が、通り沿いに次々とオープン。隣接する馬場川通り沿いに、話題のアートホテル「白井屋ホテル」や米国・カリフォルニア州発祥の「ブルーボトルコーヒー」が開業すると、若い世代が街中を歩く姿が目に見えて増えていった。
「『めぶく。』変化の起点となったのは、眼鏡チェーン『JINS』を展開する『ジンズホールディングス』CEOの田中仁さん(前橋市出身)だ。田中さんが街づくりに関わるようになり『前橋にはビジョンが必要』と言われた時、最初は正直ピンとこなかった。でも『これまでのまちづくりは、それぞれが点で動き、つながらないまま終わっていた。それは街をどうするかという共通認識がないから』と指摘され、なるほどと思った。なぜ今、中央通りに新規出店が相次いでいるのか。それは同じビジョンの下に、人と人がつながり、同じ思いの人を呼んでいるから」
前橋中央通り商店街に人が集う「ハブ」となるのが、「まちの開発舎」社長の橋本薫さん(45)だ。2015年からビジョンの作成に関わり、「前橋まちなかエージェンシー」代表理事として、地元商店街への説明や関連イベントの運営など「めぶく。」ビジョンの普及と実現に力を尽くしてきた。
橋本さんは2018年、中央通りの空き店舗を改装して、まちづくりの拠点となる複合施設「comm(コム)」を開業した。これをきっかけに、大橋さんの推薦で前橋中央通り商店街振興組合の理事に就任。大橋さんは、橋本さんについて「前橋と外をつなぐ結節点として、これからのまちづくりに必要な人材。商店街で生まれ育った自分にはできない役割を果たしてくれる」と期待を込めた。
橋本さんは「僕の方こそ、大橋さんのまねはできない。シェアフラット馬場川の時もそうだけれど、自らリスクを背負って動く姿勢は本当にすごい」と尊敬をにじませる。「前橋中央通りに活気が戻っているのは、大橋さんが『めぶく。』ビジョンを地元に対して丁寧に説明し、若い世代を巻き込んできたから。大橋さんがここで、あきらめずに動き続けている、それが商店街の力になっている」。
その上で「comm(コム)と『コムネットQ』が似ているのは偶然ではない」と明かす。「2つの名前にはコミュニケーションの意味が共通しているとともに、その響きには過去へのリスペクトがある。『めぶく。』街は、外からもたらされた関係だけでなく、大橋さんたちが続けてきた街づくりの連続性の上に成り立っている」
「商店街とは何か」未来への問い
大橋さんや橋本さんの活動を見て、まちづくりに関わりたいというプレイヤーが中心市街地に次々と参入している。
前橋に人を引き付ける「めぶく。」とは何か。橋本さんは「『めぶく。』は答えではなく、問いを提供する場だ」と強調する。
「何をすれば、何があれば、街は活性化するのか。人はどうしても分かりやすい答えを求める。商店街だった場所が、今なぜ商店街といえない場所になっているのか。その問いに対する仮説を持った人が集まる場、それが『めぶく。』だと思う。その問いは大橋さんから自分に、そして次の若い世代に継がれていく」
まちづくりに関わった20年を振り返り、大橋さんもあたらめて「商店街とは、街とは何か」という問いを自らに投げ掛けている。
「私が家業を継いだ時は空き店舗もなく、ここは商店が軒を連ねる『商店街』だった。でも、この場所の現状に『商店街』という言葉はふさわしくない。物販を扱う専門店だけが商店ではなく、commのようなコミュニティースペースやシェアオフィスなど、今の時代と人のニーズに合った店舗がもっと増えていくといい。ウェルビーイングを実現するサービスで、もう一度、商店街を再構成する。それが、前橋の街を守り、新しい価値を生む場所にするための、自分の仕事だと決めている」
取材日:2023年2月6日
制作:上毛新聞社
執筆者:上毛新聞社営業局デジタル営業部 和田早紀