- REPORT
【熱源な人】浅間山麓で真冬も人気のキャンプ場を中心に、林業・養蜂業も含めた地域資源循環型事業を展開する きたもっく・福嶋誠さん
道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと湧き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。
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山多き群馬県にあって、浅間山を目の前にした時にまず浮かぶ言葉は「圧倒」かもしれない。幾度となく噴火を繰り返し、今なお活動を続けている活火山。その麓に、年間10万人が宿泊し日本一と呼ばれるキャンプ場、北軽井沢スウィートグラスはある。
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運営する有限会社きたもっくは製材業や林業、養蜂業も手がけている。浅間北麓の地域資源を価値化し、各事業を繋げ、持続可能な形で循環させる実践が高く評価され、2021年にグッドデザイン賞金賞を受賞した。
全国から注目されるその事業体のはじまりは33年前、人も木もない牧草地にきたもっく代表取締役の福嶋誠さんが立つところから始まる。
東京ドーム2個分にもなる広大なスウィートグラスの中には、テントサイトやバンガロー以外にも、子どもも大人も夢中になるツリーハウス、薪焚き風呂、ナラやエンジュや白樺などの雑木が生い茂るおしぎっぱの森など、自然と親しめる場所が数多くある。軽食が摂れて自社で取り組む養蜂業のはちみつも販売しているアサマヒュッテで、誠さんにお話しを伺った。
木を植え続けた男
「浅間のロケーションも非常に良かったですし、活火山の影響ですけど平たい大地がありました。そこをどう表現をしていくかを考えて、キャンプ場を開業したのは1994年、民間キャンプ場の草創期です。アウトドアが好きだからとか、キャンプ場が好きだからとか、そこから始めたわけではなかった」
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北軽井沢で生まれ育った誠さんはその地を一度離れ、千葉で印刷デザインの仕事をしていた。昼夜逆転の仕事と生き方に疑問を感じ、妻の明美さん、子ども2人と共に北軽井沢へ戻ったのは40歳の頃。父親が持っていた土地をどう表現しようか考えた時に、キャンプ場でもやってみるか、と思ったという。
父親に告げると「地べたに人を寝転がして金を取る?バカ言ってんじゃない」と諭された。それでも誠さんは、この土地と向き合うことに没頭する。人が留まるには樹木が必要と考え、資金もない中木を植えることから始めた。最初は一人で、色々な人に相談し協力を仰ぎ、キャンプ場のオープン後も継続して、10年もの間木を植え続けた。
「木を植え始めたころ、8割以上は枯れました。もみじやカツラを植えて、この辺はツツジが自生していたのでその関連を植えたけれど、全部枯れました。絶望的でした」
地元の職人や町外の植木屋に頼んでも駄目。5000本植えても根付くのは1/5程度。浅間山周辺に自生する植物は生き生きとしているのに、人為的な植樹は弾かれてしまう。しかし、この失敗こそが誠さんに大きな気付きを与えた。
「最後はもう破れかぶれで、ある一定のエリアにとにかくガパッと色々植えた。野菜ではあったけれど、樹木の混植というのは当時なかったんですよ。それをしたら初めて何本か定着した。後になって解ってきたのは、木は根を張って大地から養分を取り込み生きているということ。地べたの下には非常に多様な生態系が存在し、それが十分な活力を持っていないから定着しないということがわかった。それは私にとってはすごい発見でした」
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自然をどうにかする、ではなく、自然に従うということ。それは後にきたもっくが掲げる、ルオムという理念へと繋がっていく。
日本一のキャンプ場へ
木を植えながら1994年にオープンさせたキャンプ場。誠さんと共に代表取締役を務める妻・明美さんはオープン日のことをよく覚えている。
「オープン日、何の準備もできなかったんです。お金はないし、自分でペンキを塗るような状態で。宣伝もしなかったのに、人が来てこっちがびっくりしちゃって。そうすると不思議なもので、キャンプ好きな人が来るから色々手伝ってくれるんです。電気もそんなに引いてないから、キャンドルに火を灯して雰囲気を出したまでは良かったけど、火の後片付けは夜中にお客さんがしてくれました」
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キャンプ場についてアマチュアだった誠さんと明美さん。横浜で生まれ育った明美さんの目にもまた、この浅間の地は魅力に満ち溢れて映ったという。
「北軽へ来てからは感動の日々でした。星がきれい、花がきれい、雲がきれい。都会で育った人はこの感動を味わったことがないだろうから、お裾分けしたかったんです。豪華なホテルもあるけど、ちょっと不便で能動的に何かをした時にこそ気付きがあったり自信を持てたりするので、その環境を作りたかったんです」
誠さんが考える自然の多様性、明美さんが感じる自然の魅力が、共に仕事をするスタッフ、利用者へと伝わり、キャンプ場は大躍進を遂げる。誠さんは語る。
「民間のマーケットをどう捉えて事業化していくか。行政がやるキャンプ場は教育の場でした。キャンプに対するハードルを低めるためにどうするか。スウィートグラスのスタイルを徹底的に考えました」
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当時は、汲み取り式の便所、虫や草もあって当然、不便こそがキャンプなんだという風潮があった。既成概念を取り払い、初心者でも楽しめる環境を整えるためには、自身がアウトドア好きではなかったことが強みとなった。若い女性の利用を考えてパウダールームも充実させてはどうか。キャンプ場運営の仲間からは、ハイヒールで来させたい、などという言葉も出たという。
次いで注力したのはイベント。来場者に水鉄砲を持たせ打ち合いをするアトラクションは、それ目的の宿泊予約も入る人気ぶり。例年、浅間山が冬の装いを見せ始める11月に行われるアサマ狼煙では、広場に巨大なやぐらが建てられ、利用者はたいまつを手に持つ。肌を刺す寒さが、炎の熱さと混ざり合う。家族や友人の枠を越えて燃え上がるやぐらを囲む様子は、一つの小さな村のようにも見える。
特定の日に行うイベントだけではなく、来ればいつも楽しむことができるツリーハウスも魅力。今では日本を代表するツリーハウスビルダーとなった稲垣豊さんは、共にキャンプ場を作る仲間。飾りとしてのツリーハウスが多い中、稲垣さんが作るツリーハウスはその中に留まり、森をより身近に感じることができる。来場者が自由に遊べるツリーハウスからは子どもの笑い声が響き、宿泊ができるタイプは先々まで予約が埋まっている。
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イベントなどの取り組みは他のキャンプ場でも行われているが、スウィートグラスの名を全国へ知らしめた決定的な取り組みがある。それが、キャンプは夏の定番、という思い込みを覆した冬キャンプだった。
冬キャンプ、焚火ディスタンスの効用
コロナ禍のキャンプブームにおいて、冬キャンプという言葉を耳にした人も多いと思うが、その火付け役はここ、スウィートグラスだった。集客が多い夏場は稼ぎ時としてスタッフを増やし、集客が見込めないオフシーズンはキャンプ場ごと閉めることが一般的だった2012年頃に、スウィートグラスが冬キャンプを打ち出した理由は何だったのか。
「キャンプ事業は、人件費を流動費として扱います。スタッフは永年雇用しない。これだと業界が発展する基盤が作れないんです。大切なのは人ですから。通年雇用はどうすれば可能なのか考えた時に、業界の当たり前を思い切って変える必要があった」
スタッフを通年雇用するために決行した冬キャンプは、それまでごく一部のキャンプ好きだけが知っていた、冬の楽しみ方を広く知らせることとなった。
「土地に助けられたということもあります。ここはただひたすらに寒いんですね。マイナス15度ぐらいどうってことない。でも自然はすごくきれいなわけです。外はどんなに寒くてもシェルターに逃げ込めば暖かい。その仕組みを作っていくことが重要なポイントでした」
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暖を取るための熱源として何を使うか。電気や灯油も併用しつつ大切にしたのは生火(なまび)。コテージやバンガロー、キャビンには全室に薪ストーブを設置。キャンプ場の運営と共にきたもっくは、ストーブ事業も行うようになっていた。そして、ストーブよりもさらに火に近づくことができる焚火場も、施設各所に落とし込んだ。冬キャンプが広く支持されるようになった頃、誠さんは暖を取るだけの目的ではない生火の魅力に気付き、それが新たな事業の誕生に繋がった。
「焚火の効用がはっきり見えてきたんですね。自社での薪の製造が可能になり、焚火の新しい提案方法を組み立てている時に、コロナ禍になった」
誰しもが体験したソーシャルディスタンス。観光業は特に、感染を恐れ需要が激減した。その中にあって、風通しが良く人との接触も少ないレジャーとして、全国的にキャンプブームが訪れる。スウィートグラスも過去最高の収益を上げた。ここできたもっくはキャンプ場の拡大には舵を切らず、隣接した土地で新事業を始めた。それが宿泊型ミーティング施設TAKIVIVAだ。
社内研修や交流会で訪れた人たちは、会議室でのミーティングではなく、焚き火を囲んでコミュニケーションを行う。施設内には大きな調理施設や、薪料理が作れる特別な焼き台、飯炊き釜があり、皆で焚き火を終えた後に1人で静かに内省できる寝室もある。
「人と人が話し合う時は向き合います。焚き火はそうではない。焚火ならではの距離感、焚火ディスタンスがある。火を、同じものを見るってことは相対の関係じゃないんですね。横関係なんです。現代社会は、もう上下関係では人を動かしたり活力ある組織は生み出せない。働き方改革って色々あって、自分が1人になった時の思いと、チームで共有する部分がどう関連していくかが大切。でないと本気になれない。それが醸成される仕組みを作りたい」
コロナ禍が明け、一般的なキャンプブームは去りつつあるが、この事業にはそれを補う手ごたえがあると誠さんは語る。
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地域資源の価値化
2021年、きたもっくはグッドデザイン賞金賞を受賞した。きたもっくは、3次産業であるキャンプ事業から始まり、そこで必要な薪や木材を製材する2次産業を起こし、次いで1次産業である林業にまで事業の輪を広げた。キャンプ場だけに限らず、浅間北麓の地域資源の価値化に成功し、循環型事業を実践していることが高く評価された。物や施設に受賞が集中するグッドデザイン賞の中で、事業モデルが金賞を獲るということは、非常に印象的な出来事だった。
きたもっくの地域資源活用事業の拠点となるのが、スウィートグラスから2.6キロほど離れた場所にある、あさまのぶんぶんだ。ここは製材所、薪製造所、家具工房であり、林業や養蜂業の拠点でもある。野外には、きたもっくが所有する二度上山等で伐採された樹木から製材された板が山積みに積まれ、丸木1本がそのまま製材できる大型機械もある。
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製材された木材の一部は、キャンプ場で新たにコテージ等を建設する際に用いられる。闇雲な製造ではなく、自社内にすでに需要・消費があることが大きな強み。さらには木を伐採するアーボリ(高木剪定や危険木の伐採もできる安全技術資格取得者)や山道を作る技術スタッフ、建設業も自社社員が担い、一丸となって山と向き合う。
養蜂もまた、きたもっくが力を入れている事業の一つ。植物と昆虫類の共生関係は、人も含めた生態系の重要な部分。それを事業化できないかと考え、独自のはちみつブランド「百蜜(ももみつ)」を作った。大きな特徴としては、完全非加熱の純粋生はちみつであること。採蜜地ごとに分け、混ぜることをしないので、アカシアや藤、栗などの香りをストレートに味わうことができる。また、百蜜が入ったビールはキャンプ場でも人気で、地元長野原町の浅間酒造と作る蜂蜜酒もクオリティが高いと評判だ。
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ルオム、自然に従う生き方
どの業種においても人材不足が嘆かれている中で、きたもっくは志があるスタッフが多いように思われる。それはなぜなのか。
「若くて活力のある人たちを入れることはずっと大きなテーマなんですけど、都市の一極集中に対して利便性の違いは圧倒的。こんな山の中には交通から何からないんだから、いいことあるよ、って言ったってお話にならない。もうこれは生き方を問うしかない。自然が厳しいというのは大体の人にとっては苦痛ですから、ここでの生き方を法人として周囲に問いかける必要があった」
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そこで掲げた理念がルオム。これは北軽井沢と同じく長い冬と短い夏をもつフィンランドの言葉で、有機農法という意味の他に、自然に従う生き方という意味を持つ。人間中心で目先の事や効率だけを求めない。瞬時に最善の選択し、何事も冷静に受け止め、失敗は必ず糧にする。大切なことは、自然に対する畏敬の念を忘れないこと。フィンランドの友人からこの言葉を教えられた時、浅間の地に木を植えることから始め、様々な実践を行ってきた誠さんの理念と一致した。生き方としてのルオムを理念とし、それに共感する人に働きに来てもらいたいという方針を明確にした。
この考えは書籍「未来は自然の中にある。」(上毛新聞社)にまとめられ、また、やりがい重視の求人を掲載するウェブサイト日本仕事百貨にも取り上げられたことで広く伝わり、自分らしい生き方をしたいという人々が全国から集まってきた。グッドデザイン賞の金賞受賞も後押しになっている。スタッフの前職はデザイナーやアーティスト、木工職人や自衛隊員など様々。社内結婚も多く、地元の浅間小学校にはスタッフの子どもたちが大勢通っている。
最後に、誠さんの熱源はどこにあるのかを聞いた。
「青臭いところもあるので、社会課題に対して自分達の事業はどう関われるかっていうのはいつも頭の中にあります。現代日本でなぜこんなに問題が出てくるかっていうのは、人と自然の関係の取り方にあるって本当に思ってるんですね。その解決方法は、自然に助けてもらう他にない。自然は豊かで多様で変化も激しくて、でも安心できる。その効用を事業という形で人と繋いでいくことを、もう一回考え直してみたい」
自然の中に身を置くことで、見えてくることがある。
浅間山は今日も、圧倒的な存在感を放ちながらそこにあり続けている。
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ライター:岡安賢一 撮影:市根井直規
登壇者
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福嶋 誠 有限会社きたもっく代表取締役
長野原町北軽井沢出身、在住。
1994年 北軽井沢スウィートグラス開業
2009年 ASAMA STOVE開業
2010年 ルオムの森開業
2014年 あさまの薪開業
2019年 二度上山を取得し自伐林業を開始
2020年 TAKIVIVAを開業
2021年 あさまのぶんぶんを開業