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【熱源な人】発注のあり方を変え、優れた公共建物の実現に寄与した元県職員・新井久敏さん
道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと沸き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。
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デザインやコンセプトが優れた公共施設には力が宿る。しかし、その設計者を選ぶ方法は全国営繕主管課長会議の設計業務実態調査(2021年)によれば、都道府県や政令指定都市では59%、市町村では78%が価格の安さを競う入札方式による(件数ベース)。創造性や高い技術が求められる設計発注を金額で判断することは、公共施設の質の低下を招くことにもつながる。元県職員の新井久敏さんは発注側の課題を見直し、計画策定から専門家や住民を巻き込み、選考過程を広く公開する手法を確立。裏方として県内の良質な施設の誕生に多くかかわった。28のプロジェクトに協力した新井さんに話を聞いた。
設計者をやる気にしたプロポーザル
「なんでこの建物が選ばれたのかなぁ」、始めは素朴な疑問だったという。県の建築技師だった新井さんは、他にどんな案があったのか、審査団が選定案のどこが優れていると判断したのかを知りたいと思った。ある時、契約者に送った通知文を見せてもらう機会があった。「総合的な理由によって判断した」、やや漠然とした文章が記されていた。選考に漏れた人には同じように短く「残念ながら…」などとあり、文面から具体的なことはわからなかった。
入札は公平性、透明性の確保を根拠に採用されるが、見方を変えれば価格以外の差を対外的に説明しにくいという弱点がある。これに対し、企画内容を重視した選定方法にはコンペやプロポーザルがある。コンペは、図面をきっちり仕上げて設計案を競う方式だ。プロポーザルは労力やお金のかかるコンペを簡略にしたもので1990年代から増えてきた。細かな設計案の代わりにコンセプトや大まかなゾーニングを提案してもらい、プロジェクトをまかせられると判断した“人”を選ぶ方式だ。
新井さんが初めてプロポーザルを導入したのは、自然環境課で担当した妙義山と万座の小さな公衆トイレだった。
「自然豊かな登山口にその辺にあるような公衆トイレを建てるのはさすがに違うだろうと。これから山に入る時、あるいは下山してほっとした時に使うトイレですから、もっと周辺環境を考慮したトイレにするべきだと思ったんですね」
工事の発注業務が山積みの県土整備部で入札以外の方法を試すのはハードルが高かったが、自然環境課が発注する設計業務はわずか。課内の建築技師は新井さん一人で、新しいことを試す余地があった。
「県土整備部では毎年何百もの新築工事を発注していますから、ルールができあがっています。その中でプロポーザルを試すとなると、なんでそれだけ違うことをするのか、特別な建物ならともかく、なぜ公衆トイレでそこまでと思われますよね? 自然環境課は環境森林部だから新築工事の発注はわずかでしたし、こういうふうにやりたいと話せば、それはいいねと賛同してくれる空気がありました」
新井さんはさっそく知り合いのつてをたどり、早稲田大学教授(当時)の中川武さんを始め、さまざまな専門家の意見やアドバイスを吸収した。現場の設計者や大学の先生の話を聞くと、入札からプロポーザルなどに方式を変えればいいという単純な話でないこともわかってきた。プロポーザルやコンペを実施しても、判断基準は数値化しやすい事務所の規模や実績に左右されがちで、大手の事務所から独立したばかりの有望な設計者になかなか仕事が回らない現状が見えてきた。公正な判断をするためには審査側に実力を見抜く目を持ったスペシャリストをそろえることも欠かせない。新井さんは、課題を踏まえたプロポーザルをイメージしていった。
1998年に行った妙義山公衆トイレは指名方式のプロポーザルを実施。力のある設計者がいる県内8つの小さな事務所に声をかけ、新しい風を呼び込もうとした。翌年、環境省の委託で行った万座公衆トイレのプロポーザルは中川武さんに審査委員長を依頼し、県内を対象に初の公募型プロポーザルを行った。20の応募があった。
「そうしたらかなり良い案が出てきて、県内の設計事務所も結構やるなぁと思いました。『安いからあなたにお願いします』と言われるのと、『あなたを見込んでお願いします』と言われるのでは、そりゃモチベーションは違ってくる。小さな公衆トイレでもエネルギーのかけ方が全然違うわけですよね」
手応えを得た新井さんは2000年、鹿沢園地自然学習施設の整備事業で、募集枠を全国に拡大して指名型プロポーザルを行った。この事業は、自然環境の中での公共施設のあり方をとらえ直した視点が大きな評価を受け、業績部門で日本建築学会賞を受賞。設計した平倉直子さんと共に新井さんも土木学会デザイン賞を受賞した。
コンペの可能性広げた住民参加
選定方式の工夫が設計者の情熱を引き出すことに気づいた新井さんは、市町村にも活動の場を広げていった。県から派遣という形で協力することもあったが、多くは休暇や勤務時間外を当てたボランティアワークだった。
初めて全国公募型のプロポーザルを実施したのは、中里村庁舎(現・神流町中里合同庁舎)だった。2000年、新井さんは同村を管轄する藤岡土木事務所に異動になっていた。平成の大合併の先陣を切って万場町との合併を控えていた中里村は、地域コミュニティの衰退を回避するためにも住民の心のよりどころとなるような新庁舎ができないかと考えていた。
村長の切実な思いを受け取った新井さんは、全国の建築家に問いを投げかけてみることを提案。結果346点の応募が集まり、公開審査には村民や一次審査の落選者などがあふれんばかりに会場の体育館に詰めかけた。選考過程の公開が関係者の参加意識を高めることを示した事例となった。
2001年、「うちも中里村のようにやりたい」と打診をしてきたのが東毛の邑楽町だ。新庁舎と多目的ホールの建設プロジェクト準備室は、計画策定から住民参加でやりたいと意欲的だった。相談を受けた新井さんは協力を承諾し、組織作りや運営に伴う事務作業を支援した。町は37人の町民からなる邑楽町役場庁舎等建設委員会を設立。町民委員の意見を取りまとめる専門家として中川武さんが委員長に就任した。邑楽の計画は住民参加と公募型コンペを両輪とする画期的な体制で進められていった。
「住民の意見を吸収しながら、世界に誇れるものを作ること」と応募要項に宣言されたコンペには、全国から335の案が寄せられた。建築家の山本理顕さんが最優秀賞に決まった後も、委員会のワークショップや分科会は延々と続いた。山本理顕設計工場も30近い検討案を提示し、町民の情熱に応えた。「町民委員は40人弱でしたが、次第に邑楽町民2万7000人のことを踏まえた意見が出るようになった」、新井さんはそう振り返る。庁舎案はメンテナンスが容易になるよう立体格子を並べた平屋だったことから、ある町民は「これなら私たちでも掃除ができるよね」と建設後も庁舎にかかわる意志を見せた。子どもたちが将来使いやすい庁舎は? 未来の世代を考慮する視点も出てきたという。
だが、情熱を注いだ計画案は日の目を見なかった。発注を目前にしたタイミングで町長選があり、現職町長が負けて計画が見直しになったためだ。「住民自治の芽が摘みとられてしまったことが何より残念でした」。新井さんは未竣工に終わった邑楽の一件をずっと引きずっていると話す。
その思いは今、地元富岡のまちづくりにつながっているのかもしれない。2011年、新井さんは、県の都市計画課が実施した上州富岡駅舎のコンペを支援したことを機に、駅まち会議を発足させた。行政、住民、専門家、設計者を巻き込み、設計と施工、まちづくりを一体化させて進めていく試みだ。
新井さんはうまくいかなかった事例からも多くを学んだと語る。設計者の選定プロセスは、公正な審査団を組織し、力のある設計者を見定めることも欠かせないが、それだけでもない。選考過程をできるだけ多くの人と共有し、巻き込み、一丸となってデザインできるような流れを仕掛けることも大切だ。そして、最終的に施設が完成するかどうかはやはり自治体の首長の意向が大きい。活動の意義を首長に直接届け、バックアップを得ることは欠かせないという。
良い公共建築は、官民連携の過程で生まれたさまざまなアイデアや活動を地域に広げ、社会を豊かにする力を持っている。それは新井さんが長年の活動を経験して実感した一つの答えだ。
外に出よう、全国に仲間を作ろう
新井さんは2017年、東京建築士会が選定する「これからの建築士賞」を受賞した。未来につながる新しい活動分野を切り拓き、社会貢献をした建築士に贈られる賞で、新井さんは公共施設発注の選考過程を“再設計”した業績が高く評価された。
「新井さんに続く県職員は?」とよく聞かれるそうだ。「それは正直痛いところ。次に続く人を育てられなかった」と新井さんは言う。インタビュー中も繰り返し携帯に着信があり、新井さんの姿を見かけた知り合いの技術者や市民が次々と声をかけてくる。顔の広さを数時間の取材の中でも感じた。後継ぎは育てられなかったが、「相談にはいつでも乗りますよ」と、心強い。日本建築学会や土木学会、建築関連の協会など公的団体や民間のコンサルタント事務所に一連の作業をそっくり委託することもできるが、委託先やコストを検討するのも実際は悩ましいところだ。新井さんのように気軽に相談できる元県庁職員の存在は大きい。
ただ、一方で新井さんのような稀な公務員や理解のある首長の出現を待っていては、根本的な改善にはならないことも事実だ。近年は法の整備を求める声も出てきている。日本でいまだに入札が大勢を占める背景には、明治22年制定の会計法や地方自治法が知的生産物と物品購入を同列に扱っていることがある。会計法には知的生産物も原則入札が義務づけられ、「これに付することが不利と認められる場合において例外的に指名競争入札が認められている」とあり、地方自治法でも「随意契約は一定の政令で定める場合に限る」とされている。こうした記載が入札を正当化する後ろ盾になってしまっている。
フランスでは公共建築の発注をコンペに限る法律があり、選定前の二次審査に参加する設計者には妥当な対価が支払われる。そして、必ず若手の建築家を入れなければいけないルールがあるそうだ。日本では二次審査でもほとんど報酬は支払われず、若手への配慮もないことから、公共建築発注の現状に詳しい東北大学大学院の小野田泰明教授は、日本は「収奪的焼き畑農業を続けている」と鋭く批判している。
新井さんの活動は県庁内では異端児とみられたのは事実だが、時期が早過ぎたのかもしれない。公共施設の新築件数が10数年前に比べて減ったことにより、プロポーザルやコンペに住民参加を組み合わせ、コミュニティデザインを試みる手法は今後増えていきそうだ。まず、発注側の自治体職員が「やってもいいんだと思ってほしい」と新井さんは言う。
新井さん自身の情熱を支えたのは、使命感よりも人脈が広がる楽しさだった。
「楽しくしようよ、というのが基本にありました。時間的、内容的にはしんどいですけど、結果的には楽しいから動いていたのだと思います。あとは喜んでもらいたい思いもありました。高崎市役所に出向した際、プレハブで計画されていた学童保育所を先生とのヒアリングを経て予算はそのままに木造とし、公共施設では珍しく上棟式もやってお餅をまきました。完成したら、先生や子どもたちから感謝の言葉や手紙をたくさんもらってスッゲェうれしかったんです。公共施設を担当していて、実はそういう声を聞く機会はほとんどないんですよ」
新井さんは2016年に県を定年退職した。3月、渋谷・代官山で退職を祝う会が開かれた。発起人はプリツカー賞を受賞した建築家の妹島和世さん、日本建築学会長も務めた早稲田大学教授の古谷誠章さんらそうそうたる顔ぶれで、会場には新井さんを慕う建築・土木関係者が詰めかけた。
「そういう人たちと知り合いになったことは、何にも代え難い財産ですよ。彼らと話をするといかに普段やっている入札がもったいないかわかります。きちんとやらないといけないって気にさせてもらいました」
県庁の外の世界を見ることで、公共施設発注の現在地を俯瞰したのが、新井さんの仕事だった。その視点は高校生の頃に情熱を注いだ汽車のある風景写真からずっと一貫している。外の広い世界を見よう、全国に仲間ができれば、自ずと背中は押される。優れた公共施設を作るための第一歩はそこだと、新井さんの活動は教えてくれる。
ライター:岩井 光子、撮影:市根井 直規(合同会社ユザメ)
登壇者
新井 久敏 公共建築アドバイザー/一級建築士
富岡市七日市生まれ。中央工学校卒。1979年群馬県入庁。土木事務所、建築課、自然環境課、高崎市出向など建築行政にかかわりながら公共施設発注のプロポーザルやコンペを黒子やボランティアとして支援。2016年に県を退職後も全国の自治体の設計者選定やまちづくりにアドバイザーとしてかかわる。
2023年日本建築学会文化賞 受賞(日本建築学会HP資料)