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【熱源な人】農を軸にした暮らしを実践する無農薬栽培の開拓者 秋山農園園主・秋山次男さん

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道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと沸き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

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『熱源な人』はリレー記事です。前回お話を聞いたトンビコーヒー間庭さんご夫妻に推薦していただきました。(前回の記事はこちら

【推薦コメント】

40年も前から自分たちの農業にこだわりを持って取り組んでこられたお二人。そのきっかけや今までの苦楽なども気になりますが、特に、お二人の人間力がすごいんだろうなと思っています。世代を超えて支持されている秋山農園さんの熱量を感じたくて、知りたくて、学ばせていただきたくて推薦させていただきました。私たちの仕事(コーヒーとケーキ)も農産物あってのものです。だから、感謝、そして尊敬しています。

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Contents

農にこだわる暮らしは面白い
みそ仕込み体験とおいしいご飯
農業のハードルをどんどん下げよう
孤軍奮闘していた頃を振り返って

六条大麦茶や玄米もちのおいしさが忘れられなくて、足を運ぶ人が多いという藤岡の秋山農園。力のある食べものに出合うと、人はそれがどんな場所でどんなふうに作られているのか知りたくなります。持続可能な社会を志向した生活がますます求められる昨今、農を軸にした暮らしを長年実践してきた秋山さんの言葉にはたくさんのヒントがありました。

農にこだわる暮らしは面白い

今、私たちは食料品は外で買うものだと思っているが、昔の農家は家族の食べものはできるだけ自分たちで作った。余ったら販売し、そのお金で自分たちでは作れない道具などを買った。

奥深い山里ではなく、秋山農園は都市の郊外にある

秋山農園がすごいのは、そんな暮らしを今、藤岡市の郊外で実践していることだ。周囲には小学校や鉄骨メーカーがあり、主要県道の前橋長瀞線が近くを走る。園主の秋山次男さんはここで40年前から無農薬で野性味あふれる麦や米、大豆、小豆、野菜などを育ててきた。

「もっと自然度の高い土地でやりたいと思った時期もあったけど、途中からここでどれだけやれるかという方向性に気持ちが切り替わった」と秋山さん。ほぼ初対面の私たちに終始、心を開いて話をしてくれた
“コケコッコー”、取材中も時折、鶏の雄叫びが響き渡る。のどかなBGMに癒される

長年の試行錯誤を経て生産が安定してきた大豆と小豆は、不耕起草生栽培と呼ばれる栽培法で育てている。

「不耕起草生栽培は、畑を耕さないで草を生えたままにします。草刈りはするけど、草が一緒にいてもらった方が良い感じ。大豆は地大豆で、小豆は田んぼのあぜに昔から作られてきた伝統品種。特に小豆は野生に近くて発色も良いから、ちょっと見てみて」、園主の秋山次男さんはそう言って、黒く輝く宝石のような小豆を見せてくれた。

地大豆と小豆。小豆は本当に黒に近い濃い色をしている

不耕起草生栽培で大豆や小豆を作ると、土も良くなるそうだ。「有機農業は周囲の景観を維持することと同義。両者は切り離せない」、秋山さんは言う。だから、周辺でちょっとした土木工事が行われるだけでも締めつけられた土は大きな影響を受け、元に戻るまでには5年も10年もかかってしまうそうだ。もちろん、近くに育つ作物も影響を受ける。

「最近はいずれ気候変動の影響が及ぶから、コツコツ農業なんかやったってダメだよ、なんて言い出す人まで現れ始めた。でも、そもそも自分たちがどういう暮らしをして、どういうものを食べてきたか。いかに地域で農にこだわって生きていけるかをもっと大事にしないと」

秋山さんはその土地で農と共に続いてきた暮らしを手放さないことがいかに大事であるかを、できるだけ柔らかく、楽しく伝えようとしている。

「だって、農業は大変だ、もうからないって農家自身が言っちゃうでしょ。それじゃ自ら農業のハードルを上げてしまっている。農業は本来面白いってことをきちんと伝えてこなかったし、若い人たちに農業を楽しむチャンスを与えてこなかったんじゃないかな」

みそ仕込み体験とおいしいご飯

地大豆を使った冬のみそ仕込み体験はもう二十年続く、秋山農園の恒例行事だ。夏場の枝豆を食べる会とセットになっていて、参加費は前払い制。秋山さん家族はそのお金で小屋を修理したり、必要な道具を買ったりする。冒頭の、昔の農家の自給自足経済を思わせる支援会員制度だ。 ※現在はコロナの影響で一時休止中。

1月中旬、みそ仕込みを見学させてもらった。

炊いたばかりの大豆。甘味がある
ピンと張り詰めた冬の冷気のなか立ち上る湯気。温かな大豆の煮汁が参加者に配られる。豆を煮ただけなのにポタージュのような濃厚な味がする。「おいしい!」と参加者から驚きの声が上がる
大きな木桶を4、5人で囲むので、ここで世間話も弾む
塩以外の原料は全て自家製。「麹作りは高崎でみその作り方を教えていたおばあちゃんのところに数年通って習った」と秋山さん

薪をくべた鉄釜で炊いた大豆を細かくすり、木桶で米麹、麦麹、塩と混ぜ合わせていく。ほどよく混ざったらソフトボール大の玉に成型し、甕(かめ)にパンッと心地良い音が響くよう投げつけて空気を抜く。玉が甕いっぱいになったら塩でふたをして完了。

加温して数週間でできてしまういわゆる速醸みそとは違い、天然醸造のみそはオールシーズン寝かせてじっくり仕込む。写真は甕にいれる前のみそ玉

参加者は女性や親子連れが多い。一般の常連客もいるが、パン職人など食のプロフェッショナルもいる。ほぼリピーターで、秋山さんの指示に従って慣れた手つきで工程をこなしていく。お楽しみは、妻の久美子さんが作る絶品のランチだ。農園で採れた無農薬の野菜を様々に調理した色鮮やかなお惣菜が三分づき米のご飯に添えられている。

大評判の久美子さんのお弁当とおみそ汁

農業のハードルをどんどん下げよう

秋山さんは最近、農業の敷居を下げるべくファームシェアにも力を入れている。無農薬栽培は作物の多様性を維持することで病気などを防ぐので、利用者には区画をあてがうのではなく、年々栽培場所を変える輪作に参加してもらっている。

例えば、秋山農園で作る小麦「農林61号」を原料に窯焼きパンやビスケットを作る吉井の「bien cuit」店主は、週一度農作業を手伝いに来る。報酬はお金ではなく、小麦で渡す。加工のプロが農と有機的に結びつく試みも、bien cuitをモデルケースに今後様々に広がっていくことを秋山さんは期待している。自家製酵母のパン工房を営む女性3人がファームシェアで小麦を育てる試みも昨秋から始まっていて、彼女たちは取材日のみそ仕込みの後、麦踏みを手伝うと話していた。

また、初心者向けのファームシェアとして3年目を迎えたのが、「マイ田んぼ」。負担になり過ぎない作業量で田植えから稲刈りまでをこなすことができるので、一度農業をやってみたかった人たちに「これなら続けられそう」と好評だ。

「田んぼは男手がなくても作業ができるようにしてあるからお母さんと子どもで十分。友人同士グループを作って作業を分担し合えば、ますます負担が減っちゃう。どうしても来られない時はうちが管理しておくし。農業のハードルをどんどん下げようと思っているんです」

「専業農家はハードルが高いから兼業や副業で十分と言われていますよね。だったら、みんなが面白がれるような場所を作ろうと。週一でも良いからリフレッシュがてら畑に足を運んでもらう。この辺りも遊休農地が増えているから、新しい人を育てながらみんながそれぞれ作りたいものを育てられる空間にしていきたい。まだ勉強中ですが、将来的には畑の規模を拡大して余剰分を販売するワーカーズコープ(労働者協同組合)のような仕組みができたら良いなぁと」

孤軍奮闘していた頃を振り返って

今のやり方にたどり着くまでの秋山農園の道のりを知りたくなる。秋山さんはどんな人生を送ってきたのだろう?

秋山さんは農家に生まれたが、両親には「農家は継がなくいい」と育てられ、大学に進学したが中退。その後はアメリカ人のポール・ラッシュ牧師が日本の農業復興モデルとして山梨に設立した清里農村センターに住み込み、働いた経験もある。妻の久美子さんとの出会いも清里だった。

取材中もずっと立ち会ってくれた秋山久美子さん

観光化する農村で働きながら、農を軸にした豊かな暮らしを自分で築きたい思いが高まり、帰郷。両親は離農して働きに出ていた。無農薬で家族の食べものを作り、余剰分を販売していこうと気持ちは決まっていた。だが、秋山さんが農園を始めた1982年、周りに同業者は見当たらなかった。有機野菜や自然食品宅配のパイオニア「大地を守る会」も当時は黎明期。除草剤や化学肥料に頼らない農業の付加価値を理解する消費者はまだ少なかった。親から「無農薬なんかできっこない」と言われ、けんかが絶えない時期もあったという。

小麦を石臼で製粉するために片道1時間半の製粉所にも通った時期も。「どれだけ子どもたちが面白がってくれるか、喜んでくれるかが働きがいでした」、秋山さんはそう振り返る。「自分一人でじたばたするのが好きだったから、同業の仲間を作る方面に力を入れてこなかったというのもあるけど(笑)」

「最初のうちは、米も麦も収量が少なくてとても売れる状態じゃなかった。今考えると手間かけすぎで効率の悪いやり方をしてたんだよね。俺は大変なことやってるんだって雰囲気も、きっと漂わせていたと思うよ(笑)。だから当初販売できたのは野菜中心で、車で引き売りしながら自分の足でお客を探して回って。今考えると度胸あったなと思うんだけど、月額を決めさせてもらって野菜を週一で届けるからこちらの生活を支えてほしいと。今でいうサブスクだよ」

興味を示すお客さんには農園に足を運んでもらい、暮らしの雰囲気も見てもらった。「で、気に入ったらお付き合いしてくださいと」。秋山さんはそうやって今に続く遠い親戚のような人脈を地道に築いてきた。象徴的なのが、農園ではすべての作物を無農薬で育てているが、有機認証は取得していないことだ。確かに秋山さんの人となりと、作物のおいしさを知っている人がお客さんであれば、認証マークは購買の判断基準としては必要ない。

秋山農園の名刺とすっきりと香ばしい人気の六条大麦茶。「名刺はまだ10枚も使ってない。今日が一番配ってる」と周囲を笑わせる秋山さん。秋山さん流の人間関係の築き方がこんなやりとり一つからもうかがえた

開園から40年、地粉や麦茶をおいしいと喜んでくれる人が増えてきた。「続けてきて良かった」。そして、今がある。

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「私は名前の通り次男坊なので、時代が違えば農地も持てなかった。でも、農業を辞める人がいるから、好きなように耕作できるチャンスも増えた。これでファームシェアでも皆さんに喜んでいただけるものをお渡しできるなら、“もうけもん”の人生ですよ」、秋山さんはそう言って笑う。

仲の良い秋山さん家族。取材日は2人の娘さんもたまたま帰省中だった
農園から見た近隣の景色

農園から見える高台の椿杜神社に高山御厨(みくりや)がある。歴史をひもとくと、平安時代に浅間山が大爆発を起こして上野国の畑がほぼ全滅になる大きな被害を受けた際、復興を願って神領となった場所。御厨とはつまり、伊勢神宮をまつる食料や布を備蓄した倉庫だ。その由来を知って秋山さんは少し運命的なものも感じたという。その近くで、いずれみんなで農や食の未来を考える農村センターのような場所が作れたら。まだ夢のような段階だけど。そんな構想も生まれている。

(ライター:岩井光子、撮影:合同会社ユザメ 市根井 直規)

登壇者

秋山 次男 秋山農園園主

1954年生まれ。清里農村センターに勤務後、帰郷。1982年に秋山農園を始める。六条大麦茶や玄米もち、地粉やうどん、地大豆などは秋山さんと交流のある店主のいる県内小売店で販売中。