• REPORT

【熱源な人】生産履歴が明確で良質なコーヒーを2006年から届けるトンビコーヒー間庭邦夫さん、優子さん

Share

道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと沸き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

ーーー

『熱源な人』はリレー記事です。前回お話を聞いたTOYS&GIFT MOMOの茂木さんからトンビコーヒー間庭さんを推薦していただきました。前回の記事はこちら

【推薦コメント】トンビコーヒーさんに「自分に対する静かな厳しさ」を感じます。そこが好きです。だからコーヒー豆は美味しいコーヒーになるのかな。街でお店を営みコーヒー豆を焙煎して販売する間庭さんを尊敬しているので推薦しました。

ーーー

その言葉がまだ一般にほとんど知られていない2006年から「スペシャルティコーヒー」と呼ばれる質の高いコーヒー豆だけを揃え、その味わいと楽しみを伝えてきた高崎市のトンビコーヒー。今や県内だけでなく全国に顧客がいるお店ですが、開店当初から順風満帆というわけではなかったようです。店主でコーヒー担当の間庭邦夫さんと、ケーキ担当の間庭優子さんにお話を聞きました。

楽しそうな大人に出会って

インタビューの場所は2021年10月高崎市にオープンしたecolabo cafe。トンビコーヒーがオリジナルブレンドを提供している。

群馬から東京に出て暮らした大学時代、間庭邦夫さんは喫茶店に興味を持ち、名物マスターがいる店を巡っていた。そこで働く人たちを見て、後の人生に影響を及ぼす考え方の変化が生まれたという。「それまではなるべく良い会社に入ることが人生の成功だと思っていたんですが、そんなことよりも楽しそうな大人がいっぱいいる、こんな仕事があるんだなということに気づいてしまったんです」

特に頻繁に足を運んだ千歳船橋の堀口珈琲で、ふと「みなさんどうやってお店を出されるんですか?」と聞いたのをきっかけに、卒業までの数ヶ月間アルバイトとして働くことになった。「今思えば、そのとき勇気を出して声をかけたのが全ての始まりだったのかな」と邦夫さんは振り返る。

卒業後一旦は群馬に戻りスーパーに就職。「ちょっと違うな」と感じていた矢先、堀口珈琲の社長から「もう一度働かないか」と声がかかる。「気持ち的にドンピシャなタイミングだったんで、会社をやめる手続きをする前に『行きます』と即答しました。親にも反対されましたけどね」

―いつかコーヒー屋をやりたいと思っていることをわかっていて堀口さんは声をかけてくれたんでしょうか?

「それはあると思います」

コーヒー業界激変の渦中へ

邦夫さんは再度上京し、堀口珈琲で働き始める。ちょうどそのころから、日本のコーヒー業界は激動の時代に入っていったという。

1990年代までのコーヒーは、基本的には「国」という大きなくくりでざっくりとまとめられて流通し、地域や生産者ごとの個性はほとんど問題にされず、品質も安定性を欠いていた。そのなかで手に入るものを、焙煎や抽出などの技でどう美味しくするか、いかに高く売るかというのが日本のコーヒー文化だった。しかし90年代後半から、より美味しいコーヒーのためにより良い豆を求める動きが一部のコーヒー業者を中心に出始める。

「(1996年に)スターバックスが日本に進出したことで、焙煎する前のコーヒー豆の質に明らかに差があるということを決定的に示されたんです。アメリカの先進的なコーヒー業者は、当時既に『現地に行ってより良い豆を仕入れない限りコーヒーのクオリティは上がらない』という意識があり、行動を起こしていました、どんどん産地に飛んでいたんです」

2000年ごろからいくつかの日本のコーヒー業者も良い豆を求めて積極的に産地を訪れるようになる。商社の意識はまだ「より良い豆」には向いておらず頼れない、ならば自分たちが行かなければと考えての行動。その中のひとつに邦夫さんの働く堀口珈琲もあった。

「産地へ飛んだり、商社に働きかけたり、味の客観的評価のためのカッピング(コーヒーの味や香りを評価するための手法)を勉強したり、あらゆることをして業界全体が変わっていった時代でした。堀口珈琲がそれを引っ張っているようなところがありました。僕もシアトルに最新の事情を見に行ったり、ハワイに研修に行ったりもしました。そういう意味では、面白い時代をジェットコースターに乗っているような気分でやっていました」

日本のスペシャルティコーヒー黎明期とも言える時期に、その目まぐるしい変化の渦中で7年ほど働いた。邦夫さんと優子さんはこの時期に堀口珈琲の同僚として出会っている。優子さんは製菓を担当していた。

帰郷そして開店

2006年の3月に退社し、同年7月にトンビコーヒーをオープンした。もともと「三十歳ぐらいで独立しようか」と考えていたことに加え、「二人でお店をやろう」という意思疎通ができたことが大きなターニングポイントになったという。「今思えばそれは大きかったのかな、一人だったらもう少し残っていた可能性はありますね」と邦夫さんは振り返る。

喫茶スペースでコーヒーとケーキを楽しんでもらいつつ豆の販売をする形態(注:2021年現在喫茶はお休み中。豆の販売と、ケーキとドリンクはテイクアウトで提供している)。前職時代の経験を生かして良質な豆を仕入れる道筋は出来ており、開店時には「世界と戦えるラインアップは揃えつつあった」という。

2021年11月現在の店内の様子。20種類以上のコーヒー豆とテイクアウト用のケーキが並ぶ。豆の説明文も丁寧でわかりすい。ドリンクのテイクアウトも可能。左手のカーテン奥は喫茶スペースだったが2018年から休止中。

トンビコーヒーで取り扱う豆の基準は、ひとつは風味特性が優れていて、それが客観的な基準で示されていること。もうひとつは生産履歴が明確であること。つまり、どこで、誰が、どんなふうに作ったかがわかるということ。この二点を開店以来最も大切にしている。

邦夫さんがわかりやすい例としてタンザニアのコーヒーのことを話してくれた。スペシャルティコーヒーが出てくる以前、タンザニアの豆は日本の2.5倍もある国土のあちこちから来たものを全てまとめて「キリマンジャロ」の名で流通していた。「日本中の米が全て『富士山』という名前で流通しているようなものです。おかしいですよね?」トンビコーヒーで扱うタンザニアのコーヒーは単一の農園、しかも区画単位で納品されている。コーヒーも農産物なので産地や生産者による個性がある。その違いを味わってほしいというのが基本的な考えだ。

「真っ当なものをきちんと出したい、本当に良いものを紹介したい、正しい情報を伝えたいという勝手な責任感と使命感みたいものを開店当時は持っていました」

産地を訪ねて

良い豆を求める動きは継続していて、邦夫さんは数年に一度産地を訪問している。どの旅にも少しずつ異なる意味があったという。「2008年に行ったのがパナマ、エルサルバドル、コスタリカの三ヶ国。欲しい豆を継続して買いたいとアピールするのが主な趣旨でした。2016年にグアテマラを訪れた際は、既に取引のある主要産地の現場視察に加え、まだ取引のないマイナー産地の新規開拓も大きな目的のひとつでした」

邦夫さんは産地訪問をアルバムにまとめ、お客さんに見てもらえるよう店内に置いていたこともある。
手前は2016年グアテマラ、奥は2019年ルワンダ訪問時のもの。

ルワンダでは、伸びしろがある生産者と共同でコーヒーの質を上げていくプロジェクトを行っている。「農業のやり方をあまり知らないけれどやる気はある農家さんの豆を我々が買い、売上の一部を肥料やノコギリなどで還元する。青年海外協力隊でルワンダに行っていた青年が木の剪定や栽培を教える、そうして彼らの収入を上げて行こうという取り組みをやっています。2019年にその経過を見に行きました。最初にサンプルをもらって『磨けば光るんじゃないか?』というところから始まって、足掛け7年ぐらいの長い付き合いになります。良いものを作るとプラスアルファのお金を出すという契約をしていることもあって、生産者のモチベーションが上がっているのがわかるんですよ」

コーヒーとケーキの相乗効果、間口は広く

コーヒーと互いに美味しさを引き立て合う、旬の食材を使ったケーキにもファンが多い。「果物は農家さんから直接仕入れています。素材を生かした、シンプルだけどしっかりした味にするようにしています。最近はコーヒーとケーキ両方テイクアウトしてくれる方も多いですね」(ケーキ担当:優子さん)

冬の人気メニュータルトタタン。

「ケーキがなかったら、店を始めてから食べられるようになるまでもう2年ぐらいかかったんじゃないかな。お客さんが郊外の個人店の扉を開けてくれるためには、とっつきやすい楽しみがないとね」(邦夫さん)

喫茶では二杯目のコーヒーを百円で飲めるサービスもあった。そこで豆による味の違いに目覚めたという人も多かったという。コーヒーの質はストイックに高みを目指すが、間口は広く、敷居は低くという印象をお店の端々から受ける。

「コーヒーに関しては、道具にしても入れ方にしても『何が良い』って言い切ってしまうことは、僕はできないんですよ。それぞれに好みが違うので。目安は付けないとスタートできないからそこはやるんですけど、お客さんが自分の好みにたどり着くお手伝いをするのが豆屋としての仕事だと思ってます」(邦夫さん)

お店が軌道に乗ったのを感じたのはいつごろだったのだろうか。

「二年ぐらいは食えなかったんですよ。一年目なんかは本当に赤字で、貯金を崩していって、具体的なことをいうと貯金が10万円切ったなっていう時があってさすがにちょっと危機感を覚えました」胃が痛くなるような話だが、邦夫さんはこう続ける「でもね、危機感を覚えつつも頭の中は産地のこととか楽しいことしか考えてなかったんですよ。明日のケーキ何出そうとは考えるけど、金が無いから減らそうとは考えなかったし。自分たちも休みの日に、勉強も兼ねて食べたいものを食べに行くこととかは続けていた。そういうことが大事かなとは思いました」(邦夫さん)

優子さんも「お金はやっぱり心配ではあったんですけど、でも、不安は無かったです」と口をそろえる。

なかなかお金がついてこない状況でも「変えよう」とは思わず「どう伝えよう」ということしか考えていなかったという邦夫さんが作り始めたのが「tonbi coffee通信」だった。コーヒーの最新情報や産地の事情、食全般についてなどを書いて発行するA4一枚の月刊紙。せっかく来てくれたお客さんをただでは帰さないぞという思いで伝えたいことを込めた。今に至るまで続いている、お店とお客さんを繋ぐ大切なコミュニケーション手段のひとつだ。

tonbi coffee通信。コーヒー豆の情報、産地の情報、おすすめのお店などを掲載し、毎月発行している。

tonbi coffee通信や店頭で、コーヒーの選び方や流通の背景、楽しみ方を伝えながら少しずつお客さんを増やしてきた。一方で、SNSにはあまり頼っていない印象がある。

「風の時代に乗り遅れたお店なんだろうなと思ってはいるんですけども(笑)シンプルに『食べたいから行く』という思考の中にコーヒーとケーキが入ってくればいいかなと、それで食べていけないって嫌だなと思っていて。飲食店で大ブレイクみたいなことが起きると、日常的に来てくれるお客さんをはじいちゃうところがあって、そういうのは嫌なんですよ。僕の目標は、評判でもないし話題でもないけどいつもお客さんがいるっていう、それが理想ですね」(邦夫さん)

地方で、群馬で店をやること

2021年現在、豆を卸しているお店は全国で八十軒ほどに広がっている。そのうち六割が群馬県内、四割が県外だという。地方で、群馬でお店をやることについてどう考えているのかを聞いてみた。

「開店したころ、久々に戻ってきたこともあって群馬の飲食業界どんな感じかなと色々回っていて、その時に『群馬はダメだ、わかってくれないよ』とかそういう声を聞くことが多くて、僕はそれがすごく嫌だったんですよ。群馬でお客さんを喜ばせられないのに東京に行って何ができるんだろう、圧倒的に人数が多いから経営が回っていくっていうだけなのかなと。でもあるとき『あ、でも東京から来てもらえばいいじゃん、そういう店を目指さなきゃだめだ』と思って、それを目標にしようと。コーヒーは良いものを持ってきさえすれば勝負できる気持ちがあったし、ケーキだって、群馬のイチゴを東京の人が使うよりも、朝取ったのをそのまま使えるこっちのほうが美味しいに決まってるわけだから。そういう気概はありましたね。だから今でも『群馬ダメだよ田舎だから』っていう人がいるとしたら、そうじゃないんじゃないかなって思ってます」(邦夫さん)

高崎市菅谷町のトンビコーヒー。いわゆる郊外にあたる立地。邦夫さんは「どうせそう簡単には売れないだろうし、そんなに街中である必要は無いと思って」この場所に決めたと言う。今では各地から多くの人が訪れる。

最後に邦夫さんがこれからのことを語ってくれた。「開店当初は豆屋として正しい情報を伝えることを使命と思っていましたが、今は情報がかなり浸透したこともあり、その意識はそれほどありません。あとはやりたい仕事をしていくだけかなと」

ーやりたい仕事とは?

「お客さんに楽しんでもらうこと。職人としてまだまだ上乗せできる余地があると思っているのでその追求。あとは産地に飛んで美味しいものを作るための共同作業ですね」

いま、地球温暖化の影響でこれまでの品質を維持できないコーヒー産地も増えているという。より良いコーヒーを継続的に提供していくために、スペシャルティコーヒー黎明期とは違ったアプローチの挑戦が必要とされている。世界とつながるコーヒーと旬を楽しむケーキ、この場所での日々の仕事が、新たな使命とも繋がっているのかもしれない。

(ライター:REBEL BOOKS 荻原貴男、撮影:合同会社ユザメ 市根井 直規)

登壇者

間庭邦夫/間庭優子 株式会社トンビコーヒー代表取締役/株式会社トンビコーヒー取締役

間庭邦夫

1974年高崎市(旧群馬町)生まれ 都内コーヒー専門店に勤務後2006年tonbicoffeeを開業。2016年より株式会社トンビコーヒー代表取締役。趣味は水生植物と日本の淡水魚(クロメダカ、ドジョウ、タナコなど)の飼育

間庭優子

1975年佐賀県みやき町生まれ 都内コーヒー専門店に勤務後2006年tonbicoffee開業。2016年より株式会社トンビコーヒー取締役。菓子製造責任者。趣味は休日のNetflix