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【熱源な人】10代が必要とする教育支援を、NPOとして事業化する道を拓いてきた NPO法人DNA代表理事 ・沼田翔二朗さん

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道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと湧き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

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2004年に高崎経済大で発足した学生主体のNPO法人DNA(Design Net-works Assosiation)。学生が地域づくりの現場を体験しながら社会経験を得ることを目指した先駆的な活動だった。2013年頃からDNAを引き継いだ沼田翔二朗さんは、活動内容を一新。DNAが蓄積してきた地域とのネットワークを活かしつつ、中軸事業を中高生の教育支援に移し、事業収入を得る道を切り拓いてきた。今では高校の新単元「総合的な探究の時間」のコーディネート業務など県内20校との連携事業が好調だ。前例のない領域の仕事を沼田さんがどのように形作っていったのか、その軌跡を追ってみよう。

人の成長は人それぞれ

沼田さんは北海道士別市出身。185cmを超えるすらりとした長身で、中学時代はバスケ部だった。

「ある日、あれ? と思ったんです。自分はなかなかシュートが上達しない。かたや、すごくシュートのうまい仲間がいる。毎日同じ練習メニューをこなしているのに、どうして人の成長にはこんなに差が出るんだろうって、本当に不思議でした」

同内容の指導を同時間受けても、人は同じようには成長しない。「そもそも人が成長する過程にすごく興味があった」と沼田さんは語る。

「よく先生にならないの? と言われたんです。教育やりたいなら先生でしょって。でも、自分が根本に思い描いていたのは、学校の先生が1クラス受け持って40人の成長を支えるということではなく、社会全体で子どもを支えていく未来が作りたかった。100人が支え手になったら4000人支えられる。その仕組みを作りたいと思っていました」

これまでにない教育の仕組みを構想した背景には、沼田さん自身の体験も影響しているかもしれない。大学1年次にアパートに引きこもっていた一時期があった。

「高校3年の時に友人との人間関係に大きなトラブルが起きて、僕はそのショックを引きずったまま大学受験をして高崎にやって来たんです。心のダメージがあまりにも大きくてサークルで新しい人間関係を築く気にもなれなくて、入学してすぐ、5月から引きこもり生活に入りました」

「思春期の子どもたちは何をどうしたらいいかわからないような不安定な気持ちを抱えて生きています。自分の考えを表に出すことが難しい場合も多い。そこにそっと寄り添っていけるような教育機会を作りたかった」と沼田さん

「復学できたきっかけは、バイト先の先輩がかけてくれた言葉でした。時間がある時に自分の担当ではないお皿を洗っておいたら、5つ年上のシェフが『沼田くん、助かったよ!』とお礼を言ってくれたんです。自分の何気ない行動をちゃんと見てくれた人がいることがすごくうれしくて。そこから気持ちが前向きになり、そろそろ大学に戻らなきゃという思いも湧いてきました」

沼田さんは2年次から高崎経済大での大学生活をリスタートし、NPO法人DNAに参加。1年間の遅れを取り戻したい思いもあり、中身の濃い経験ができそうだと興味を持った。

DNAは地域政策学部設立にも関わった大宮登教授のゼミ生を中心に2004年に発足した。構想の目的は、学生と社会の接点を作ることだった。大宮教授は、「今の学生は非常に個人化した社会で生まれ育っているため、多様な人や多様な現場と関わる力が弱く、社会と関係を作っていく力が弱い」と憂慮し、学生たちに積極的に学外で活動することを促した。

DNAの学生たちは県から委託を受けて「ジョブカフェぐんま」の運営に協力したり、高崎や富岡の地域活性化イベントに関わるなど、若者のキャリアデザインやまちづくりに関連するさまざまな事業を切り盛りしながら社会経験を積んだ。外で生きた社会課題に触れることで学内の学びは一層深まり、現場の運営をまかされることで、学内では身につかない交渉力やコミュニケーション力など社会人に必須の基礎力を鍛えることもできた。

沼田さんもさまざまな地域プロジェクトに関わって充実した日々を過ごした。4年次には代表に就任。同級生と同じように就職活動をし、数社内定もとったが、東日本大震災の被災者支援に関わる機会があり、少し立ち止まって人生を考える必要があると思い出した。その頃、⻑年DNAの顔だった大宮教授の退職も数年後に迫り、DNAの今後が学生たちの間では話題になっていた。それぞれが人脈や実績を築いてきた思い入れのある活動である。できれば誰かに継いでほしい——、そんな周囲の期待も感じとっていた沼田さんは内定を辞退し、DNAを引き継ぐ決意を固める。

事務局長にはDNAの後輩だった当時21歳の辻岡徹也さんを見込んで、声をかけた。

「僕からしたら辻岡って人の成長をとことん支えられる人で、喜べる人だった。彼がDNAのこれからの教育事業の本質だと思ったんです。高崎シティギャラリーの広場に夜な夜な辻岡を呼び出しては、『これから子どもたちと社会のつながりってますます重要になるし、自ら問いを立てて進んでいけるような、そういう授業や教育環境が必要になるから一緒にやろう!』って、必死で口説きました(笑)」

前例のない仕事に挑む

2013年頃から辻岡さんと二人三脚のDNA第二創業期が始まる。自分たちが享受してきた社会とのつながりや自発的な学びの面白さを自分たちよりもう少し下の世代、18歳以下の中高生に届けようと動き出した。

最初に構想したのは「未来の教室」。それまで学校のキャリア教育は、著名人を招いてサクセスストーリーを聞くような一方的な講義が多かったが、未来の教室ではおおよそ4 人の生徒に対して年の近い大学生や社会人のボランティア(センパイ)1人がつき、対話を深める。地域交流に近い雰囲気で話し手と聞き手が自由に入れ替わる2時間のワークショップだ。

南牧中学校を皮切りに吉井高校でも実施。高校にも少しずつ広がった。「意義を感じてくださった先生が他の学校に紹介してくれて、導入を検討してくださる新規の学校が増えていきました」

沼田さんたちは生徒の心理的安全性を高めるため、参加するセンパイ側が事前に対話について学ぶ研修制度も用意した。対話の導入や授業の進め方については安中市出身で大企業の組織開発や人材開発にも携わる吉田創さんが熱心に支援してくれたという。

教師と生徒がタテの関係性、同級生がヨコの関係性だとすれば、そこから少し外れた“ナナメ”の関係にある人の存在が、子どもの心を軽くすることがある。沼田さんは自分が前を向けた体験をラッキーで片づけず、もっと多くの子どもに届けられないかと思った

しかし、授業のプロトタイプは整っても、事業として収益を上げるのは簡単ではなかった。 「結局、仕事として成り立つか成り立たないかわからないままに走り出してしまったんですね。未来の教室のような授業は世の中になかったし、先生たちもイメージが持ちづらい。だから、マーケティング的な意味合いも込めて、最初は予算をつけてもらわず、全部手弁当でやらせてもらって、信頼を獲得しようと思いました」

「最初の1、2年は大変でした。給料も謝礼や講師料をいただけた時は出ましたが、もらえない時もありました。じり貧のモヤシ生活(笑)。僕はお金にならなくても、飯が食えなくても、自分が決めた道なので仕方ないと思いましたが、後輩の辻岡を巻き込んでいたので、それは心苦しかった。ボランティアのセンパイたちにも交通費は出していたのでやればやるほど赤字になって…」

3年目からは有料にしたが、未来の教室に価格をつけるのは悩ましかった。前例のない仕事に挑む人は、誰もがこうした悩みを抱えるのかもしれない。

「数年手弁当でやって3年目に入った時、学校が外部講師向けに設けている基準を参考に拠出いただけるものは出していただいたり、模試の実施などが形骸化していたらその予算を調整して事業収入としていただいたりしながら、一定の目安を自分たちで作っていきました」

事業継続と社会的使命と

DNAにはその後2人の新規メンバーが加わり、沼田さんと辻岡さんを含めてフルタイム勤務4人体制で運営している。今では年間を通して学校に関わるコーディネート業務が増え、事業は順調に回るようになったという。

背景にあるのは、教育改革の一環で2022年度から高校の必修科目に加わった「総合的な探究の時間」だ。生徒たちが社会とのつながりを得て将来を考えたり、関心のあるモノやコトを掘り下げ、自発的に学びを深めるという趣旨は、沼田さんが目指してきた方向性にぴったり重なる。

この新しい単元の登場で、DNAは逆に学校側からアドバイスを求められるようになった。サポートは授業の組み立てに留まらず、広範囲に渡る。子どもたちが自ら考え、発見していく学びの面白さを知る環境づくりはもちろん、関わる先生たちもこの単元を通してどんな生徒を育てたいのか、その思いを言語化するところから始めるそうだ。

授業前の打ち合わせで(太田高校で)

教科書がない自由度をプラスにとらえ、教育目標や学びの本質に立ち戻り、現場の課題を一緒に乗り越えていく作業に沼田さんもやりがいを感じている。

「10代の子どもたちが幸せに生きていくための力につながるかどうか、いつもそこに立ち返るようにしています。あとは先生たちの潜在的な力や発想を活かすサポートも大切にしています」

関わった学校で探究テーマを発表する生徒の映像を沼田さんが見せてくれた。アウトドアが好きで自然に親しむ子どもを増やしたい思いから、夏休みに地元の子どもたち100人を集めたキャンプを企画・実施した生徒。探究の授業で経験した1年間のプロセスをわかりやすくまとめ、自ら申し出て年度初めに下級生にプレゼンテーションした生徒もいる。また、探究を課題にしたインターンシップで、過疎地のまちづくりを調べるため上野村の宿舎に宿泊しながら役場の仕事を体験した、自ら学ぶ生徒もいるそうだ。

現在、関わっている学校は20校。子どもたちの行動力に驚かされることも度々だ(太田高校での「総合的な探究の時間」授業風景)

好きなことの周辺を関連づけながら突き詰めていくと視野が広がり、思わぬ社会課題を見つけたり、新たな世界の発見がある。学びを作り出した経験は、何より子どもたちの自信になり、未来を切り拓く力になる。

依頼が増え、4人では回しきれなくなってきたことから、2022年度からは担い手を育てる「教育コーディネーター」養成講座が始まり、裾野は広がっている。当初思い描いたような教育環境を、学校や地域と一緒に作れている実感があると沼田さんは言う。

NPOを支える寄付という力

教育分野のNPOは国や地方自治体などの補助金を頼る場合も多く、「学校に予算をつけていただいていると話すと大抵びっくりされます」と沼田さんは言う。DNAは、新型コロナウイルスに関連した補助金以外は申請したことがないという。補助金は突然カットになった際、活動も共倒れになってしまうケースが多いそうだ。

そのリスクを避けるためにも沼田さんたちは事業収入を得る道を切り拓いてきた。しかし、企業のように「現場を増やす=利益増」とはならないNPOは、事業継続と社会的使命の板挟みに合うことが少なくない。専門用語では「受益者負担の原則が成り立たない事業」というそうだ。

「わかりやすく言えば、ホームレスの人たちを支援しようと思った時に、サービスを受益するホームレスからお金をもらうわけにはいかないですよね。我々のテーマで言えば、学校や中高生から事業が持続可能なくらい報酬がもらえるかというと、それはいただけない。そういう分野を事業として成り立たせていくのがソーシャルセクターの役割で、そこが一番難しい」

そこで、事業継続に欠かせないのは意義を理解する支援者の寄付や協賛金、ということになる。

「寄付は大学時代にお世話になった人にお願いして、『この事業が形になるかわからないのですが、寄付していただけませんか?』
と一人ひとり声をかけていきました。今日まで続けて来られているのは本当に皆さんの力です。『群馬の10代を良くする』作業を一緒にやっている気持ちでいます」

150人ほどのマンスリー会員が定期的な寄付を届けてくれていることを沼田さんは心強く感じている。日本の寄付は赤い羽根でおなじみの歳末助け合い運動のイメージが強く、12月に集中する傾向があるが、できれば活動に共感する団体を通年で応援してほしい。寄付は自分たちが対応できない社会課題に取り組んでもらうことに対する応援であり、お礼。そんなイメージを持つといいかもしれない。

※日本ファンドレイジング協会がまとめた寄付白書によると、2020年の日本人の個人寄付総額は1兆2126億円で、寄付大国アメリカの約7分の1(GDP比)と少ない。

昨年、政策共創プラットフォーム「PoliPoli」を運営するZ世代の起業家・伊藤和真さんがNPOファンド「Policy Fund」を設立して話題を呼んだ。寄付文化がなかなか根付かない日本ではNPOが総じて財政基盤に不安を抱えていることから、伊藤さんは起業家や財団などに広く寄付を呼びかけてファンドを立ち上げた。お金は各分野の社会課題に取り組む非営利団体に使ってもらい、活動の成果を政策立案や提言につなげる仕組みだ。

同11月、群馬県は自治体としては全国で初めてこのPolicy Fundと協働することを公表。県の総合計画に連動するような事業の実証実験を積極的に支援していくという。

社会課題を解決したいと考える若い起業家はスタートアップを選択するか、非営利団体を立ち上げるか選択して起業するが、こうした資金の流れが大きくなれば、アイデアのある若者がNPOを見る目にも変化が起きるかもしれない。時代も変化しつつあるが、沼田さんの話を聞いていると、私たちも身近なNPOの活動にもっと関心を持ち、社会を良くするために行動起こす若者を積極的に支援していかなくてはならないと気づかされる。

ライター:岩井光子  撮影:市根井直規

登壇者

沼田 翔二朗 NPO法人DNA 代表理事 群馬県教育委員

高崎経済大学地域政策研究科修了。 2009年にNPO法人DNAに参画し、2011年より代表理事を務める。2013年頃から群馬県内の高等学校と連携した教育事業を立ち上げ、教育コーディネーターとして県内の10代15,000名以上に授業を届けてきた。 授業プログラム 「未来の教室」(令和元年度群馬ふるさとづくり賞 受賞活動)を開催するなど、生徒一人ひとりが自らの内発性に基づき学べる教育環境づくりに取り組んでいる。