• REPORT

【熱源な人】四万温泉で酒屋を営む傍ら、地元の素材を使ったクラフトビールを作る山田博史さん

Share

道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと沸き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

ーーー

近年、「クラフトビール」という言葉をよく聞くようになった。クラフトビールとは、大量生産されるビールとは異なり、小規模な醸造所で生産されるオリジナルビールのことだ。世界的にみても、小さな会社や個人がブルワリー(醸造所)を開業することは珍しくなくなってきている。

現在では大手メーカーもクラフトビール事業に参入し、その言葉も広く知られてきたが、実は以前にもこうした小規模生産のビールが流行したことがあった。その頃は「観光地のお土産」としての側面が強く、クラフトビールではなく「地ビール」という言葉がよく使われていた。

群馬県でも例に漏れず、多くの地ビール醸造所が立ち上がった。しかし、最初の地ビールブーム(94年〜90年代後半)では「味」への意識がそれほど高くない事業者も多く、すぐに沈静化。その後、味への意識がより高まり、それを反映するかのように「地ビール」ではなく「クラフトビール」と呼称も変化してきたのが2000年代後半。そのブルワリーが飲食店を開いたり、ビールのイベントを開催したりと、商いの流行は徐々に変化しつつ、現在の状況につながっている。

今回は、その流れの中でも比較的早い2011年から美味しいクラフトビールを作り続けてきた、「四万温泉エール」の作り手・山田博史さんにお話を伺った。

群馬県の北西側、長野県と新潟県に隣接する中之条町。439㎢の広大な面積を誇るこの町はいくつかの地区に分かれており、その中の一つに「四万(しま)」という場所がある。四万は、上毛かるたの「よ」の句で『世のちり洗う四万温泉』と詠まれる、群馬の代表的な温泉地だ。

元禄7年(1694年)から続く老舗旅館「積善館」。映画「千と千尋の神隠し」で参考にされた場所のひとつと言われている

北西から南東に向かって流れる清流・四万川に沿うようにして広がるこの地域では、「四万ブルー」と呼ばれる独特な青が特徴の四万湖、風情ある旅館の数々、そして豊かに湧き出る温泉が私たちを迎えてくれる。また近年、イタリア料理店やゲストハウス、薬膳茶屋が新たに開業するなど、活発な様子も伺える街だ。

宿泊客の要望に応え続ける「コンビニのような酒屋」

四万には、スーパーやコンビニがない。ただし、その役割を担っている1軒の酒屋がある。

「わしの屋酒店」。昭和初期創業で、山田さんは3代目の店主だ。

「私が子どもの頃は、もっと目立たない場所に店がありました。たまに来るのは湯治客で、彼らに食料品を売っていましたね。おふくろが奈良漬を切り売りしていた姿が記憶に焼き付いています」

いつでも優しい笑顔で私たちを迎え入れてくれる、山田さんのお母さん。山田さん自身も、「おふくろには助けられました」と話す

わしの屋酒店は、戦後に酒屋の免許(酒類販売業免許)を取ってから、旅館にお酒を卸すことを主力としていた。地元の人しか通らない裏通りに店を構えていたこともあり、小売店舗としての売上はほぼなかったそうだ。

山田さんが店を手伝うようになってからは地酒の品揃えを見直し、お土産を買って帰る客が徐々に増えてきた。そして平成の半ば、裏通りから現在の場所に店を移転し、わしの屋酒店の役割はさらに変化していった。

看板犬のチロちゃんが寝転がる、ほのぼのとした店内

「いろんなお客さんが来てくださるようになってから、『あれは売ってないの?』『東京なら、どこでも売ってるのにね』と言われるようになったんです。それが悔しいもんで、なんとかしてやるぜと思って、どんどん品揃えを増やしていきました」

時代とともに、客の求めるものも変わっていく。それを真摯に受け止め、要望に答えるために山田さんは奔走した。もともと取り扱っていたパンに加え、おにぎり、お弁当やドリンクも増やした。食べ物だけでなく、宿泊に欠かせないコンタクトレンズの洗浄液、生理用品、クレンジングオイルなども揃えた。

とにかく、困る方を減らしたかったんですよね。これは、うちにしかできないことでもあるので」

四万温泉エールのはじまり

さらに山田さんは、自身が店頭に立つうえで、あることに気づいた。それは、「四万の地酒」がない、ということだ。四万は平坦な土地が少ない地形で産業が育ちにくく、日本酒の酒蔵もない。

最初のうちは、なるべく地元のものを持って帰ってもらおうと、県内で造られているユニークな日本酒を取り揃えていた。実際に、わしの屋酒店に置かれている日本酒はこだわりを感じるものが多く、土産として十分機能しているようには見えた。

しかし山田さんは、まれにお客さんから受ける「四万のもの、ないの?」という質問が、いつも引っかかった。

「『これが四万のお土産です!』と堂々と言えるようなものを、置いていなかったんです。でも、四万には、四万川という宝物がある。それで、私がこの清流の水を使って何か作れないかと思うようになりました」

青く輝く四万湖。カヌーやSUP等のレジャーが盛んで、例年多くの観光客が訪れる

温泉、料理、ウォーターアクティビティ。四万は豊かな水資源に支えられて発展してきた土地だ。そんな四万の水を有効活用する製品として、まず浮かんだのは日本酒を作ることだったそうだ。

「まずは、四万の水を使って日本酒を作ろうと思ったのですが、日本酒づくりを新しく始めるのはとても難しいことを知り、断念せざるを得ませんでした。その後いろいろと調べているうちに『ビールなら比較的簡単に作れる』ということを知ったんです」

山田さんはさっそく動き出した。まずは神奈川県川崎市にあるブルーパブ「ムーンライト」の門を叩き、免許の取り方、原料の確保などについて学んだ。そして2011年、発泡酒製造免許を取得。

「本当は発泡酒ではなくて、ビールの免許が良かったんですよね。なぜなら、そっちのほうがカッコいいと思っていたから(笑) でも、ビール免許を取るためには年間60,000リットル作って売る必要があって、それはちょっと無理のある数字でした。10年以上続けている現在の製造量で、10,000リットルくらいですから」

わしの屋酒店から車で6分程度の場所にある、四万温泉エールの醸造所

年間60,000リットル、つまり60トン。これは、大規模のメーカーでないとクリアできない量だ。その点、発泡酒免許の基準は10分の1の6,000リットルであるため、小さく始めるためにはビール免許を諦めなければならなかったそうだ。そのため商品名に「ビール」という言葉を入れることができず、代わりに「エール」を使うことにした。

※エール……ビールの一種で、「エール酵母」を使って発酵させたもの。日本の大手メーカーの主要なビールは「ラガー酵母」を使ったラガービール。エールは香り豊かでなめらかな味わい、ラガーはキレのあるすっきりとした味わいになることが多い。

酒づくりを通して見えた「四万の素材」

山田さんは、まずベースとなるレギュラー商品を3種類開発。店頭に並べ、周囲の旅館にも卸した。

「最初は100リットルの寸胴鍋で作り始めました。水とモルトを5本に詰めて、沸かしてホップを加えて発酵させる。ビール作りは、やるべきことをやれば、『作るだけなら』そこまで難しくないんです。でも、だからこそ作り方によって仕上がりに幅が出る。こだわろうと思えばいくらでもこだわれてしまう、奥の深い世界です」

代表作である「摩耶姫ペールエール」は、一般的なビールよりも色が濃く深い。酵母が発酵の過程で生んだ「天然の炭酸」が溶け込んだ、優しい口当たりに仕上がった。

四万川に流れる清水はミネラルを多く含む硬水ぎみの水質で、そのまま飲んでも美味しい。四万温泉エールには、この水をpHや水質の調整をせずにそのまま使う。味わいがブレるリスクがあるそうだが、山田さんは「失敗したら失敗したで、そのときに考えます」と笑う。

また、実際にお酒を作って売っているうちに発見した「発泡酒の免許」だからこそのメリットについて語ってくれた。

「発泡酒はビールより素材の基準がゆるいので、いろいろなフレーバーに挑戦することができるんです。たとえば柚子の風味を効かせたエールを作るときに、ガツンと柚子を入れることができる。対してビール免許では、素材の種類や量が限られてしまうんです。せっかくなので、お酒の区分にこだわらず、一口飲んで素材の味がわかるような作りを目指しました」

季節限定の商品に使われているバラの花。他にも中之条町内でとれた生姜や梅、山椒など様々な素材が使われる

この予想外の流れは、山田さんの「町の見方」にも影響を与えた。

「たとえば、車で中之条町内を走っているとしますよね。そこで誰かのお宅の庭に柚子の木が見えると、『あの柚子、どうするんだろう』みたいなことが気になってくるんです(笑) これは間違いなく、地元の素材を使ってお酒を作るようになったからですね」

旅の目的地になるお酒

「商品を仕入れて売る酒屋」から「自分でも酒を作る酒屋」へ進化した、わしの屋酒店。これにより、「宿泊や観光のついでに寄る店」から、「目的地のひとつ」になりつつあるのを感じているという。

「お酒づくりを始めるまでは、店に来るのは一見さんばかりだと思っていたんですよ。でも、『ビール美味しかったから、また買いに来たよ』と言ってくれる方が出てきて、リピーターの存在が見えるようになったんです。自分で作っていなかったら、わざわざ味の感想を言われることもなかっただろうから、これは嬉しかったですね」

「売上の足しになれば」と始めた店頭での生ビール販売は、常に複数種類が用意されており飲み比べができる。一度に2杯注文する客の姿もあった

四万温泉エールからは、どことなく「地元・四万への愛」を感じる。周辺の地域名などから取った商品名も、その一つだろう。たとえば山椒が効いたペールエールの「三小(さんしょう)」は、山田さんの出身小学校である「中之条町立第三小学校」の略称。大量のホップを贅沢に使ったセッションIPA「高野山(たかやさん)」は、三小の正面にそびえる山の名前を拝借したものだ。

『わしの屋酒店で生ビールを飲むために四万に泊まりに来た』という、これまででは考えられなかったことも起こりました。純粋な『四万のもの』として四万温泉エールを作ったおかげで、本当にいろんな出会いがありました」

四万で育てた新鮮なホップを使った「手摘みホップ」。その年のホップの出来によって異なる苦味・香りになるのが面白い一本

「四万の地酒を作る」という大きな目的に突き動かされて生まれた、四万温泉エール。創業当時から設備も一新した。今後はどこに向かっていくのだろうか。

最後に、山田さんはこんなことを話してくれた。

「まずは小さく始めて、とにかく続けてみること。現状の条件の中で、やれることをやっていくことが大切なんです。それによって、発見や出会いが自然に生まれると思いますよ」

ライター・撮影:市根井直規

登壇者

山田 博史 四万温泉エールファクトリー 醸造責任者/わしの屋酒店 店長

1968年吾妻郡生まれ。中之条町・四万で「わしの屋酒店」を営みつつ、2011年から四万の素材を使ったクラフトビール「四万温泉エール」をつくる醸造家。