全国群馬県人図鑑-グンマーズ-vol.5 濱暢宏さん×永島亜紀さん【中編】

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全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、さまざまな分野で活躍する県外在住・県ゆかりのセンパイ方をお招きし、ゲストの出身高校の現役高校生も交えながら、学生時代の思い出や故郷への熱い思いを聞き出していくトークセッション。

中編は、濱さんと永島さんがそれぞれ経営の道を選ぶまでの紆余曲折が語られます。高校生の質問に答えた「自分の気持ちを伝えるコツ」からは、二人の経験値とお人柄が垣間見えました。

タクシー業界に飛び込んだ理由

西部 ゲストのお二人はそれぞれ県外の大学に進学して、その後、流れ流れて今の経営者という道にたどり着いたと思うのですが、キーパーソンとの出会いや、こんなことを大事にしてきたから今につながっているというような話をしてもらえますか? 

 今はわからないけど、当時はまだ終身雇用の年功序列という言葉があった。だから僕は何の疑いもなく、シャープに60歳までいるつもりでいたんだよね。

だけど、グロービス経営大学院に36歳の時に入って、世界は広いって思ったんだよね。いろんな経営者がいることがわかったんだけど、そこでたまたまタクシー業界のトップの川鍋一朗さん(※)に出会ったんだよね。

※川鍋一朗氏 GO株式会社、全国タクシー・ハイヤー連合会の会長を務める。

タクシーは約120年の歴史の中でほぼ何も変化のない牧歌的な業界だったけど、歴史が動いた時期があった。それが僕の在籍した5年間。それはタクシーにGPSが乗っかってどこに車があるかわかるようになって、お客もスマホを持つようになったからどこにいるのかわかったんだよね。

そうすると、乗せたいタクシーと乗りたいお客さまがマッチングできるというテクノロジーの大きな変化があって、それでUber(ウーバー)とかグラブ(東南アジア最大の配車アプリ)が生まれた。そういう一瞬だけ扉が開いたイノベーションの時代に、僕はたまたま川鍋さんと出会ってタクシー業界に入ってナンバー2の仕事をさせてもらっていた。

なぜそれができたかというと、15年間の万年平社員時代にコツコツ目の前のことに真剣に向き合ってきたからだと思ってる。だから、出会った瞬間に勇気を持って飛び込むことができたんだよね。

西部 そういう意味では目指して経営者になったわけではない?

椅子に座っている男性

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 思えば実は社会人になった後、24、5歳の時に自分の父親が子会社の社長になったんだよね。当時、父親が5年かけて会社を立て直した話をずっと聞いていて、経営者ってやっぱすげぇなと思って、自分も父のような経営者になりたいという思いは元々あった。

それで30代になって川鍋さんとその他にもすごい経営者たちを目の当たりにして、やっぱり俺はこっちに行きたいと思いが再燃して、経営の道に行った感じかな。

西部 ありがとう。そうだったんだね。

営業職を極めて見えたもの

西部 亜紀ちゃんも同じ質問していいですか? 濱くんと同じようにいろんな経緯やきっかけ、流れがあって、今があると思いますが。

永島 私が大学4年の頃は就職超氷河期と言われていたんですよ。文系の女性はほぼほぼ内定が取れなくて、真面目な子は100社近く受けていました。

西部  受けてたね〜。

永島  私は大学時代も遊び呆けてて、安室奈美恵さんが流行っていた頃はギャルっぽい時期もあったのですが、母は相変わらず「ちょっと露出が多いよね」くらいで何にも言わなくて(笑)。

就職間際になってようやくヤバイことに気づいたのですが、そんな時に英会話スクールのNOVAが上(のぼ)り調子で大量採用してて、さらに女性が活躍していたんですよ。ここだったら自分もがんばればリカバリーできるかもと入社したら、当時はとにかく上り調子だったので、営業成績さえ出せばほめられる企業文化で、ほめられることがただただうれしくてどんどん営業成績を出していきました。

西部  承認欲求的なもの?

黒いシャツを着た少年

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永島  もう、承認欲求の最たるものだったかと(笑)。しかも社会で認められたことがうれしくて、気づいたら管理職になっていました。若くして銀座校の管理職という貴重な経験も踏むんですけど、やっぱり急激に成長してきたのでひずみもあり、一度倒産の危機を迎えた時に退職しました。

それで営業の最高峰ってリクルートだろうと、リクルートに入社して求人広告を売り始めて数々のトップ賞も受賞しました。でも、仕事の本質に気づかせてもらったお客様との出会いがあって、とにかく売ることが一番だった自分が、本当にお客さまの役に立つことと営業成績を上げることは、必ずしもイコールではないことに気づいたんです。

その時から採用で企業や地域を元気にしたい思いが芽生えて、当時担当していた熊谷市エリアの100社の中小企業の経営者と話をして、100通りの採用提案をしてきたんですね。その経験からやっぱり企業の課題は人で、人に企業を変えられる大きなポテンシャルがあることに気づいて、今の人材紹介への仕事へとつながっています。

西部  奥深いですね。二人とも。

永島  いやでも濱さんのシャープの話もすごくわかりますよ。だって私たち入社した時はまだ年功序列で終身雇用制度があったから。

 そう。自分の父親も終身雇用だったんだよね。だから父親のためにも、を言い訳にしていたわけ。結局自分も子どもができたばっかりだったから、挑戦しない理由を父親のせいにしていたことに気づいた。実は、父親こそサラリーマンとしてすごく挑戦していたことがわかって、だから自分は父親が好きなんだけど、じゃあ自分は父親として子どもにどういう挑戦の姿を見せられるかって考えた時に「ここは飛んじゃえ!(転職しよう)」って。

人, 屋内, 写真, 男 が含まれている画像

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西部  ここでよかったら南雲さんと宮下さん、感想でも質問でもOKなので一言ずついただいてもいいですか?

宮下 はい。では永島さん、あまり高校の部活のことを話されないなと思っていましたが、高校の部活はどんな感じだったのですか?

永島  新体操に憧れて1年生の時だけ入ってたのですが、その後友だちとの遊びや恋愛が楽しくなってすぐに辞めてしまい…、本当にほめられた活動を何もしないまま高校時代を過ごしてしまいました。ちなみに宮下さんは何部ですか?

宮下  放送部に入ってます。

永島  どうりできれいな通る声をしてますね。

南雲 お二方とも話が上手だと思いました。自分は話すことがあまり得意ではないのですが、どうしたら話がうまくなりますか?

 南雲さん、僕もね。話すの苦手だし、怖かったんだよね。その時は自分の話が周りからどう思われるのかばかり考えてたんですよね。人の評価が気になるし、視線が怖い。

だけど僕、タクシー会社で仕事している時、タクシー運転手の人たちにどうやって伝えたらわかってもらえるかってすごく彼らのことを思ったんだよね。どうしたら関心を持ってもらえるか、どうやったら動いてくれるかなと真剣に考えてるうちにだんだん矢印が外側を向くようになって、周りにどう思われているかは全然考えなくなっていった。そしたら怖くなくなってきた。

だから自分が本当にこれを伝えたいとか、これに対して本当に自信を持っているってことを思っていって、それを少しずつ人に伝えていけば、自ずと伝わるようになる。話し方が上手い下手というより、この人の言うことを信用したいとか、この人と一緒にやりたいとか思ってもらうことの方が僕は意味があると思っていて、だから本当に自分が信じられるものを持っていることが結局一番じゃないかな。

永島  私からもいいですか? もし話すのが本当に苦手で、目的が話すことでなく、伝えることだったら、伝わる方法は話す以外にもたくさんあります。パワーポイントで資料作るのは得意とか、音楽や手紙とか、伝える方法はあるので、自分の得意なものを使って伝えればいいかなと思います。

 うん、そうだね。

南雲  ありがとうございます。

西部  二人とも事業を回しているだけあって実践的な回答ですね。さすが経営視点。

「群馬をなんとかしたいよね」

西部  群馬の話にも触れていきたいなと思っているんですけど、お二人は大学から県外に出ていますよね。大人になって群馬に遠からず関わってくださっている今、群馬をどんなふうに見ていますか? 価値を再発見している部分もあると思うんだけど。 

 今回この話をもらった時、渋高のこと、群馬のことを振り返って、自分のベースになっていると思うことが2つある。一つは渋高らしい校訓。質実剛健と賢忍持久。質実剛健は飾りっけがなく、心身ともにたくましいこと。賢忍持久は辛さや苦しさに耐えて、我慢強く最後まで努力すること。そういう青年を目指しましょうという意味だったと思う。

この二つの言葉が渋高の正門入ったところの石に刻まれていて、僕はそれに毎日向き合って習慣として身につけたことは自分自身の強さになってるし、毎日逆境だらけなんだけど、それを乗り越えるようなことを教わったなぁとすごく思っています。

椅子に座っている男性

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もう一つは、僕はもともと愛知県にいて、海から山の群馬に行って、東京に行ったんだけど、渋高の校歌に「学び舎(や)は榛名のふもと」という歌詞がある。自然豊かな環境で中高過ごすことができたし、そこで心と頭と体を育んだってことをめちゃくちゃ誇りに思っているし、すばらしい時期だったなと。

高校生の頃はやっぱり高崎とか前橋とか大宮とかそっちの方にすごく憧れるんだよ。僕も電車乗りたいなと思っていたんだけど、改めて東京に来て思うことは群馬のような環境で学べることに誇りを持ってほしいし、全力を尽くした経験が良かったと今になって思うので、南雲さんも宮下さんも思いっきり楽しく遊んだり、勉強したらいいんじゃないかなって思います。

西部  亜紀はどう?

永島  私は最初群馬から出たい一心で、今こそ面白おかしく群馬って話題に上るんだけど、私が若い頃は話題にすら上ってなかった? だから東京に行ってみたいなぁと思ってて、20代は東京で働くことが楽しかったんですけど、経営者になってから先に地元に戻った沙緒里ちゃんのお誘いで群馬の企業の研修に携わったり、湯けむりフォーラムに参加させたりしてもらっています。最近気づいたのは、東京で働く人や東京にいる人たちから「東京をなんとかしたい」とあまり聞いたことがないですよね? 

西部  確かに、そうだね。

永島  だけど、群馬はみんなが「群馬なんとかしたいよね」って言っていて、圧倒的に当事者意識を持ってる人が多いことに気づいて、そのことはすごく誇りに思ってます。私はその熱量だけでもすごく意味があると思う。群馬の仕事をきっかけに東京と群馬の生活っていうのをスタートして、去年住民票も群馬に移しました。

西部  甲子園とかがわかりやすいよね。東京の暮らしがどんなに長くなってもやっぱり東京代表を応援することってあんまりなくて、群馬の出場校を応援し続ける。お二人は地元にこんなふうにもっと関わっていけたらいいな、というビジョンはありますか?

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(チャット欄へのコメント)

—前女はOBの方については職業紹介で卒業生を呼び、興味のある職業の先輩の話を聞くというイベントがありました。高校生ながら、それがすごく楽しい授業でした。(NMさん)

 今まさにNMさんのコメントを読んで、考えていたところで、僕がやったらいいと思うのは、自分が何が楽しいかとか、どういう人になりたいかとか、できるだけ多くの人に会うとか、自分自身が本当にやりたいことを高校・大学時代に見つけられたらいいなと。

社会人になるとやるべきことが本当に多いんだよ。社会から期待されることが。だけど、本当に自分がやりたいことから目をそらし続けるにはやっぱり人生は長い。みずみずしい感覚を持っている時に「こういう人間になりたい」って人と会うと、すぐそこには行けないかもしれないけど、でも社会人になってある程度やるべきことがやれるようになってきたら、やりたいこととやるべきことをつなげていって、本当にそれをやれる人間になってほしい。

だから高校生のみずみずしい感覚を持ってる時にいろんな大人と出会えるといいと思っています。もし群馬の高校生がそういう大人と出会う機会があまりないとしたら、僕がそういう仲間を全員引きつれて、「行くぞ〜!」みたいな話とか、「みんなで行っちゃえ!」みたいな話をしたい。

西部  いいですね!

 膝を突き合わせて生の声を聞くっていうのが一番必要な時期なんじゃないかなと思っています。こういう大人もありかと思ってもらえるような話ができるので、高校に呼んでいただければ行きます!

西部  ぜひ! ちなみにNMさんはチャットにコメントくださっているNMさんですね。

永島  実は私の妹です(笑)。教育に携わってるんで今日聞いてます。

西部  お名前が似ているなぁと思いました〜(笑)。NMさん、すばらしいコメントをありがとうございます。本当にそうなんですよ。まさにつながりづくりの活動としてこの会もあるので。そういう意味ではこの2時間のオンライントークに留まらず、いろんな形で大人と現役高校生・大学生を相互に県内・県外つないでいきたい妄想を私も持っていますし、企画もそういうことを意図して作っています。

西部  亜紀ちゃん、具体的に地元でもっとこんなことやりたいってことありますか?

永島  私は長年キャリア領域に携わっているので、職業選択の話からすると濱さんの話にもあったように新卒で入る会社が絶対的だった10数年前と比較してキャリアチェンジとか、チャレンジがたくさんできる世の中ですし、失敗にだんだん寛容になってきて、リカバリーができる世の中になったと思ってるんですね。

起業で失敗した、転職で失敗したとしても、失敗した人の方がいいよねという会社さんも増えています。さらにYouTubeやウェビナーもできるし、群馬にいようがどこにいようが遠い人とも気軽に話せて、時差はあれどもグローバルに海外と無料通話もできます。だから資金がなくても起業できる時代になっています。何が言いたいかというと、テクノロジーの恩恵でチャレンジのハードルがすごい低くなってるし、群馬にいようがどこにいようが、チャンスがあると感じているんですよね。

さらに女性活躍がダイバーシティを促進する一部と考えると本当にチャレンジする背中を後押ししてもらえる世の中なので、群馬の女性経営者や起業家がどんどん増えていくと個人的にはうれしいなと思いますし、迷ってる人がいたら私が背中を私が押せる存在になりたいなと思います。

(後編は、グンマーズ恒例の質問「はじめの一歩を踏み出す秘訣を教えてください」を。さて、濱さん、永島さんの回答は?)

ライター・岩井光子

登壇者

濵暢宏 (株)ワイヤレスゲート代表取締役社長CEO

小中高を渋川市で過ごす。大学卒業後、シャープ(株)に入社。ソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタート後、複数の新規事業開発に従事。在職中に通ったグロービス経営大学院のご縁で2014年に日本交通(株)に転職後、無線センター長、子会社社長、JapanTaxi株式会社(現:GO株式会社)取締役COOとして「移動で人を幸せに」の実現に貢献。2019年にセブン&アイ・ホールディングス傘下のベンチャー企業に転じ、新たな都市型食品小売事業の立ち上げに携わる。2020年、(株)ワイヤレスゲートの執行役員新規事業本部長に。2021年には代表取締役社長CEO就任、同社の再生と変革に挑む。

永島亜紀 (株)キャリアビリティ 代表取締役社長

前橋市(旧富士見村)出身。新卒で(株)NOVAに入社。個人向け営業に従事し、入社3 年目でマネージャーへ昇格、複数拠点のリーダーを兼任。同社の倒産をきっかけに、営業力を磨くため(株)リクルートジョブズに入社。地場の経営者100人に会い、100通りの経営課題を聞いた経験から「企業は人である」との思いが強くなり、未経験で人材紹介業界へ。2013年エンワールド・ジャパン(株)にアシスタントから入社後、製造業のキャリア支援に強みを発揮しマネージャー・部門責任者を歴任。2022年、「日本のモノづくりを未来につなぐ」を掲げて製造業専門エージェントの(株)キャリアビリティを設立。

西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO

前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。

南雲 拓臣 渋川高校1年

宮下 結衣 前橋女子高校2年