全国群馬県人図鑑-グンマーズ-vol.7 石村大輔さん×樺澤まどかさん【中編】
全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、県外に住む県ゆかりの先輩方をペアでお招きし、おふたりの母校の現役高校生も交え、学生生活と現在の仕事とのつながりや故郷への熱い思いを聞き出していくトークセッションです。
中編は、ゲストそれぞれの高校卒業後の進路の話から。偶然も影響したと話すおふたり。「進路は好きと得意、結局どちらを優先するべき?」—高校生の鋭い質問に対する回答も気になります。
測量、建築、お笑いに通じるもの
MC西部 石村さんの場合、ストレートに大学に行く選択をなさらず、一度働いてから大学に行く選択をなさってますよね? 高校卒業からどういうふうに選んで、流れて、後の仕事、大学につながっていったのか、そのプロセスを聞いてもいいですか?
石村 はい。中之条高校は測量士の国家資格が取れるってことで農業土木科(当時)を選びました。測量士と聞いても皆さんなじみがないと思うんですけど、よく道路でこうやって(測量器をのぞくしぐさをしながら)計測している人いますよね?
あるいは、陸上のやり投げで選手が投げた直後にタタタタッと走っていって、落ちた地点までの距離を測るとか。そういうのを測量っていうんですけど、高校で測量士の資格を取って、都内の測量会社に入りました。
でも、ある時、僕は周りの要因で進路を決めてきて、人生ってこんなもんなのかなぁみたいに思ってた時、仕事帰りの電車の中でたまたま乗り合わせた大学生に「お兄さん、若いのにスーツ着てがんばってるね!」って言われたんですよ。その時、大学生って楽しそうだなぁって思って、突然大学に行こうと。
それで、測量って土地の境界に関わるような仕事が多かったので、そこからつながるデベロッパー(不動産開発業者)で仕事をしてみたいなぁなんて思って建築学科を選び、大学受験にチャレンジすることにしました。
西部 すごい! 運命的な出会いですね!
石村 今思えば、向こうはただ酔っ払って絡んできただけなんですけど(笑)、声をかけてくれた学生には本当に感謝です。
西部 それで人生の軌道が変わったってことですよね?
石村 そうですね。運良くリーマンショック前だったので、お金も少し貯まっていました。僕が通った東京理科大第二部(夜間学部)の学費は当時年間50万円ぐらいだったので、国公立大並でした。貯金に加えてバイトをすれば行けるかなぁと思って、このタイミングで測量会社を辞めました。
西部 もともと、ライフステージのどこかでは大学進学したいなって気持ちはありましたか?
石村 いや、というより、僕も飽きっぽいところがあって、2年ぐらい働いて仕事内容も大体わかってきて、なんか違うこともしてみたいなぁなんて思ったからですかね。
西部 そんな経緯で建築の道に入られて、測量は結果的に活きていますか?
石村 そうですね、なんて言えばいいのかな。結局見方を変えれば何にでも通じる。測量の会社で働いたことで、僕はそういうことを早めに知ることができた。測量も現場で作業をする日もあれば、事務所で図面を描く日もあって、さまざまな作業をこなしていたわけですが、そういう経験が建築の勉強とつながってくると、お給料もらってやってたことと本質的には共通してたんだな、みたいな。
デザインも美的センスがないとできないと思ってたけど、測量と一緒で、勉強するとある程度理解できる。建築の世界は果てしないから大変なんだけど、これもある程度わかると、いろんなことが派生してつながってくる。
それに気づいてからは、物事の見方が変わりました。例えば、コントや漫才にも「型」がありますよね。時代を考えてそれをやるとか、やらないとか。樺澤さんの前でお笑いの話をするのはちょっと恥ずかしいんですけど、僕はM-1グランプリでジャルジャルの漫才を見た時、型を崩した彼らにすごく感動したんです。それを大一番でやるのはめちゃ難しいのがわかるから。
建築で言えば、ザハ・ハディッドが東京五輪の国立競技場のコンペで、最初スロープが首都高や線路をまたぐ案を出しましたけど、あれも一か八かでした。本番でああいうことができるかどうかは、すごくその人の資質にもよる。お笑いも建築も越境してわかるみたいなのは、測量を始めにやったからかもしれないですね。
西部 言いたいことは、すごくわかる気がします。何かをやり抜くと別のことにもつながっていると感じることはありますよね。
吉本に学歴は必須ではなかった
西部 まどかさんはどうですか? わりと明確な進路を高校の頃からイメージされて、勉強をがんばったという話でしたが、かたや、まどかさんが選んだ進路ってガチ理系ですよね? 理系の大学院まで行かれてそこから吉本に就職、というのは一般にもかなりのレアケースかと思いますが、当時の文理選択の経緯と、そこから就職に至る話を聞きたいです。
樺澤 そうですね。まず誤解を解くために言うと、個人の実感として、吉本に入るために学歴はそこまで必要ありません。
西部 そうなんですね!?(笑)
樺澤 はい。なぜ高校の時、先生が「高学歴でないと吉本には入れない」なんて言ったのか理由はわかりませんが、実際そこまで必要なかったように思います。だから、もし吉本に興味のある方がいたら安心してください。そのことをお伝えした上で私の場合は、先生が「とにかくネームバリューのある大学に行きなさい」と言ったので、私はそれを信じて「ネームバリューのある大学に行かなきゃ」としか思っていなくて、特にこれを学びたいみたいな気持ちはなかったんです。
それで、高校時代は理系科目が比較的得意だったというか、文系科目が壊滅的にできなかったので、とりあえず理系を選択して、当時得意だった物理が学べる応用物理学科にしようみたいな軽い気持ちでした。
西部 そこから、周りは研究者になったり、理系の専門領域に進む方も多いのではと思うのですが、それでも初志貫徹して吉本に行かれた?
樺澤 それが、大学生になって、なぜかわからないんですけど、一旦(吉本のことは)忘れたんですよ。というか、そもそも就職のことを考えなくなりました。まず卒業するための単位を取るのがやっとだったので、もう本当に目の前の勉強に集中していて、就活のことは一切考えられませんでした。
それで、大学院に進むかとなった時、学部時代の応用物理学科の勉強にはついていけなくてあまり楽しめなかったので、もっと興味のあることを学びたいな、せっかくだし、みたいな気持ちがはたらいて、専攻を変えて表現工学科に進むことを決めました。表現工学科はアートとテクノロジーを融合した分野で、機械的な制御を加えてアート作品を作るみたいなことをするんですけど、その分野のモノづくりにハマって、アートにも興味が出て、そこからは大学院生活がめちゃくちゃ楽しくなりました。
修士課程も終わりに近づいて、今度こそ就活を考えなきゃとなった時、表現工学科の周りの同期は専門職や技術職になる人もいましたが、メディア系に行ったり、広告代理店に行く人もいたり、結構いろいろでした。私も今まで学んだことを活かせるような技術職の説明会とか、就職合同説明会に行ったりしたのですが、ピンと来るものがなかったんですね。
そんな時にたまたま合同説明会で吉本のブースを見つけて、あ、そういえば私、マネジャーになりたいとか言ってたなぁと思い出し、話を聞いてみたらビビッと来て。「やっぱ吉本行かなきゃ」「絶対吉本行きたい!」という気持ちが、数年ぶりによみがえってきました。
西部 なるほど。
樺澤 だから、吉本に行くために一貫性を持って何かをしていたというより、大学生活を過ごす中で興味があるところにのらりくらり行きつつ、最終的に急に思い出してたどり着いた感じです。
西部 でも、戻ってきたんですねー。
樺澤 戻ってきましたね。
西部 面白い。ありがとうございます。
好きと得意、どっちを選ぶべき?
西部 ではここで少し話題を変え、改めておふたりに聞いてみたいのが「群馬時代の経験で、今につながっていることは?」という質問です。まず石村さん、先ほどもちょっとお答えいただいたかと思いますが、いかがでしょうか?
石村 直接的な回答ではないかもしれませんが、中之条町はのどかすぎて、周りで勉強してる子はそんなにいなかったんですよ。なので今振り返ると、高校時代にもっと勉強しておけば良かったと、そればかり思います。
僕の事務所は日本でも一応評価は受けているんですけど、それより海外で評価されて、日本の大学生よりもヨーロッパの大学生の方がよく来たりするんですよ。で、大体みんな英語で話しますが、僕は高校時代、「日本人なんだから英語なんか勉強しなくていいじゃん」みたいに思ってたから、話せないんだけど、事務所に来る人たちは大体みんな英語しゃべれるんですよ。僕の設計パートナーやっている子も、スイスに留学してたから英語が流暢で、僕も群馬時代にもっと英語を勉強しとけばよかったなぁ〜なんてずっと思ってますね。
西部 良くも悪くも当時の経験が反面教師になっていますか?
石村 そうですね。今言ったのはネガティブな面ですが、ポジティブな面で言えば、測量士の仕事を一回やり切って次の違う分野に行く経験を、他の人より早くできたのは良かったですね。20歳ぐらいで大学行こうって決めたり、どんどん切り替えて新しいものにチャレンジできたのはすごい良い経験でした。
西部 ありがとうございます。樺澤さんはどうですか?
樺澤 はい。私は前女時代に培った度胸というか、良い意味で周りの目を気にしないマインドみたいなのは、めちゃくちゃ活きています。吉本時代、アイドルをやらせていただいてましたけど、マネジャーがアイドルになる時点でまずちょっと変というか(笑)、周りから何か言われるんじゃないかとか気にする人は気にすると思うんですけど、やりたいことを思い切ってやった方が面白いみたいな前女マインドが強かったから踏み込めた。
創作ダンスも人前で披露するのは最初恥ずかしかったんですけど、高校で3年間続けてたら恥ずかしいというより、「もっと私を見て!」みたいな感じになれましたし、創作ダンスをやってる人は珍しいので、吉本坂46のオーディションの時も披露したら「変なやつがいる」って食いついてもらえたりして、そういうのも全部前女が育ててくれた精神だなって思ってます。なんか私、前女の崇拝者みたいですが(笑)、それは心から思ってますね。
西部 ありがとうございます。ここで高校生のおふたり、ゲストに聞いてみたいことがありますか?
茂木 一つ質問なんですけど、学校で「好きと得意、どっちを優先する?」って話をみんなでよくしています。苦手だけど好きな方を突き詰めるのか、あんまり好きじゃないけど得意な方を突き詰めるのか結構悩むのですが、おふたりはどっちですか?
西部 すごく良い質問! 石村さんどうですか?
石村 いや、これは難しいですよね、本当に。僕も建築好きだったかと言えば、別に好きだったわけじゃない。本当にたまたまなんだよね。たまたま建築学科に入って、非常勤の先生から「せっかく大学に入ったんだから、がんばってみれば?」って言われて、デザインなんかできないし、美術もそんな見てないけど、まぁやってみるかって感じで始めて面白かったなぁぐらい。だから得意でも好きでもなかったんだよね。
でも、結局やってみて好きになって今もやってる。好きか嫌いかって意外とイメージ論になっちゃうから、もう少し踏み込んでやってみて、好き嫌いみたいなのは、抽象論でないところで具体的な何かで決めていくと良いかもしれない、と思うかなぁ…。
西部 ありがとうございます。まどかさんはどうですか?
樺澤 どうしよう。めっちゃ難しいです。私の経験で言わせていただくと。私はその二択に迫られたことはないです。というのも、得意なものがなかったというか、あったのかもしれないけど気づいてなくて、好きな方に進んでいって今まで来てるので、その天秤にかけてどっちが良いとは言えません。
でも、いつも私が迷った時に決めているというか、信じている言葉はあって、「迷った時は勇気の要る方を選ぶ」。本当にちっちゃい二択で迷ったときも勇気の要る方を選んだら、後から後悔しても自分を許せるから。抽象的ですけど、そういう考え方もあるよって感じです。
西部 茂木さんは今まさにその狭間で考えてたりする感じですか?
茂木 そうですね。2年の後半になるとそろそろ進路を決めなきゃいけない時期だと思うんですけど、今行きたい学科が一応あります。あるんですけど、理想と現実が離れてるというか、学力が追いつかなかったり、現実を突きつけられて違うなぁ〜と思うこともあるので、好きと得意のどっちを選ぶべきか悩みます。
西部 でも、好きも嫌いもおぼろげながら自己認識できてるのはすごいですね! 私も個人的なコメントを加えると、高校生の時に好きだったことって変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし、可能性を決めすぎてしまうのはちょっと早い気もします。
得意なことでもやっていくと好きに変わる可能性もあるし、好きなことがもう揺るぎないくらいはっきりしてるのであれば好きなことを積み重ねていけば、それが得意になって誰かの役に立つことにもなるかもしれない。だからあまり考えすぎなくてもいいのかなとも思います、個人的には。いろいろ試してみたらいいかもしれませんね。
(後編に続く)
群馬県人は意外とミーハー気質なところが良い? 後編は群馬の魅力についてみんなで盛り上がります!
ライター・岩井光子
登壇者

石村 大輔 建築家
中之条高校卒業後、都内の測量会社に就職。その後、東京理科大学工学部第二部建築学科で学び、設計事務所勤務を経て、2017年に根市拓氏と2人で建築ユニット「Ishimura +Neichi」設立。足立区を拠点に地元の職人さん、クリエイターと「Senju Motomachi Souko」を運営。生ゴミを循環させるしくみづくりとコミュニティ醸成を目的とした住民有志によるプロジェクト「あだちシティコンポスト」にも携わる。購入したマンションの部屋を自身で設計、リノベーションして暮らしている。2022年から日本工業大学、2024年から東京理科大学で非常勤講師を務める。

樺澤 まどか インフルエンサー
前橋市出身。実家はオクラ農家。早稲田大学先進理工学部を経て、同大大学院基幹理工学研究科ではロボット研究や科学技術を使ったアート作品制作を行う。2019年修了。吉本興業に入社し、マネジャーとしてかまいたち、とろサーモンを担当しながら同社のアイドルグループ・吉本坂46でも活動。2023年に退社後はワーキング・ホリデー制度でオーストラリアへ。インスタグラムフォロワー14万人超のインフルエンサー、人気YouTuberとして現地生活を紹介。海の向こうから上毛新聞のコラム執筆も担当。

西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO
前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。

茂木 梓鶴 前橋女子高校2年
