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【熱源な人】木のおもちゃ専門店を1996年から営むTOYS&GIFT MOMO店長 茂木しづ子さん

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道なきところへ一歩を踏み出し、自分の道を切り開いた人の心には、ふつふつと湧き立つ熱がある。黙々と働くあの人の中にも静かに宿るその熱が、社会を変え、未来をつくる原動力となる。湯けむりフォーラムでは、群馬において様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、その動機や、これまでのストーリーを深掘りして伝えていきます。その人自身が熱源となり、誰かの心を沸き立たせるきっかけとなるように。

Contents

回り道をした学生時代
ほしい積み木に出会えないまち
心にぽっかりあいた黒い穴
子どもはみんな自由で平等
鳥と鹿で伝えたいこと

ゲームソフトが子どもの遊びを席巻している現在、ヨーロッパ製の良質な木のおもちゃばかりをそろえたMOMOのような小売店は全国的に見ても珍しいそうです。店長の茂木しづ子さんは県内では取り扱いの少ない、色やデザインの美しいロングセラーのおもちゃをたくさんの親子に紹介、乳幼児の健やかな発達を優しく見守ってきました。高崎のまちにMOMOを立ち上げるまでの話をうかがいながら、25年に渡って店を続けてきた茂木さんの熱のありかをのぞかせてもらいました。

回り道をした学生時代

「そう、そうね〜」と、いつも相槌を打って相手の話を柔らかく受け止めてくれる。かと思えば、「私ね…」と楽しげに話し始める様子には少女の面影がのぞく。「姉が洋楽好きだった影響で、朝はいつもロックやR&Bの音楽がかかっている部屋で育ちました。小学生の時はミック・ジャガーと結婚したいって本気で思っていたんです(笑)」

「ほっこりした雰囲気ですけど、これと決めたらやめない性格です」、娘でMOMOのプロデューサーの成美さんは、母の人となりをそう分析する。変化のテンポが速い時代、あえて変わらないものに目を向け、良さを伝え続けるには、強い気持ちがいる。

高校では美術の先生から美大を薦められ、一時は真剣に美大進学を目指した。しかし、受験勉強に気が乗らず、最終的には自ら美大をあきらめて都内の短大に進学。キリスト教保育を学んだ。「先生や周りからはどうして? と散々言われました」

卒業後は地元で幼稚園教諭になったが、数年で退職。進路を仕切り直すつもりで前橋の美術系専門校に入り、建築家を夢見たが、卒業せずに中退してしまった。茂木さんは道半ばで終わってしまった進路選択の数々が、今の熱源になっているのかもしれない、と話す。「美大に行けなかった後悔、建築家になれなかった後悔です」

ほしい積み木に出会えないまち

しかし、バラバラに学んでいたことは、少しずつつながり出した。結婚して出産、娘の成美さんが2歳になった頃のことだった。「積み木を買おうとまちへ買い物に出たら、積み木を説明して売ってくれる人がいないことにまずびっくりしました。私は保育を勉強していたので、自分の子どもにはこんな積み木が必要だというのはわかっていたのですが、まち中探しても売っていないんです。その時はお店を作ろうとまでは思いませんでしたが、まちってどういうことなんだろうなぁと、ふと考えはじめたのはその時でした」

茂木さんの頭にあったのは、短大で専攻したキリスト教保育の自由保育で使われていたような積み木だった。自由保育は時間や空間、対人間のルール、生活習慣などある程度の秩序に基づいた心地よい環境の中、子どもたちが安心して主体的にやりたいことを選んで遊ぶ。そんな保育法だ。

「今思うと、結構特殊な教育だったかもしれないです。人はみんな違う。そして、自由であるということは一人ひとりにすごく責任がある。そんな教育をバンって受けたんですよ。自由保育は責任が伴うから、使ったおもちゃはきちんと自分で片づけて棚に戻します。だから、どういう積み木が子どもたちに良いかも、私は実習で見ていましたし、なんとなくわかりました」

スイス・アルビスブラン社の積み木はそんなエピソードを思い起こす商品。娘の成美さんもとりわけ思い入れの深いおもちゃ、と話す。遊んだ後は直方体や三角柱、半円、アーチ型の立体などをうまく組み合わせると長方形にすっきり、美しく片づけられる

心にぽっかりあいた黒い穴

茂木さんが店を始める決意をしたのは、それから4、5年後のこと。

「娘の幼稚園で父母の会の会長をしていた時、バザーの予算が余ったことがあったんです。ワープロを買おうとか、棚を買おうとかいろいろな意見が出たなか、私も意見を言わせてもらって、おままごとのコーナーを作りましょうと提案しました。それで予算を調べてみることになったのですが、今度はおままごとのコーナーがわかる人が見つからなくて。そんな時に園の保護者の方から紹介していただいたのが、静岡の百町森さんという絵本とおもちゃのお店でした」

茂木さんが探し回ったままごとコーナー(写真後方)。茂木さんが学生時に研修した園では、登園した子どもたちがまず朝ここで大人をまねて“お仕事”をする。ごっこ遊びは、子どもたちが社会を学ぶ入り口になる

「百町森の柿田友広さんに散々探し回った経緯をお話ししたら、『じゃあ、茂木さんが高崎でお店をやったら?』って。その時、私の心のここに穴があいたんですよ。黒い穴が」

茂木さんは左胸の高い位置にこぶしを当て、ぐるぐる回しながら何度もそう言う。

−黒い穴とは? 

「私にとっては良い意味ですね。悲しいでなく、面白いぞってことかな。そういう感覚は人生で何度かありました。身体中をかき回されているみたいにぽっかり黒い穴があく。静かに。ドンッと。もうやらなきゃみたい感じになって」

心をそだてるおもちゃ「MOMO」は1996年、高崎市筑縄町に開店した(写真提供:茂木さん)
こちらは移転後、2021年現在の店舗。高崎市下小鳥町

スイスやドイツのロングセラーの玩具などを中心に置いた店は、県内はもちろん、全国を見渡しても数少ない。

「そういうお店は少ないみたいですね。変な話だけど流行に乗らないから儲からないみたいなこともあります(笑)。木馬があって、お人形があって、おままごとのセットがあって、ドアを開けたら、絵本の中で見たようなおもちゃ屋さんの空間に入れる。自分の暮らすまちで普通にそういう場所が必要だし、そういう空間が作りたかった」

年齢別、用途別に子どもの発達を考えたおもちゃが所狭しと並ぶ店内

0歳から就学前までの子どもは、特に体と心の距離が近い。五感をフル稼働させて触ったり、動かしたり、並べたり、見立てたり、自分なりの実験や探求を遊びの中で繰り返す。そんな乳幼児の姿を長年見守ってきた。

「いろんな熱源があるとは思いますが、私にとってはやっぱり人ですよね。お客さんというか、お店に来てくださるお母さん、お父さん、子ども。それが私の一番の熱源なのかなと思うんです。特に赤ちゃんはすごいエネルギー。みなさんも感じますよね!」

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開店して25年。最近は親になったお客さんが子どもを連れて再訪してくれることもある。

「コロナ禍で思い出してくださるのか、昔のお客さんが戻ってきてくれています。この前はお子さんが生まれてお父さんになった方が、赤ちゃんを抱いて来てくれました。シロフォンがついた玉転がしの玩具を懐かしそうに鳴らしていて、奥さんに『俺さ、これ大好きだったんだよ』って」

幼い頃に心地良く思った感覚は、ずっと体の中に残っているのだろう。感覚を再体験することで、遠い日の記憶も一気によみがえる。

「何度か雰囲気を味わった様子を見てから、私がちょんちょんって肩をつついて、『それ君が遊んだ時から、そのままだよ』って。サンプルの交換とかしていませんから、当時と変わらない、おんなじ物なんです。自分が子どもの時に遊んだおもちゃとおばさんがいる店ってすごいですよね(笑)」

子どもはみんな自由で平等

茂木さんは2012年頃から移動販売の菓子店やコーヒー店を店舗前の敷地に招いたりして、イベントを企画するようになった。「子育て中のお母さん、お父さんたちにおいしいものでホッとしてもらいたくて」

イベントの中でも特に反響が大きかったのが、シュタイナーやモンテッソーリ教育の実践者による講演会やワークショップだった。モンテッソーリは将棋の藤井聡太三冠が幼児期に接した教育法として話題になったことは記憶に新しい。どちらも子どもの自発性や個々の発達経過を大事にした環境づくりや遊びを推奨していて、茂木さんが勉強していた自由保育と親和性の高い教育法だ。従来の教育に対し、“オルタナティブ教育”と呼ぶこともある。

「MOMOで扱っているおもちゃは、実はきちんとした教育的なねらいがあって作られているので、多くのお母さん、お父さんが子育て中にそういう教育とも出合えたらいいなぁと。いろんな考え方を知って、子育てが楽になることもあると思うんです」

でも、茂木さんがやるのは「こんな教育法があります」と伝えることまで。その線の引き方は潔い。

「調子良く聞こえてしまうかもしれないですけど、私はモンテッソーリですとか、うちはシュタイナーですと主張するつもりはないんです。世界のいろんな教育を自分も知りたいし、お客さんにもお伝えしていきたい。『その中で何が良いんだろう?』が一番言いたいことです。それは、宗教に関しても同じように思います。親がどんな信仰を持っていても、生まれた子はみんな自由で平等だと思うんですよね」

開店当初は「結果的には知り合いがたくさん来てくれてありがたかったです」というが、本当は「知り合いでない人にどうしたら伝えられるか」を目標にしていたとも明かす。内輪でまとまらず、公平に広く伝えようとする茂木さんの人柄が、MOMOのバックボーンとしてある

鳥と鹿で伝えたいこと

そして、茂木さんはどんな局面でも未来志向だと思う。昨今のコロナ禍でも。

「私はチャレンジするのが好きなのかな。コロナで来店者が少なくなっていることを活かしてみたい。私が説明に動くのでなく、お客さんが感覚を使って静かに見るのも良いかもしれないと思って」

茂木さんは中に鈴の入った小さい球の玩具を耳元で鳴らしながらこう言う。

「どれにしようかな? そうやって大人もまず自分の感覚を使ってくれますよね。ゆっくり感覚を使ってもらって選べるお店を目指してみようかなと」

MOMOの事業は今、おもちゃの販売にとどまらず、人と人とのつながりを作るステージへと広がっている。2011年には大学で社会教育を学んだ娘の成美さんがプロデューサーとして参画。運営会社名もモギからtricica(トリシカ)に変更した。今後は玩具の販売に加えて大人向けの教室なども充実させていきたいという。

店舗近くの敷地に建てたエルデで。「今はコロナで人を集められないんですけど、いつか誰もがいつでも来て、芸術や社会教育を学べるような場になると良いなと思っています」

YouTubeやインスタライブも始めた。商品紹介を中心に、90歳の母親に人気のビー玉を転がす積み木で遊んでもらう様子を実況中継したり、成美さんと共同制作している企画番組も好評だ。カメラは3台あり、店内からライブ配信している。茂木さんは慣れない撮影に始め緊張気味だったが、「今はレンズの向こうに赤ちゃんを抱えたお客さんを思い浮かべて話すようにしています」と話す。「いつかお店に行ってみたい」「次回も楽しみにしています」、背中を押されるメッセージがうれしく、初めて来たお客さんが「YouTube、見ていますよ」、と声をかけてくれることもあるそうだ。

新社名「トリシカ」は、鳥と鹿を表す。「実店舗が大地を歩く“鹿”、YouTubeなどデジタル発信が空を飛ぶ“鳥”」だそうだ。デジタル化を鳥に形容するのがなんともMOMOらしい絵本を思わせる世界観だ。夢がある。

2018年に心機一転、お店のロゴを変更(上が旧ロゴで、下が新しいロゴ)。翌年社名も変更し、こちらのロゴも新たに作成した。「デザインってすごいですよね。これも私たちの熱源なんです」と茂木さん

「25年の間、これまでにみなさんが教えてくれたたくさんのことを伝える場があるのは、とても幸せなことだなと思います。お店に来た人には鹿で伝え、お店に来られない人には鳥で伝えて、ね。だから、YouTubeもインスタも良い影響が出ています」

熱源は自らに、というより、人からもらっている、と語る茂木さん。受け取った熱は自分の中にこもらせず、広く伝えて、たくさんの人と共有していきたい。これまでも、これからも。

登壇者

茂木しづ子 TOYS&GIFT MOMO 店長

渋川市生まれ。東洋英和女学院短大卒。幼稚園教諭を務めたのち、北関東造形専門校に入学し、プロダクトデザインを学ぶ。1996年に心をそだてるおもちゃMOMO(現・TOYS&GIFT MOMO)を高崎市に開店。有限会社tricica取締役。