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人と自然をつなぐ旅。自分をとりもどす、新しい観光のキーワード「リトリート」

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群馬県の未来を担う、観光産業の中核人材を育成するプログラム「ぐんま観光リーダー塾」。地域の課題を解決するために、観光地域づくりを推進できる中核人材の育成を目指した、“学び”と“対話”を中心とした講座です。第7期目となる2023年度では対面講義を基本としつつフィールドワークも行われ、より立体的な学びが醸成されました。

今回は、レギュラーコースのフィールドワーク講座として実施された、みなかみ町・藤原地区でのリトリート体験の様子をお届けします。

「地域」と「人」が補い合う、「リトリート」という架け橋

2023年11月25日。この雪景色を舞台に、今回の講座では近年注目を集めている「リトリート」を学びます。

そもそも、「リトリート」とはどのような活動のことを指すのでしょうか。

もともとは体勢を立て直すための「退却」「撤退」などを意味しますが、そこから転じて「隠居」「隠れ家」「癒し」「内省」といった文脈で使われる言葉になりました。観光や地域振興の新しいキーワードとして全国でじわじわと使われるようになり、特に群馬県では「リトリートの聖地」を目指して比較的早期から様々なプロジェクトが立ち上がっています。

(※)群馬県では、県民の幸福度向上に向け、近未来構想の1つとして「リトリートの聖地」(※)を掲げ、長期滞在型の旅行を推進しています。普段過ごしている場所から離れ、仕事や人間関係といった日常の煩わしさから解放されて、ゆったりと心と体を癒し、新たな自分で再スタートする「リトリート」。余裕のある時間をしっかりとって、自分と向き合い、心と体の変化を感じられるような過ごし方を提案しています。

【詳しくは、こちらの記事もご覧ください】
https://yukemuriforum-gunma.jp/program/retreat/

ただしリトリートを理解する上で念頭におきたいのは、「いわゆる“観光”とは異なる目的で行われる」ということです。これまでの“観光”は、たとえば有名な観光地を巡ったり、名物料理を食べたり、お土産を買ったりと、言うなれば「地域の魅力にふれ、おもてなしを受ける」体験でしたが、リトリートは多くの場合「自身と深く対話する時間を持ち、創造性や自分を大切にする気持ちを高めたり、よいチームビルディングに貢献したりすること」を目的に据えます。

デジタルの普及により暮らしや仕事が便利になる一方で、情報社会の中で心を休める時間が取れなかったり、人同士の「常時接続」によるストレスが生まれたりと、マイナスな影響も無視できません。そんな中だからこそ、心身ともに日常生活から距離を置き、まだ観光としてスポットが当たっていない落ち着いた地域でリトリートすることの必要性が注目されているというわけです。

今回は、みなかみ町・藤原地区でのリトリート体験を通して、新しい観光の形を体験しつつ、今後の「ぐんま観光リーダー塾」への臨み方を再考し、新たなアイデアのきっかけを掴みます。

「もとからある力」で分断に立ち向かう

1万7000人ほどが暮らす群馬県の最北端、みなかみ町。「道の駅みなかみ水紀行館」から20分ほど北上した場所にあるこの「藤原」という地域は、冬季には豪雪が降る場所で、地区内に3つのスキー場があります。

その面積はみなかみ町の約半分を占めますが、人口は400人程度。どちらかというと、人よりも動物のすみかです。本取材をおこなった11月の気温は氷点下に達していました。

集合場所は「animal lodge」。一棟貸切のロッジで、夏にはファミリーが、冬にはスキーの利用客が多く訪れる場所だそうです。

Tomaruのおふたり。左から、柳沼翔子さん、井上昌樹さん。

今回のリトリート体験の案内人は、「Tomaru」のふたり。日常の中で起こる分断——たとえば「人と自然」、「自分と他人」、あるいは「自分と自分」、ということもありえるかもしれません——に対し、私たちが本来持っているつながりの力をもって立ち向かおうとしているチームです。

Tomaruのリトリートでは、
住み慣れた土地を離れて、
自然の中で五感や身体感覚をめいいっぱいに使い、
大切な気づきや思いを「言葉」にして持ち帰ってもらいます。

https://tomaru.org/retreat より

新卒で大手旅行会社に入社し、その後人材開発の会社に勤めていた柳沼さん。イギリスに留学した大学時代、「あなたはどんな人?」「何をしに来たの?」とよく聞かれ、自身のアイデンティティについて深く考えるようになったのだそう。

「どうしたら、人が元気に活動できるのか」を軸に働く中でコーチングに出会い、2018年に独立。コーチやファシリテーターとして人や組織のつながりを促す仕事を続けてきました。

※コーチング……人や組織のコミュニケーションの手助けをしたり、自主性を引き出したりする人材開発のメソッド

「人が、生き物として本音を話し始める瞬間があるんです。そして、どうやらそれは会議室ではなく、自然の中であることが多いことに気づきました。私も含めて、自然の中にいるときのほうが早いスピードで自分を取り戻していくんです」(柳沼さん)

そんな活動が実現できる場所を探していたところで出会ったのが、みなかみ町でした。「フィールドにも恩返しがしたい」と考えた柳沼さんは、地域おこし協力隊としてみなかみ町に移住し、林業の仕事を行いながらリトリートの場も開いています。

井上昌樹さんは、もともとマーケティング系の会社に勤務していました。駅直通のオフィス通いで、空を見ることなく忙しない日々を過ごす中で、休職やうつを経験。その後、転職エージェントのキャリアアドバイザーを経て、独立してコーチングの道へ進みました。その学びの場で、柳沼さんと出会ったのだそうです。

「対話の場をひらく中で、『やっぱり、自然の中でやりたい』と思うようになりました。地方には、自然はもちろん、人の優しさがあり、自分が本来持つ力に気づける時間があり、文化と伝統がある。この環境を知らずに生きるのは、もったいないと思うんです」(井上さん)

また今回は、直前に2泊3日のリトリートに参加したという松苗沙織さんも運営チームに加わり、場をホストしてくださいました。

自分のために「問い」を立てること

運営チームのお話を聞いたあとは、チェックイン。ゆっくりとリトリートの場に入るための心の準備です。

「話したいことを話してください。話したくないことは、話さなくてよいです」と案内があり、安全な場で自己紹介、今の気持ち、参加しているきっかけなどを話すことができます。

「今年から観光協会に勤め始めたので、職場に何か持ち帰れるかなと思って参加しました」

「普段と異なる環境なので、わくわくしています」

「せっかく取った狩猟免許を活かしたいと思い、東京から群馬に移住してきました」

「山の近くでゲストハウスを開きたくて、参加しました」

ここにいるメンバーが、それぞれどんなバックグラウンドやきっかけを持って集まっているのか。すでに「ぐんま観光リーダー塾」として座学は行われていますが、このチェックインで初めてお互いのことを知った、と話す方もいました。人の大切な話を聞くことで、自分もまた大切な話をしたくなる。そんな心の動きが感じられました。

また、「私たちが普段の生活で抱えている役割・肩書き」は一旦降ろします。親、長男、妻、新人、マネージャー、○○係など……。紙に書き、今日のところは運営チームに預けてしまうことで、ひとつの命としてリトリートを体験するのだという気持ちが強くなります。

このあと、午後には山の中に入りますが、その際に持ち運ぶ「問い」を自分自身で定めます。それは、自分にとって意味があるもので、正解がなく、すぐに答えが出ず、繰り返し湧いてくるような問い

自分はこれから、何をしたいんだろう。何のために働いているんだろう。子どもたちが幸せに暮らすにはどうするべきだろう……。各々が立てた解なき問いは、思考の行き先をいざなうランタンになります。

問いをポケットにしまったら、お昼ご飯を食べて一休み。午後は森の中に入ります。今回は、みなかみ町内のお弁当屋・スミカリビングさんのお弁当をいただきました。

仲間の農家さんが育てた無農薬のお米、自分たちで育てた鶏の卵。オーガニックでスローなお弁当は、とても美味しいのに健康的。山の味覚を味わいながら、午後の活動のための活力をつけます。

自然と自分だけの時間をもつ

準備が整ったら、真っ白な雪に包まれた森に入っていきます。

ここは藤原地区の中でもさらに奥地の、上ノ原茅場という場所。春には野焼き、秋には茅刈りすることで維持されている一面のススキ草原、そして奥に広がるミズナラ林があり、利根川の源流のひとつである「十郎太沢」が流れています。

心と体が森に馴染んできたら、ここからは自分と向き合うためのソロタイムです。あらかじめ立てた問いを思い出し、深く自分の内側に潜ります。

お気に入りの木の下、やわらかな草の上、川の横の岩でじっと止まってみる。上へ向かって歩き続けてみる。植物や鳥を観察してみる。目を閉じて、音だけを聞いてみる。自然の中での過ごし方には、たくさんの選択肢があります。

再集合の時間を設定し、参加者それぞれが自分に導かれるままに森の時間を過ごしました。

旅を終え、日常に帰る

ロッジに戻ったら、森での体験を経て印象に残っていることや覚えておきたいことなどを言葉や絵におこし、輪の中でシェアします。

「上りより、下りのほうが勇気が要ることがわかった」「動いていると暖かいが、立ち止まると体が冷えてきた」「似た景色が続く雪山の中で、足跡があることに安心感があった」……言語化したり形に表したりすることで、今回の事実、今日の自分を日常に持ち帰ることができるようになります。

リトリートが拓く、群馬の観光の未来

以上で、みなかみ町・藤原地区でのリトリートは終了です。Tomaruの柳沼さんはこのようにまとめました。

「今回は予想外の大雪での開催となりました。私たちのリトリートは台風や大雨でない限り基本的には実施しているのですが、やはり安全も考慮したいので、実施するか中止するかは毎回とても考えています。また、人間ひとりひとりが自分の命を全うする、ということは地球環境にとっても良い活動だと思っています。ぜひみなさんのところにもお邪魔したいですし、また藤原にもお越しいただけたら嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします」

観光を未来へ発展させるためには、地域が持続可能であることが前提条件です。他者や自分との対話を通して人と自然を再生するリトリートは、これからの群馬の観光を明るく照らすキーワードになるのかもしれません。

ぐんま観光リーダー塾では、「体系的な学びの機会」「人脈作り」「自己成長の場」の3つを軸に、未来の観光を牽引するための総合的なスキルが身につくプログラムを提供しています。座学の講義にとどまらず、今回のリトリート体験をはじめとしたフィールドワーク等、実践的な思考の場も通して、仲間をつくりながら学びを深めていきます。

また、今回は「レギュラーコース」に加えて「地域コンテンツ・ガイドコース」も開講。受講生が主体的につくりたい地域体験プログラム(着地型観光商品、ガイド付きツアー等)をイメージして参加し、座学研修と実地体験を通じてアイデアやプランを練っていくカリキュラムです。

ライター/カメラマン 市根井直規

<地域コンテンツ・ガイドコースのレポート記事はこちら>

 ※後日4/5(金)公開予定