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全国群馬県人図鑑-グンマーズ–vol.3国井健輔さん×高橋史好さん【中編】

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全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、県外在住の県ゆかりの出身者、先輩方をお招きして現在のお仕事の話はもちろん、県内で過ごした学生時代の思い出、地元への熱い思いなどを丸ごとインタビューする新企画。

この中編では、ゲストのお二人が「身近な興味と高校の探究学習や課題研究を組み合わせるコツやアドバイス」などについてトークを繰り広げます。今、学校の授業や部活で取り組んでいることが新たなプロジェクトや起業の種につながるかも?

「地元とつかず離れずの関係」でいられた理由

司会の西部さん

西部 お二人が群馬を出る決断を最初にされたのは、何歳の時ですか? 

国井 自分は高校を卒業して、大学に進学したタイミングで群馬を離れました。当時は東京に行きたいという気持ちがすごく強かったですね。

高橋 私は中央中等に入学したことが一つの大きなターニングポイントでした。学校の先輩の多くが都内や関西の私立大、地方の国立大に進学していて、選択肢としては珍しいものではありませんでした。中等に入った辺りから薄々県内を出て進学する、一人暮らしをするんだろうなぁというイメージを持っていました。

西部  一旦県外に出たけれども、今は二人とも群馬をフィールドにした活動もされていて、その辺りがすごく興味深いなぁと。

特に国井さんや私の世代はまだ、群馬にいてもあんまり面白いことない、とにかく東京目指せ、みたいな世間の空気も少なからずあったと思うんですよね。その結果一度群馬を離れて、改めてもう一度群馬をフィールドに活動されることについて、どんなふうに感じていますか?

国井さん

国井  就職してすぐ前橋に配属されたことは影響していると思います。自分としては本社のある東京で働きたかったので、正直最初はショックだったんです。でも実際に働いてみると県内に魅力的な会社がたくさんあることもわかりましたし、観光地もすばらしいですし、改めて群馬県の魅力に気づいた3年間でした。

それと、もう一つは太田高校の野球部の同期が20人弱いるのですが、うち半数は今も県内で働いているので、卒業後も年に何回かは地元で集まっていました。やっぱり仲間がいると自分もそこにかかわっていきたい気持ちになりますので、おかげで群馬ともつかず離れずでいられたのかなと思っています。

西部  地元に帰ると居場所がある、ということはきっと大きいですね。

ビジコン登壇後、桐生から突然連絡が

西部  高橋さんはどうですか?

高橋さん

高橋  私もいろんな要因が重なって流れ着きました。(中央中等の)卒業式と大学の入学式がコロナウイルスの感染防止対策でなくなり、大学もほぼ2年間オンライン授業でしたから、拠点を自由に選べたことは影響していると思います。

群馬県と進学先の都内で二拠点生活をしながらトゥクトゥクのプロジェクトを実施する場所を探していたところ、製造業の栄えた歴史のある桐生商工会議所の方のアントレプレナーシップ(起業家精神)に触れる機会があったんです。若い子が提案を持っていってもすごく協力的にサポートしてくださる土地柄が気に入りまして、桐生市でプロジェクトを続けていこうと決めました。きっかけは偶然だったり、ご時世の影響もあります。でも、そのおかげで群馬の豊かさや土地としての強さを感じられたので良かったと思います。

西部  桐生で事業を立ち上げるんだ、と高橋さんが先に決めたわけでなく、桐生に導かれたわけですか?

高橋  そうですね。実は桐生市でやることになったきっかけが面白いんです。GIA(群馬イノベーションアワード)に3年くらい前に登壇した時にたまたま桐生市の商工会議所の方がいらしていて、その3日後に「トゥクトゥクを1台買ったので好きに使ってください。すぐ桐生に来てください」と連絡をいただき、断れず、ずるずる始まったのが最初でした(笑)。でも、若手以上のスピード感を持ってアグレッシブに来てくださる方がたくさんいるまちで、すごく魅力を感じました。

※GIA 県内や国内の次代を担う起業家を発掘するプロジェクトで2013年より開催。ビジネスプラン部門、スタートアップ部門、イノベーション部門の部門別で、エントリーは高校生から一般まで幅広い。主催は上毛新聞社、共催は田中仁財団。

西部  へぇ、面白いですね! GIAで登壇しなければなかったご縁だった。

高橋  そうですね。

西部  お二人とも縁で流れ着いて、また群馬と縁が深くなったということですね。

インドはカオスを知れる場所?

西部  ここで高校生のみなさん、質問やコメントなどありますか? どなたでも。

太田高校の丸山さん

丸山大輝(以降、丸山) 高橋さんに聞きたいです。高校生が単身インドに行くのは怖いことだとも思うのですが、地元を離れて一人で海外に行く時はどんな感情だったのですか?

高橋  元から好奇心旺盛で、外の世界を知りたい気持ちがずっとありました。勉強に部活、毎日決められたルーティンで生活していくのが少し苦しくなってきたタイミングがあって、それに「何かしでかしてやるぞ」っていう反抗期のメラメラした感情が重なって、爆発して行ってしまったのだろうなぁと、今振り返ると思います。

インドを選んだ理由ですが、元々私はドン・キホーテやヴィレッジヴァンガードみたいに情報量が錯綜する、モノが無作為に置かれているカオスな場所へ行くとなぜか胸が高鳴る、魅力を感じるところがありまして。

そうした「カオスさ」を知れる場所ってどこだろう? と思った時、あ、インドじゃないかなぁと思って決めたのですが、もちろん不安はたくさんありました。それこそ1年間の渡航となると狂犬病に破傷風、20本以上予防接種しなければいけなくて、それが大変で直前になって後悔もしましたが、すごく良い経験になりました。

※ヴィレッジヴァンガード 「遊べる本屋」をコンセプトに掲げる小売店で、全国各地に300店舗ほどある。書籍や雑貨などをあえて “ごちゃまぜ”に陳列することでワクワクする店内を演出。エッジの効いたポップカードも若い世代の支持を集めている。

丸山 自分も大学生になったら留学したいと考えていますが、日本の学校の留年を覚悟して冒険できるのはすごいなと思いました。

西部  高橋さんは、そこにも抵抗感はなかったですか?

高橋  不安はありましたが、一歩引いて冷静に考えてみると、大学では同学年でも2つ3つ年齢差があるのは普通なので、留年して1年遅れることは自分の長い人生のキャリアの中で見たら、そんなに大きな問題ではないかもしれないと感じました。

伝統野球部のアップデートを考える

西部  続いて石倉さんも質問ですね。お願いします。

太田高校の石倉さん

石倉希実 国井さんに質問です。自分は(太田高校)野球部に所属しています。同期とのつながりが今かかわっているプロジェクトに活きたという話がありましたが、それ以外で野球部のどんなところが社会で活かされたのか、知りたいです。

国井  いい質問ですね。野球に限らずスポーツはビジネスにも役立つと思っています。野球もそうですが、試合に勝つという目標がありますよね。勝つためにどういうメンバーでやって、どういう練習をして、誰がどういうポジションを守ればいいのか。掲げた目標に対してチームで考えて向かっていくというのは、まさに仕事と同じだと思います。

西部  続いて、宮下さんも質問や感想、ぜひお願いします。 

太田高校の宮下さん

宮下誉生 国井さんにお伺いします。今、太田高校は総合的な探究の時間で「あなたが創造したいと願う社会」について考えているのですが、国井さんの高校時代にそういった取り組みはありましたか?

国井  自分が高校生の頃は探究学習のような時間はなかったと思います。当時を振り返ってみると、太田高校OBの大学生や社会人が学校に話をしに来てくれたことは何度かあって、興味深く聞いていたことを思い出します。太田高校の今のホームページを見てみますとビジネスプランのコンテストに出場する生徒がいたり、探究学習で地域の会社に話を聞きにいったりする生徒もいて、そういう場を積極的に活用していくと良いと思いますね。

それから野球部の皆さんに対する提案というか、これをやったら面白いのではと思うのが、野球部の“アップデート”です。高校の野球部はまだ変えていける部分があると思うので、これから新しい野球部をみんなで作っていきませんか、という提案をしたいです。例えば、先ほどお話したクラウドファンディングみたいな形で地域の会社に野球部のスポンサーになってもらうとか、総合探究の学習の一環としてもそんな取り組みはできるような気はしています。

あとは、太田高校の生徒さんで運動は苦手だけど、野球を見るのは大好きな生徒って結構いると思うんですよね。そういう子たちに仲間になってもらってスカウト活動をやってもらったり、戦力分析をしてもらったり、野球部の一員としてアナライジングスタッフみたいな生徒がいてもいいかもしれません。

西部  それが実現したら、年代や経験問わず、いろんな人が野球部にかかわれますね! 確かに自分の部活を素材にするのもありですね。自分の部活を現代にアップデートする。良いところを残しながらより良いシステムを取り入れる。そんな取り組みも面白そうですね。

高橋  国井さんの話、まさにそうだなぁと思いながら聞いていました。私もプレゼンテーションでは大きなことを話したりしますが、自分の目の前の小さなコミュニティとどう真剣に向き合ってくかが大切だと感じています。

私のトゥクトゥクの事業も、中央中等の課題研究のテーマに選んだことが始まりでした。身近なビジネスコンテストに出てみたり、小さな一歩を踏み出すことの繰り返しで手に入れられるものがあるのではないかと。国井さんのおっしゃったことに共感しています。

西部  本当ですね! ありがとうございます。

肩の力を抜いて 身近なテーマ見つけて

西部  中央中等の原さんも質問、お願いします!

中央中等の原さん

原隆太 僕は高橋さんにお伺いしたいです。中央中等では英語に力を入れていますが、インドや海外で、中央中等で学んだ英語の授業が活かされたことはありますか?

高橋  そうですね。中央中等の教育システムはとてもユニークで、通常の英語の授業の他にALTの先生が受け持つECOM(イーコム)という面白いクラスがありました。授業内は英語しかしゃべってはいけないルールがあって、それで臆さず海外の人と話すことができるようになった気がします。自分の話していることが正しいかなと不安になって言葉が出なくなったりする方が言語を使う上で大きな問題だと思っていたので、中央中等のECOMのクラスでやっていたことはすごく役立ったと思います。

西部  視聴者の方からも続々と質問が届いています。中央中等4年生の現役の学生さんからで、「私は学校の自由な探究活動がうまくできません。情報収集が進まず、テーマ設定から間違えているのかもしれません。探究学習を進めていく際のコツとか、アドバイスをお願いします」とのご質問をいただきました。

高橋  中央中等の探究学習は、テーマを毎年変えることもできます。私は毎年変えていたタイプで、その年に興味が湧いたことを1年間ひたすら調べていました。気持ちが乗らないことはできないので、自分の気が乗ることを選んでテーマにしていたのを覚えています。例えば、家の近くに養鯉場(ようりじょう、鯉の養殖場)が散歩ルートにあったので、面白そうだと思って1年目は群馬県の養鯉業について調べました。2年目は、私の出身が高崎市豊岡なのですが、家の近くに高崎だるまの工房がたくさんあったのでだるまのデザインの変遷を調べました。最後の年は、トゥクトゥクが好きだからトゥクトゥクをテーマにしました。

私の経験からのアドバイスとしては、これをやったら先生が喜ぶだろうなぁとか、SDGs的に響きが良いとか、そういう視点より、家の近くにあったとか、これなら好きだから調べられるといった純粋な興味からテーマ設定をしてみるのもありかもしれません。

西部  先ほどの国井さんの話ともつながりますね。あまり大上段に構えすぎず、身近なところにテーマを見つける。テーマを変えられるのも良いですね。壁に当たったり、うまくいかない時、そこに固執しすぎると新しい発想が止まってしまうこともありますけど、変えてもいいのなら、考えも切り替えられますよね。

(後編へ続く)

次回は「未知のエリアに最初の一歩を踏み出す秘訣」を二人が大公開!

(ライター:岩井光子)

登壇者

国井 健輔

1980 年生まれ。太田市出身。高校時代は野球部に所属。都内の大学卒業後に㈱JTB に入社。群馬県内の支店に配属され、法人営業や地域活性化に関する企画営業を担当。その後、本社およびグループ会社で事業開発・事業管理を経験。現在は都内IT企業に勤務。2020年より、地元・邑楽町からJリーグを目指すサッカークラブ「邑楽ユナイテッドFC」の運営をサポート。
クラウドファンディング企画やスポンサー営業等のビジネス面を中心に支援。クラブの目標は、2029 年までにJ リーグに加盟すること。
3 男児の父。

高橋 史好

2000年生まれ。高校在学中に単身でインドへ。16歳の時、インド人起業家との出会いがきっかけで起業を志す。在学中に「インドJKの日常」というテーマでTikTok の運用を開始。慶應大学に進学後、群馬県でトゥクトゥク( 東南アジアの三輪タクシー) の走行を目指し” TUKTUKing” プロジェクトを開始。桐生市で3台が導入され、2年以内に10台の走行を目指している。
2020年に開設したインド向けYouTubeチャンネルは2週間で収益化達成、現在登録者15 万人。2022年、同YouTube 事業を日本のスタートアップに売却。次の事業に向け準備中。

西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO

前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。

布川 大翔 県立太田高校2年生(当時)

宮下 誉生 県立太田高校2年生(当時)

石倉 希実 県立太田高校2年生(当時)

丸山 大輝 県立太田高校2年生(当時)

𠮷澤 慶彦 中央中等教育学校5年生(当時)

原 隆太 中央中等教育学校5年生(当時)