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【湯けむりアーカイブス】現代も人々の心を刺激しつづける、美しき伊勢崎銘仙の世界
シリーズ『湯けむりアーカイブス』では、群馬県内各地に根付く固有の文化や伝統、産業などを見つめ直し、地域の求心力であるその価値を丹念に紐解いて記録。未来へとつなげます。
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明治から昭和にかけて作られ、全盛期には日本の半数以上の女性が着ていたと言われる「銘仙」。伊勢崎市は全国屈指の銘仙産地で、昭和5年ごろには約10人に1人の女性が伊勢崎銘仙を羽織っていたとされています。戦後の洋服の台頭により産業は衰退し、現在はほとんどの製造元が廃業してしまっていますが、その美しさから多くの人々を魅了してきた銘仙をあらためて見直し、後世につなぐ動きも出てきています。
記事の最後には、取材を通して撮影したフォトコレクションをご覧いただけます。
1. 普段着、おしゃれ着として日本全国に普及した銘仙
上毛かるたで「銘仙織り出す伊勢崎市」の句で読まれる、伊勢崎銘仙。銘仙を使って仕立てた着物は色鮮やかで着心地が軽く、明治から昭和まで「女性の大衆着」として日本全国で広く着られていた。
「銘仙」は織物の作り方を指す名称で、伊勢崎だけでなく秩父、足利などの北関東の養蚕地域で多く生産されてきたが、戦後に洋装文化が広がったことにより産業は急激に縮小。製造元の会社、職人たち、そして道具屋なども含めたステークホルダーは続々と廃業しており、まさに存続の分水嶺に立つ文化であると言える。
かるたの功績で群馬県民にとっては言葉として馴染み深い銘仙だが、絹織物の中での地位は低く、あくまで普段着・日常のおしゃれ着だった。そのためか銘仙のテキスタイルの豊かさや、地域や職人によってさまざまな織り方が存在していること、その技術の高度さはあまり知られていない。
銘仙の最大の特徴は、生地を織るまえに糸を「狙った柄になるよう染色」してから織ることだ。これを「先染め」という。しかし、色鮮やかなうえ、計算し尽くされたような精密さのある銘仙の生地を見ていると、それはにわかには信じがたい。
2. 伊勢崎でしか作れなかった最高難易度の「併用絣(へいようがすり)」
また銘仙は、織る技術(色の染め方)によっていくつかの種類に分けられ、併用絣(へいようがすり)、緯総絣(よこそうがすり)、解し絣(ほぐしがすり)、括り絣(くくりがすり)などといった名前がついている。この中でも、「伊勢崎でしかできない」と言われていたのが「併用絣」だ。
織機に経糸(たていと)を据え、間を縫うように緯糸(よこいと)を通すことを繰り返して織り上げていくのだが、多くの銘仙が経糸か緯糸のどちらかを無地にして、もう一方を染色することで柄を出しているのに対し、「併用絣」では経糸と緯糸の両方を柄に合わせて染めて織る。これはとても複雑で難しい技術を要し、伊勢崎南部地域および本庄市の伊勢崎隣接地域の機屋さんでしか作ることができなかったそうだ。
3.ロンドンの博物館に永久保存された「21世紀銘仙」その険しい道のり
そんな伊勢崎独自の「併用絣」に魅せられ、銘仙文化を残そうと奮闘するプレイヤーたちの姿がある。そのキーパーソンが杉原さんと金井さんだ。ふたりは、「21世紀銘仙プロジェクト」として併用絣を復活させ、その銘仙はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に永久保存されている。
そもそものきっかけは、伊勢崎の観光物産協会で職員をしていた金井さんが、業務で銘仙に触れているうちに、その製法に興味を持ったことだった。
「すごく色鮮やかで、柄も豊富で。どうやって作ってるんだろうって思っていたんです。それで、併用絣最後の製造元『平達織物』の平田達男さんが新作を作る時に一度見せてもらいたいと思い、写真を撮らせてくださいとお願いしていたんですけど、実現する前に亡くなってしまって。奥様に聞いても、取引をしていた下職(工程ごとの職人)の方々についてあまり知らないとのことだったので、詳しい作り方はしばらく分かりませんでした」(金井さん)
明治から、「当たり前の仕事」として地域に根付いていた銘仙づくりにマニュアルはない。さらに、細かく分業化されていた併用絣の製造は大まかに分けても14もの工程に分かれており、それぞれに専門の職人がいる。全員に話を聞き、その仕事ぶりを見せてもらわないことには、「併用絣の作り方」を掴むことはできなかった。
しかしその後、2010年に発足した「いせさき銘仙の会」の杉原みち子さんと共に銘仙を継承する活動を地道に続ける中で、事態は動き出した。
「2013年に開催されたイベントで併用絣を展示したところ、当時の上毛新聞社社長だった渡辺幸男さんに『今、これを作ることはできないのか』と聞かれ、『職人さんは何人かいるので、できないことはない』と答えてしまったんです。今考えれば、ありえないことでした」(金井さん)
銘仙の中でも最も再現が難しいと言われる併用絣を、いま、新しく作る。それがどれだけ非現実的なことか、ふたりはプロジェクトが走り出してから初めて知ることになる。
その後は、なにもかもが難儀を極めた。経糸を作る「整経」、それがほどけてしまわないよう、まず粗めに織る「仮織り」、緯糸を染めるために板にまとめて巻く「緯糸巻き」、捺染加工した糸を蒸して余分な水分を取る「巻き取り」……。糸を反物の状態に織り込んでいく、という作業をするまでは果てしなく遠く、それぞれの職人を人づてに探す日々。やっと腕利きの職人に出会えても、ファーストコンタクトは、決まって「絶対に無理だから、協力できない」。高齢を理由に断られることも多かった。
それなら仕方ない、と他の職人・業者を探すも、今度は「大山さん(整経職人)の整経じゃなければ、捺染はやらない」といったような信頼関係によるハードルもあり、承諾してくれるまでに9ヶ月かかったことも。
それでも金井さん・杉原さんの2人が諦めずに復活プロジェクトを実現させた理由は、何より「銘仙が美しいから」だった。
「はじめて銘仙の羽織を見た時に、衝撃が走りました。こんなに美しいものが、伊勢崎で作られていたなんて。いつだって、本物は人の心を動かすんですよね」(杉原さん)
実に2年以上の時を重ねてお披露目された「現代に蘇った銘仙」は、国内外で大きく話題に。各国の古美術や工芸デザインのコレクションを保有するイギリス・ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の目に留まり、永久保存されるまでに至った。
「プロジェクトの実現に関わってくださったみなさんは、本当に欲がないんですよ。あの美しい併用絣の銘仙をもう一度作りたい、全員がその目的に向かっていました。それほど、銘仙に魅力があったということですよ。だって、綺麗なものは守りたいでしょ」(杉原さん)
銘仙を織りつづけた先人たちの遺志をも超え、人々を魅了しながら世界に羽ばたいていった伊勢崎の文化。そしてこの活動に宿った熱意は今、現代を生きる若者の心にも刺激を与えている。
3.現代に受け継がれる銘仙とスピリット
伊勢崎出身の村上采さんは、慶應義塾大学 総合政策学部に通いながら「株式会社Ay」を起業し、銘仙をアップサイクルしたアパレルブランド「Ay」を展開している。アップサイクルとはモノ自体の素材や特徴を活かしながら新たな価値を加える営みで、Ayでは反物の状態に戻した銘仙をオリジナルデザインの中に共生させている。
Ayは「文化を織りなおす」をコンセプトに、紡がれた文化をほぐし、向き合い、新しい価値を添えて発信するカルチャーブランド。伊勢崎銘仙を使った初のコレクションをキックオフするためのクラウドファンディングでは目標金額の2倍である200万円を超える支援を集めた。
Ayはもともと、アフリカ・コンゴの布生地を使ったアパレルブランドとしてスタートした。同大学の研究会が主宰するプロジェクトをきっかけにコンゴへ渡航した村上さんは、イベント的でなく、現地にもメリットを残せるような持続的なビジネスが必要であると考え起業。自らローカルマーケットで買い付けた布生地を、現地の作り手たちとともに商品化してきた。
しかし、2020年に世界を襲った新型コロナウイルスの流行により、「このまま事業が継続できるのか」という悩みが立ちはだかった。コンゴへの渡航も許されぬ中、村上さんは中学時代に受けた「ふるさと学習」──金井さんと杉原さんによる、伊勢崎銘仙の特別講義のことを思い出した。
「それまでは、伊勢崎にそのような文化があることを知らなくて。モダンでハイカラで、こんなにも魅力的な銘仙というものが地元にあったことに衝撃を受けました。そこから何度かお2人の活動に関わらせていただいて、純粋に銘仙を楽しんでいました」(村上さん)
地元の銘仙を使って、Ayの目指す社会の実現に近づけることができるのではないか。そう考えて2人のもとを尋ねると、すぐに「やってみたらいい」という言葉が返ってきたそうだ。実現不可能と言われていた併用絣を復活させた2人だからこその、真っ直ぐな反応。それに背中を押された村上さんは、銘仙をアップサイクルしたプロダクトの生産を決めた。
「まずは着物を仕入れて、デザイナーさんやパタンナーさんと共に服のデザインを考えていきました。そして伊勢崎市内の縫製工場のもとを直撃して、ビジョンを伝え、共感していただいて、一緒にお仕事をさせていただいています」(村上さん)
伊勢崎銘仙、併用絣は、金井さんと杉原さんの手により一度は復活したものの、材料・道具・職人などさまざまな課題がある中、現在はすでに作ることができなくなっている。だからこそ価値を新たに生まれ変わらせ、最後まで大切に使ってほしい。2人の熱意と村上さんの描く未来が共鳴し、それがさらなる熱を呼んでいるのだ。
美しいものは人々の心を動かし、自然とアクションが生まれる。その全盛期、たくさんの人々に生活の楽しさを提供してきた銘仙は、これからもその美しさで人々を魅了しつづけるだろう。
銘仙フォトコレクション
1.
金井さんが、この撮影のために仕入れてくださった一着。作られたのは昭和初期から中期とみられる。金井さんが「岡本太郎柄」と表現する特徴的なうずまき柄の併用絣で、これぞ伊勢崎、と言える出来栄え。
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2.
男性ものはシックな無地であることが多く、柄はない。青と黒のストールは、2009年のパリコレに登場したISSEY MIYAKEデザインの服に使われた木島織物の現代銘仙生地の色違い。巾着は経糸が黒一色の緯総絣となっている。
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3.
油絵を思わせる鮮烈なデザイン。織る前の糸の段階で染色しているとは思えない、技術の高さがうかがえる一着。
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4.
杉原さんが身につけているモノクロの格子柄は、織物組合が現代銘仙で作ったもの。糸を縛って染色する括り絣という作り方で、モダンなデザインに仕上がっている。一緒に写っているのは、杉原さんのお孫さん。菊などを描いた華やかな併用絣の銘仙着物で、お正月などに着られていたそう。
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5.
Ay collection vol.1
初のコレクションでは、銘仙の柄を全面に表現したベストワンピースやアートキャンバスを発表。
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6.
Ay collection vol.2
夏に向けたリゾートドレスやユニセックスシャツ、そしてステンドグラスのような柄が特徴のブラウス。銘仙が多様なシルエットに溶け込む。
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7.
Ay collection vol.3
最新のコレクションのコンセプトは、“HISTORICAL MODERNISM”。現代に生まれたサステナブル素材と組み合わせ、銘仙の技術と歴史にリスペクトを込めたアイテムを揃えた。
(ライター/カメラマン 合同会社ユザメ 市根井 直規)
登壇者
金井 珠代 「21世紀銘仙プロジェクト」発起人/銘仙プランナー
伊勢崎市観光物産協会で21年間勤務したのち、仕事で出会った伊勢崎銘仙に惹かれ、現在は銘仙研究家/プランナーに。2016年、伊勢崎独自の銘仙「併用絣」を復活させる「21世紀銘仙プロジェクト」の呼びかけ人を務めた。
杉原 みち子 「21世紀銘仙プロジェクト」発起人/「いせさき銘仙の会」代表世話人
1947年生まれ、埼玉県羽生市出身。実家である病院での勤務を経て、結婚をきっかけに伊勢崎市へ移住。1985年に「街づくり市民ゼミナール」をスタート、ボトムアップなまちづくり活動を行うほか、群馬県教育委員会の教育委員長を歴任。
村上 采 株式会社Ay 代表取締役社長
1998年生まれ、伊勢崎市出身。慶應義塾大学・総合政策学部在学中に、コンゴの布生地を使ったアパレルブランドとして株式会社Ayを起業。その後地元である伊勢崎の伝統工芸である銘仙に注目し、現在は銘仙をアップサイクルしたアイテムを展開。文化をほぐし、向き合い、新しい価値を添えて発信するカルチャーブランドとして多方面から支持を集めている。