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【開催レポート】東京から世界から、群馬県民の日に大集合。「全国群馬県人図鑑」初のミートアップイベント! 【前編】

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県外に住む県ゆかりのゲストを迎え、高校時代の思い出から群馬に対する熱い思いまで、幅広くインタビューしてきた全国群馬県人図鑑。先日10月28日、群馬県民の日にシリーズ初となるリアルイベント「全国群馬県人図鑑 meet up(ミートアップ)!」が開かれました。

過去にオンライン出演したゲストが都内や、遠くは米ニューヨークから県庁32階に大集結。クロストークの後は、ゲストがそれぞれ「グローバル」「スポーツ」「学生起業」の3つのテーマ別に班を編成し、県内現役高校生・大学生からご年配の方まで幅広い層の来場者と交流しながら、各自の現在地から未来に踏み出すための一歩を考えました。当日の模様を前編・後編のダイジェスト版でお届けします!

海の向こうニューヨークからも

過去にオンラインで全国群馬県人図鑑に出演したゲストたちが、リアルな場に集結。まずは改めて自己紹介から始まりました。

ゲスト1人目は、ニューヨークから一時帰国のタイミングでこの日のイベントに参加してくれた大澤直美さん。松井田出身で、高崎女子高校OGです。昨年第2回の全国群馬県人図鑑に出演されています。

大澤さんは高校時代のニューヨーク留学を機に、現在までアメリカ・ニューヨーク在住。国際的に活躍できる人材を育成する「NYキャリアアカデミー」を2016年に設立。日本の学生や学校の留学支援、教育コンサルティングが主な事業で、母校の県立高崎女子高校のグローバル研修も担当しています。

また、群馬応援団として社会活動も活発に行っていて、16年前に立ち上げた「ニューヨーク群馬県人会」の代表も務めています。3児の母でもある大澤さん。毎年夏は親子で群馬に滞在し、群馬の自然を満喫しているそう。

2人目のゲストは昨年第3回の全国群馬県人図鑑に出演された国井健輔さん。太田市出身で太田高校OBです。

高校時代は硬式野球部に所属。毎日が野球漬けだったと話す国井さんは大のスポーツ好き。今は都内の練馬区在住で、週末は息子さんが所属する「フラッグフットボール」チームのコーチを務めているそう。

もともとプロスポーツチームの経営にも興味があったと語る国井さんは、自ら志願して「邑楽ユナイテッドFC」という県社会人サッカーリーグ1部の新興サッカーチームの運営のお手伝いもしています。目標は10年以内のJリーグ進出とのこと。

3人目のゲストは同じく第3回に出演された髙橋史好(ふみこ)さん。高崎市出身で中央中等教育学校のOGです。

髙橋さんは慶應大学SFCに在学中の現役大学生で、高校時代にインドに1年留学したユニークな経歴の持ち主。ホームステイ先のインド人起業家に触発され、起業家を志すようになったそう。

高校在学中からインド向けのYouTubeチャンネルの運用を始め、登録者約16万人のメディアに成長させた後、売却。今はインドのガラスリングのブランド「TOKYO LOLLIPOP」をリリースし、新たな挑戦を始めています。県内でも桐生で東南アジアの三輪タクシー・トゥクトゥクを街中に走らせるプロジェクトを展開中。

また、他にスペシャルサポーターとして、9月に行われた第4回全国群馬県人図鑑に出演したゲスト、渡邉俊さんと髙橋美紀さんも会場に駆けつけてくれました!

伊勢崎女子高(現・伊勢崎清明高)OG、太田で一社「なでしこ未来塾」を運営する髙橋さん。現在は茨城県在住

高崎高校OB。大人たちの上毛かるた全国大会「King of JMK(上毛かるた)」を主宰する横浜市在住の渡邉さん

夢を叶えるきっかけと努力

続いて佐藤由美子アナウンサーの司会で、クロストークが始まりました。

司会・佐藤 3人ともに活動領域も多彩ですが、今日は特に「グローバル」「スポーツ」「学生起業」の3つのテーマに沿ってお一人ずつお話を聞いていきたいと思います。まずお一人目、大澤さんは海外で仕事をしたいと思ったきっかけは?

大澤 最初に海外とのつながりを意識し始めたのは小学校低学年の頃です。当時の先生が、その頃カンボジアで起きていたことを話してくれて、世界には恵まれない人たちがいることを知りました。それから、私の出身校の松井田小図書館には「心の準備ができていないと開いてはいけない」と先生に言われた本があったんです。それは広島・長崎に落ちた原爆の写真集でした。生々しい戦争の実態を目にして、私も日本の外に出て世界平和につながる活動をしたいと思ったことがきっかけです。

佐藤 実際に一歩を踏み出そうと思ったタイミングは?

大澤  もともと興味のあることはすぐやってみる方で、高校2年生の時には海外に行きたい気持ちが固まっていたのですが、面談で先生に話しても「やめておいた方が良い」みたいな感じでした。インターネットも普及していない頃ですから、図書館に行って本を読み漁ったり、新宿の留学エージェントに行って話を聞いたりして自力で情報収集しました。

佐藤  そこから一歩踏み出して海外に出たわけですけど、当時アメリカで感じたギャップはありましたか?

大澤  日本だとはっきり言わずにうまく伝えるのが美徳だったりしますけど、アメリカでは自分の意見をはっきり言うので、雰囲気を読んでほしいと思っても伝わらないと感じました。

佐藤  なるほど。将来海外で活躍したいと思っている学生さんは、今からどんなことを鍛えておくといいですか?

大澤  そうですね。自分が思っていることをどう相手にしっかり伝えるか、日本語であってもコミュニケーションのトレーニングを積んでおくといいと思います。思いを伝える時に真心を持つことも、グローバルな環境では大切なことだと思います。

佐藤  続いてお二人目、国井さんに伺います。もともとは野球をされていたそうですが、高校生の時は甲子園を目指す感じで、本格的にやっていたのですか?

国井 はい。硬式野球部に所属し、あわよくば甲子園にというか、ハードルは高かったですけど、がんばってやっていました。

佐藤  今は邑楽ユナイテッドFCの運営をやられていて、野球からサッカーに競技が変わっていますよね? どんなきっかけでサッカーチームの運営に携わることに?

国井  実はサッカーも大好きで、中学の部活は野球かサッカーか迷ったくらいでした。高校生の頃から将来はスポーツに関わる仕事がしたいと漠然と思っていて、大学生の時に2000年のシドニー五輪を見に行ったり、2002年のサッカーW杯ではボランティアで運営に関わったりしました。

その後、就職して初任地が前橋でしたが、ザスパクサツ群馬が当時J2に参入したタイミングで県内がものすごく盛り上がっていたんですね。サッカーの力ってすごいなと実感した経験もありました。邑楽ユナイテッドFCは、そのザスパに続く2番目のJリーグチームを群馬に作ろうというミッションがあります。ザスパのすばらしい立ち上がりを県内で見ていたこともあり、自分も地元のサッカーチームの発展に関われたらすごくいいなと思って、関わらせてもらっています。

佐藤  運営は、選手としてプレーするのとは全然違うのでしょうね。実際に関わってみて、どんなところが一番大変ですか?

国井  まだ知名度がなく、本気度をわかってもらうためにもパッションを伝えていくことは大事だと思います。

佐藤  創成期のファンをどう増やすかは、他の競技や仕事でも課題ですね。

国井  新しいチームや会社をスタートアップする時には特に創業者が一番大事ですので、今の代表者の魅力を伝えていきたいと思っています。自分も代表者のパッションにひかれて、運営に参加したところはあります。

佐藤  学生時代に本当に一生懸命スポーツをした子は、その後の進路選択に迷う場合が多いと思うんですよ。スポーツに関わる仕事でまず思い浮かぶのがプロスポーツ選手ですが、なかなかそこに到達するのは難しい。次の選択肢を探すのも難しいですよね。スポーツに関わる仕事につくために、学生時代にやっておいた方がいいことはありますか?

国井  スポーツに関わる仕事は限られていますが、チャンスは広げていけると思います。私も本業は全然違いますが、そのように副業やボランティアの範囲でサポートする方法もありますし、自分も大学生の頃にニッポン放送の「ショウアップナイター」というプロ野球中継番組のアルバイトに応募して、やってみたりもしました。きっかけは探せると思います。

佐藤  アンテナを高く張ることが大事ですね。

国井  自分が大学生だった頃はインターネットがそこまで普及していなかったので、アルバイト雑誌で探しました。今はネットにたくさん情報が出ていますし、探しやすくなっていると思います。

佐藤  ありがとうございます。最後に髙橋さんに伺います。髙橋さんは起業を意識されたのはいつですか?

髙橋 明確に起業したいと思ったのは16歳の時のインド留学がきっかけです。もともと家は両親共に教員で、漠然と両親のようなキャリアプランを描いていました。でも、インドで1年間ホームステイさせてもらったお宅が都市のデベロッパー系の経営者で、その時にミリオネアの生活に強烈な憧れを感じたんです。私も絶対にインドのパパと同じ道を歩きたいと思いました。

佐藤  社会人になってから起業する選択肢もあったと思いますが、どうして大学在学中に?

髙橋  理由は二つあります。一つはタイミングが良かった。私の代はコロナで高校の卒業式が縮小になり、大学の講義も全てオンラインで始まりました。自由に使えるモラトリアムな時間がたくさんプレゼントされたので、自分の好きなことに挑戦しようと割り切れたことがあります。

もう一つは、今は資本がなくてもSNSアカウントの開設でフォロワーという大きな影響力を得てビジネスに転換することができるんです。何も持っていない学生でも、自分の時間と努力を投下すれば、起業に挑戦できる時代だと感じていました。

佐藤  でも、ビジネスを“ゼロイチ”で立ち上げるのは大変ですよね? 

髙橋  そうですね。私はメディア事業で最初に資本を作って、ようやく本当にやりたかったガラスリングのブランドを始めることができました。でも、確かに大変なことはたくさんあります。例えば仕入れのためにインドのデリーから車で4時間くらいかかる田舎の工場へ行くのですが、その工場の担当者と共通言語がないんです。私は英語であちらはヒンディー語。

しかもインドは納期があってないようなものなので2、3カ月バッファ(余裕)を持ってスケジュールを組まないといけません。でも、日本の百貨店との交渉はタイトなので、自分ではコントロールできない要因でペンディングしてしまう交渉がたくさんあって、インドとビジネスする難しさも感じています。

佐藤  高校時代にこれをやっておいて良かったなと思うことは?

髙橋  中央中等には毎朝小テストがありました。地道に努力するとそれが点数になって返ってくる。このくらいやればこれくらいの点数がとれるという見積もりの精度が上がってきて、このルーティーンが今の仕事にも役立っていると感じています。

始める前はそのプロジェクトが大きく見えたり、勇気が出なかったりするんですけど、そんな時も大体このくらいの時間と人員を準備して、これくらいの納期でやればこのくらいの成果が出るだろう、みたいな見積もりを出せる力がついた。これは、高校時代のルーティーンのおかげだと思います。

群馬とつながり続ける理由

佐藤  本日のゲストは皆さん県外にお住まいですが、今でも群馬とのつながりを持っていることが共通しています。大澤さん、どうして今も群馬とのつながりを大切に?

大澤  アメリカの大学に留学した日本人留学生は、卒業すると8割方日本に帰ってきます。卒業時に日本に帰るか、アメリカに残るか選ぶのですが、私自身はもう少し挑戦したくて残りました。長年日本の外にいると、実は群馬ってすごくいいところだなって、その良さがもっともっとわかるようになります。それもあって社会人2年目でニューヨークにいながら群馬とのつながりを作りたくて、ニューヨーク群馬県人会というグループを立ち上げました。

佐藤  外から見て思う群馬の一番の魅力って何ですか?

大澤  一番は自然だと思いますね。山とか田んぼとかそういう何気ない風景がすごくすばらしいと思います。

佐藤  国井さんはどんな思いから群馬との関わりを大切にしていますか?

国井  自分が育ったまちに何かしら関わっていたい、貢献したい思いは常々持っています。高校時代の野球部の同期も20人くらいいますが、半分くらいは群馬で働いていますので、たまに集まるといろんな話を聞きますし、そこで自分も何かしら関わっていきたいという気持ちが高まっている気はしますね。

佐藤  高校生の頃からそんな思いを持っていましたか?

国井  正直なところ当時はそんなに思っていませんでした。東京の大学に進学して就職して、最初の配属先が前橋支店だったんですね。東京で働くものだとばかり思っていたので、地元に配属されて当時は若干がっかりしたことを覚えています。でも、結果的に今振り返るとその3年が群馬のことをよく知る機会になりましたし、今の自分の気持ちにもつながっていると思います。

佐藤  今になって再認識する群馬の魅力は?

国井  例えば学生の頃は、群馬の会社ってヤマダデンキさんくらいしか知らなかったのですが、今は県内を見てみるとJINSさんとかオープンハウスグループさんとか今では会社も大きくなったすばらしい起業家を出していますし、仕事で関わらせていただいた中小企業もすばらしい経営者の方が多かった。チャレンジ精神、起業家精神というか、そういう気質があると思っています。自分もそういうところに関わっていきたいし、県内の起業家の卵のような若い方も応援したいと思っています。

佐藤  今日はそんな思いを持って来場した若い方がいるかもしれませんので、ぜひアドバイスをいただきたいです。続いて、髙橋さんは群馬のどんなところに魅力を感じていますか?

髙橋  国井さんと同じく、挑戦する若者に温かい県だと感じています。私は桐生で東南アジアのローカルタクシー「トゥクトゥク」をたくさん走らせようというプロジェクトをやっていますが、そういう突飛なアイデアを出した時、桐生市の商工会の皆さんが「本当に面白い! すぐやろう! 今トゥクトゥク買ってくるよ!」、みたいなスピード感でした。桐生は商人のカルチャーがあって、皆さん挑戦者であると共に挑戦者に温かいまちで、利害関係を越えて心の底から面白いことをする人を応援してくれるような雰囲気があります。おかげですごく楽しく、幸せに、群馬で起業ライフを過ごせています。

もし群馬に残っていたら?

佐藤  ゲストの皆さんはそれぞれ一度群馬を飛び出す選択をされたわけですけど、今日来てくださった学生の方の中には県内に残って就職をしてキャリアを築こうか、はたまた県外に出てみようかと、悩んでいる方がいるかもしれません。なので、あえてこんな質問をしてみたいのですが、皆さんもし群馬に残っていたら、それぞれどんなキャリアを選択したでしょうか? まず大澤さんからお願いします。

大澤  そうですね。私は昔も今も、みんなで何かに取り組んだり、社会が良くなることに興味があるので、今日県庁でお話しさせていただいていますけど、県庁で働いていたかもしれません。

佐藤  国井さんはいかがでしょう?

国井  年齢を重ねて多少経験を積んでいくと、いろんな魅力的な仕事があるなと思います。例えば、高校時代の同期が高校野球の監督をやっていますが、それは自分もやってみたい仕事の一つですね。それから父親が教師をやっていたのですが、教職について地元の子どもたちを羽ばたかせていくみたいなことにも興味がありますし、大澤さんと同じく県庁のような自治体でこういう場を企画したり、人をつなげるのも面白そうですね。

佐藤  髙橋さんは?

髙橋  私は起業家にずっと憧れてきたので、やっていることは似ていますが、同年代の起業家で伊勢崎銘仙を現代風にアレンジしたブランドをやっている県内の友だちがいます。そういったとっても素敵な群馬のローカルな製品で、まだ世界に知られていないものを世界向けに発信するようなメディアやブランドを立ち上げることにはすごく興味があります。

佐藤  実現できそうな気がしますね! 最後に3人の今後の展望をお聞かせください。

大澤  群馬から外の世界を見て、世界の側で挑戦したいという思いを叶えるためにずっと生きてきましたが、40歳になり、不思議なもので今度は外から群馬を見て、群馬の中でもっと活動したい、群馬に家を持ってみたい、群馬で活動の機会をより増やしていきたいと思い始めています。

佐藤  わぁ、楽しみです。国井さんは?

国井  今自分が関わっている邑楽ユナイテッドFCが、群馬県社会人一部リーグで今シーズン3位でした。2位までに残ると関東リーグという次のステージになるので、再チャレンジしてもらって、10年以内にはJリーグ昇格を実現できるようにサポートしていきたいです。

佐藤  私たちも応援したいと思います! 髙橋さんは?

髙橋  私は始めたばかりのリングブランドを、日本のお土産といえば「TOKYO LOLLIPOP」というくらいのブランドに育てたいと思っているので、まずは世界に向けて認知を広めにいきたいと思っています。いずれは国内だけでなく、海外にも店舗を出していきたいです。

【会場からの質問】

Q 中学生と小学生の子どもがいる高崎市在住の母親です。髙橋さんがインドに留学した時の親御さんの反応はどうでしたか?

髙橋  私の家は両親共に教員ですごく堅い家庭で、両親は最後までずっと反対をしていました。私も反抗期で、1年休学してインドに飛び出してやる、みたいな感じでした。大学に入って、自分の仕事も少しずつ軌道に乗ってきてからは関係も良好になってきましたが、高校時代の親子のコミュケーションはほぼあってないようなものでした。

でも、インドに留学するための手続きやビザの発給は絶対16歳一人ではできないことですので、陰ではいろんな書類に判子を押してくれたり、インドに行くにはワクチンを24本打つ必要がありましたが、その費用を出してくれたのも両親なので、サポートはすごく受けたと今では本当に感謝しています。

Q 皆さんに質問したいです。仕事で壁にぶつかった時はどのように乗り越えましたか?

大澤  未だに壁にはぶち当たりまくりです(笑)。小さいものから大きなものまで。私の場合は人に話を聞いてもらうと、「もう難しい」「絶対無理!」と思っていたことが、「なんかできそう」「やれちゃうかな」と感じられることが結構あるので、人に話をして前に進もうとしますね。

国井  仕事でも趣味でも、新しいことをやろうとする時は心理的にもハードルを高く感じてしまうことはあると思うんですけど、振り返ってみるとそんなに大した壁ではなかったことも多いので、なるべく「壁を壁と思わない」ように心がけるのは一つの方法かもしれません。そんな時は、おそらく立ち止まってしまっている自分がいると思うので、まずは小さく一歩を踏み出してみることが大事だと思います。

髙橋  私はわりとしっかり落ち込むタイプです。そうすると、2カ月くらいで「落ち込み飽きる」時が来るんですよね。そうして振り返ってみると「あの経験があったから、強くなれた」「人として器が一回り大きくなった」とかポジティブにとらえられるようになります。

(後編は3人のゲストがそれぞれ「グローバル」「スポーツ」「学生起業の」の3つのグループを作ります。学生も大人も参加者全員が一緒になって、夢を引き寄せる一歩の踏み出し方の作戦を練ります!)

ライター・岩井光子 写真・大井拓哉

登壇者

大澤 直美 ニューヨーク群馬県人会主宰

1983 年生まれ。高崎女子高校卒。
高校卒業後渡米、NY で大学進学。米CCE認定グローバルキャリアカウンセラーとして2万人以上を支援。

(株) マイナビ米国法人代表をへて2016 年、国際人材育成の総合コンサルティング会社・NY キャリアアカデミーを設立、留学支援などを手がける。英語は独学、TOEIC990点満点。絵本やクールジャパン関連の翻訳も多数。「ニューヨーク群馬県人会(会員185 名:2022 年時点)」会長を務め、ふるさと群馬活性活動はライフワーク。

年間約2カ月を群馬で過ごし、県内の若者育成プロジェクトにも多数従事。2013-14 年、上毛新聞オピニオン委員。2018-19 年、「上毛かるた」英語版改定アドバイザーなど。3 児の母。

国井 健輔

1980 年生まれ。太田市出身。高校時代は野球部に所属。都内の大学卒業後に㈱JTB に入社。群馬県内の支店に配属され、法人営業や地域活性化に関する企画営業を担当。その後、本社およびグループ会社で事業開発・事業管理を経験。現在は都内IT企業に勤務。2020年より、地元・邑楽町からJリーグを目指すサッカークラブ「邑楽ユナイテッドFC」の運営をサポート。
クラウドファンディング企画やスポンサー営業等のビジネス面を中心に支援。クラブの目標は、2029 年までにJ リーグに加盟すること。
3 男児の父。

高橋 史好

2000年生まれ。高校在学中に単身でインドへ。16歳の時、インド人起業家との出会いがきっかけで起業を志す。在学中に「インドJKの日常」というテーマでTikTok の運用を開始。慶應大学に進学後、群馬県でトゥクトゥク( 東南アジアの三輪タクシー) の走行を目指し” TUKTUKing” プロジェクトを開始。桐生市で3台が導入され、2年以内に10台の走行を目指している。
2020年に開設したインド向けYouTubeチャンネルは2週間で収益化達成、現在登録者15 万人。2022年、同YouTube 事業を日本のスタートアップに売却。次の事業に向け準備中。

渡邉 俊 マーケティングリサーチコンサルティングLactivator 代表/(一社)KING OF JMK 代表理事/(財)碓氷峠交流記念財団元理事

1977 年生まれ、安中市出身。大手自動車メーカーでの15 年間のマーケティングリサーチ経験をもとに2016 年独立、日本全国の活性化に飛び回る日々。

故郷・群馬の地域振興にもそのスキルを活かし、2013年から上毛かるた全国大会「KING OF JMK ~おとな達の上毛かるた日本一決定戦~」を主宰。2017 年には、県の観光応援を目的としたスマホアプリ「札ッシュ!! 上毛かるたGO!」をプロデュース。

髙橋 美紀 (一社)なでしこ未来塾理事/ヨガ講師/茨城県よろず支援拠点コーディネーター ほか

1984年生まれ、伊勢崎市出身。(一社)なでしこ未来塾理事ほか、ヨガ講師や茨城県よろず支援拠点コーディネーターなど多彩な肩書きを持つ。在学中よりメディアの仕事をはじめ、TV や舞台・映画の振り付けや出演の他、演出助手・AD などコンテンツ制作の裏と表で活動。
2012 年に拠点を都内から群馬へ移し、多世代交流の場とよそ者視点を活かしヨガ講師として活動。「おおたなでしこ未来塾」一期生として卒塾後、2016 年茨城県へ移住しながら、2020年より(一社)なでしこ未来塾に参画。太田市とを行き来する生活を送る。