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全国群馬県人図鑑-グンマーズ-vol.5 濱暢宏さん×永島亜紀さん【前編】
全国群馬県人図鑑(-グンマーズ-)は、さまざまな分野で活躍する県外在住・県ゆかりの先輩方をゲストにお招きし、ゲストの出身高校の現役高校生も交えながら、学生時代の思い出や故郷への熱い思いを聞き出していくトークセッション。
第5回は、株式会社ワイヤレスゲートCEOの濱暢宏さん(渋川高校OB)と株式会社キャリアビリティCEOの永島亜紀さん(前橋女子高校OG)をお招きした、シリーズ初の経営者対談。チャット欄の視聴者との交流も盛り上がったトークのダイジェスト版を、前編・中編・後編に分けてお届けします。
※濱さんの肩書は収録時(2024年1月)現在。
電車通学がうらやましくて
MC西部沙緒里(以降、西部) 早いもので一昨年の群馬県民の日に始まりました本シリーズも第5回を迎えました。MCを務めます前橋出身、高崎在住の西部沙緒里です!
毎回県外在住の群馬ゆかりのセンパイを男女ペアでご紹介していますが、群馬でつながるソーシャルキャピタルを全国・世界に広げていきたい、そんな妄想から生まれた企画です。本日は初めての経営者対談で、お二人とも長年の友人ということもあり、私自身もとっても楽しみです。まずお一人目のゲスト、濱暢宏さんです。
濱暢宏(以降、濱) こんばんは。濱暢宏(はま・のぶひろ)と申します。冒頭から沙緒里ちゃんが群馬、群馬って言ってくれて僕も完全に頭も心も群馬になっています。
調べてみたらもう33年前のことですが、僕も渋川高校の1年生でした。今日は当時の僕と同学年の南雲さん(この後登場する渋高1年の南雲拓臣さん)と宮下さん(前女2年の宮下結衣さん)とご縁ができてうれしく思っています。皆さんよろしくお願いします!
西部 続いてお二人目のゲスト、永島亜紀さん、よろしくお願いします。
永島亜紀(以降、永島) はい。私は自然いっぱいの旧富士見村で生まれました。現在は東京都の文京区に住んでいます。中央区で起業しつつ、群馬とのダブル生活を視野に入れて住民票は群馬に置かせていただいている群馬県民です。私、前女大好きなので今日は宮下さんに来ていただいてとってもうれしいです。南雲さん、宮下さん、よろしくお願いします。
西部 学生のお二人からも一言ずついただけますか?
南雲拓臣さん(以降、南雲) 渋川高校1年の南雲拓臣です。今日は濱先輩の話を聞きたいです。よろしくお願いします。
宮下結衣さん(以降、宮下) 前橋女子高校生徒会副会長の宮下結衣です。今日は永島さんと濱さんのお話を聴きながら盛り上げ役を担えたら、と思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
西部 では、まず濱くんの方から簡単に自己紹介をお願いできますか?
濱 はい。まず僕と群馬との関係ですけれども、小学校5年の3学期に渋川市に引っ越して、高校卒業するまでの7年間。青春ど真ん中を渋川で過ごしました。高校時代は陸上部に所属していて、あと高校生クイズ(※)に出場したくてクイズ研究会にも入りました。
※日本高等学校クイズ選手権。1982年から日本テレビ主催で、同テレビ系列で放送されているクイズ大会。
西部 高校生クイズはどのくらいまで行きました?
濱 3問クリアすると次のステージに行けたと思うんだけど、1問しかできなかった記憶がある。でも、思い出としては熱いね。僕の家は渋高に近くて忘れ物をしても取りに帰れるとかそれはありがたかったんだけど、仲間は電車通学の人が多くて、電車通学がすごくかっこ良く見えたことをめちゃくちゃ懐かしく思い出します。南雲さん、何か部活入ってます?
南雲 入ってます。バドミントンです。
濱 バドミントンか。渋高って文武両道をすごく推奨していましたね。部活も勉強もがんばろうぜって集団出世的な雰囲気のいい学校だった。僕は高校2年の夏休みにもう志望校を決めていたんだけど、早めに決めたのが良かったと思う。ゴール地点が決まると走りやすかった。東北大学の工学部に進学して、大学時代は一人暮らしをしたので、家族のありがたみがわかったし、アルバイトをする大変さも知った。いろんな意味で成長できたかな。
経歴の話をすると、社長になるまでに4社経験しました。最初はシャープで携帯電話のソフトウェア開発、プログラマーをやっていました。大学の時に「携帯電話の電磁波が人にどういう影響を与えるか」を研究していたので、人に優しいものを作りたいという考えを理解してくれたシャープさんと縁があって15年くらいそこで働きました。シャープで仕事の基礎を身につけたことは今でもすごく役立っているなと思う。
35歳の頃、もう一度学びたいと思ってグロービス経営大学院というビジネススクールに入って、そこで社会人のMBA(経営学修士)取得を目指して勉強してる時、たまたまタクシー業界の人と出会って転職した。タクシー業界のアプリを作る仕事をして、それから経営の仕事にだんだん入っていった。その後、一度セブン&アイというセブンイレブンの会社を経て、今はワイヤレスゲートという会社にいます(※)。業績とか株価が下がっていて苦戦しているのを一生懸命立て直して、株価や業績を回復させる仕事を今やっている感じですね。
※収録時現在。
趣味は、結局僕は陸上がすごい好きで、高校生の当時は短距離だったけど、今は長距離マラソンをやっています。あとは読書、特に長編が好きですね。あとは美術館で絵を見るのも好きです。
西部 スライドがありますよ。
濱 あ、そうだった。左上が高校1年の時の記念写真。ちょうど今の南雲くんと同じ頃だよね。右側が陸上部の時の文化祭の写真。右下の場所は渋川女子高校。みんなでなぜかタバコLARKの仮装をして、渋川女子高校に行って「明日から文化祭始まります。みなさん来てくださいね!」って告知に行ったんだよね。楽しかったな。左下は最後のレースかな。もう走って、走って、走って。そんな高校時代でした。
西部 濱くん、ありがとう。続いて亜紀ちゃんお願いします。
自由の裏返しは自己責任
永島 はい。先ほどお伝えしたように旧富士見村、今の富士見町出身です。前橋女子高校に入学して、大学は埼玉県の獨協大学ドイツ語学科に在籍してました。特にドイツが好きなわけでもなく、当時前橋女子では勉強が底辺だったもので、その時は比較的倍率が低く受かりやすかったドイツ語学科をチョイスしてなんとか滑り込みました。実は西部沙緒里さんとは前橋女子の同級生です!
そんなご縁があって今回参加させていただいたんですが、社会人のスタートは株式会社NOVAでした。ウサギがCMやっている英会話スクールなんですけど、宮下さん知ってます?
宮下 聞いたことはあります。
永島 良かった〜。NOVAが日本で初めて講師を全員外国人にして、zoomみたいなシステムが全くない頃に“お茶の間留学”というサービスを作った会社です。その過渡期のNOVAに新卒入社して、その後退職して、激動のリーマンショックをリクルートで過ごしました。そこで人材の仕事に出会ったことをきっかけにエンワールド・ジャパンという人材紹介会社、皆さん知ってるかな? エン・ジャパングループの会社に入社しました。2022年に独立して今は小さな人材紹介会社を運営してます。
ところで前橋女子って今もそうかはわかりませんが、わりと自由な校風でしたよね? 先生にもほとんど何も言われないんですよ。
西部 今となれば、もっと言われておいた方が良かったんじゃないかという…(笑)。
永島 そうなんですよ。極端な話をすると、制服を着ていかなくても何も言われないくらい。それに加えて私の母親も子育て方針は“自立した女性”だったので、とにかく学校でも家庭でも何にも言われたことなく、自由に遊び呆けてたんです。でも、自由の裏返しは自分で責任取れよっていうことだと後で気づいて、社会人になってからは必死にがんばりました。
(ここで視聴者からチャット欄に書き込み)
—前女の校風、自由すぎて今はとても厳しくなってます(NMさん)。
※以降、チャット参加者のチャットネームと濱さんの当時の恩師の人名について、トークセッション時は主に実名にてやり取りしていましたが、本記事上ではプライバシー保護の観点から全てイニシャルに変換の上、再録しております。
永島 あ! 前女は「自由すぎて今、とても厳しくなっています」とコメントが来ているようです。すいません…。私のキャリアの中では2013年に人材紹介会社に入ってからが醍醐味だったなぁと思っています。女性活躍の時代の後押しもあってチームマネージャーをやらせていただき、最終的には部長職で40人の組織トップにもなりました。
その後はいつか自分の会社を立ち上げたい思いに駆られ、2022年にキャリアビリティを設立します。群馬はスバルさんとか比較的製造業が多いと思うんですけど、私はものづくりがすごく大好きで、このダイナミックなマーケットを未来につなぎたい思いで、難しいといわれている技術者の採用を主にお手伝いしています。
右側のスライドは2年前から始めた趣味の登山です。週末はほぼ登山してます。2年間で150の山を登頂してきました。一週間に多分1.5山くらい登ってるイメージです。座右の銘は「面白きことなき世を面白く住みなすものは心なりけり」。これは高杉晋作さんが詠んだものです。私はこの言葉が大好きで、自分の人生はどんな時も前向きに、たくましく生きる心を持ちたいと思っています。
最後に私の資質ですが、これは皆さん、まだ社会人でないとあまり馴染みがないかもしれないんですけど、“ストレングスファインダー”っていう自分が持っている強みや資質をはかる診断ツールがあります。例えば分析力だったり、コミュニケーション力だったり、34の資質があって、それを診断するテストのようなものがあるんですが、それによると私の資質は1位ポジティブ、2位アレンジ、3位最上志向。その通りポジティブな熱量で、物事をすぐ実行に移し、最高の結果を出すことに全力投球するという、23年間そのマインドで営業をやっております! この営業力で群馬に経済価値をお返ししたいと思ってますので、よろしくお願いいたします。
数学の恩師は今でも渋高に?
西部 すばらしいですね! 二人とも。では、ここからクロストークに入りたいと思います。今日は現役の高校生も参加してくださっているし、視聴者にも高校生がいると思うので良かったら渋高時代、前女時代で印象に残っている話があれば、それぞれ聞かせてください。
濱 僕は中学まではあまり勉強しなかったのに、高校になってすごく勉強に力入れたんだよね。ちょうど高校2年くらいの時から。とても印象に残っているのが数学のK先生。昼休みになると職員室に行って、休憩中のK先生にわからない問題を教えてもらっていたんだけど、本当にキレキレで快刀乱麻のように問題を解いてくれる。
数回だけ「ちょっと悪いけど持ち帰らせてくれ」って言われて、翌日ノートにバァッて書いた解答を見せてくれた、それを見てスッゲーな。K先生みたいになりたいと思ってさらにがんばれた。
渋高の先生って相談に行くと本当に真摯に相談に乗ってくれたんだよね。今回この話をもらってK先生にとてもお世話になったことをパッて思い出したので、会えたらうれしいなとも思うんだけど、それができない分、渋高の後輩のみなさんに恩送りができたらなぁと思っています。
西部 さすがに渋高にはもういらっしゃらないかな‥。
濱 いないかもしれないね。でも、どこかで会えたらうれしいな。
西部 今回のご縁でつながるかもしれないね! 続いて亜紀ちゃんお願いします。
永島 お話しした通り、前橋女子高校の自由な校風に加え、母の子育て方針が自立した女性になってほしいだったので、家庭でも学校でもほとんど何も言われたことなくて、本当に自由に遊び呆けてたんです。学内順位は常に300番台でした。
高校3年になって、ようやく受験勉強を始めて、でも数学もダメで、社会も追いつかない。英語と国語だけが得意だったのでその二科目で受験ができる獨協大学だけ受けた感じでした。その頃から、得意な事にフォーカスして得たい成果を得る術は本能的に身についてたのかな(笑)。
西部 まるで狩人のような、野生の嗅覚だね(笑)。
永島 そうなんですよ。その勘だけはあって…。それに県外で大学時代を過ごしたいという夢もあったので、最後はその執念でいい結果になったかなぁと思ってます。でもほめられた学生時代ではなかったです。はい。
濱 僕も思い出したけど、男子校で僕は家から学校まで徒歩3分だったから、出会いがなかった。
西部 3分ではね(笑)。
濱 どうすれば彼女ができるんだろうってみんなで真剣に部室で話し合ったりしてたね。
西部 いいですね〜(笑)。
濱 南雲さんとか宮下さんとか今の高校生は想像できないかもしれないけど、当時は彼女とか女子校の友だちに電話するには家の電話に連絡するしかなくて、大体夜8時過ぎくらいに電話するとお父様が出るんだよね。で、「いません」と言われる。いないはずはないんだけど(笑)。
西部 いるのにいないって言われてますよね。
濱 そう。こっちも家で電話できないから、10円玉握りしめて外の公衆電話からかけてるわけ。「じゃまた10分後に連絡します」って。すっごい寒かったな、群馬。でも10分後にかけて、お母さんに代わってもらったりして、そんな細い糸を手繰り寄せながらガールフレンドほしいなって思いながら生きていたという…。
(チャット欄へのコメント)
—めっちゃわかります。その数年後くらいにポケベルを持ち始めた同級生がいてうらやましかった思い出が(渋高OB・Iさん)。
濱 ああ、Iさんわかります。ポケベルが出てね、そうなんですよ。
(別の視聴者からコメント)
—K先生は数学の先生でしたか? 下のお名前はなんですか?(Yさん)
永島 濱さん、視聴者の方から「K先生の下のお名前は何ですか?」と来ています。
濱 えっと、何だったかな。わりとガタイのいい先生でね…。忘れちゃいました。
西部 K先生につながるといいですね。ご存知の方がいらっしゃるかも。
(再びコメント)
—KM先生です(Yさん)。
濱 あ、そうかもしれない! 言ってみるもんですね。
(再びコメント)
—今、数学の先生でK先生という60代の先生が渋高にいますよ(Yさん)。
西部 うそ!
濱 嘱託でやっているのかな。きっと教えることが大好きなんだろうね。いい情報をありがとうございました!
永島 すごい! 渋高盛り上がってますね。
西部 渋高ネットワークが33年のブランク埋めましたね。ありがとうございます、すごい。濱くん、ぜひ会いに行ってみて、何かの機会に。K先生、いらっしゃるかもしれない。
(視聴者がゲストと恩師をつなげてくれるというかつてない展開になった前編! 中編はお二人が経営者になるまでの紆余曲折を中心に。深い話に引き込まれます)
ライター・岩井光子
登壇者
濵暢宏 (株)ワイヤレスゲート代表取締役社長CEO
小中高を渋川市で過ごす。大学卒業後、シャープ(株)に入社。ソフトウェアエンジニアとしてキャリアをスタート後、複数の新規事業開発に従事。在職中に通ったグロービス経営大学院のご縁で2014年に日本交通(株)に転職後、無線センター長、子会社社長、JapanTaxi株式会社(現:GO株式会社)取締役COOとして「移動で人を幸せに」の実現に貢献。2019年にセブン&アイ・ホールディングス傘下のベンチャー企業に転じ、新たな都市型食品小売事業の立ち上げに携わる。2020年、(株)ワイヤレスゲートの執行役員新規事業本部長に。2021年には代表取締役社長CEO就任、同社の再生と変革に挑む。
永島亜紀 (株)キャリアビリティ 代表取締役社長
前橋市(旧富士見村)出身。新卒で(株)NOVAに入社。個人向け営業に従事し、入社3 年目でマネージャーへ昇格、複数拠点のリーダーを兼任。同社の倒産をきっかけに、営業力を磨くため(株)リクルートジョブズに入社。地場の経営者100人に会い、100通りの経営課題を聞いた経験から「企業は人である」との思いが強くなり、未経験で人材紹介業界へ。2013年エンワールド・ジャパン(株)にアシスタントから入社後、製造業のキャリア支援に強みを発揮しマネージャー・部門責任者を歴任。2022年、「日本のモノづくりを未来につなぐ」を掲げて製造業専門エージェントの(株)キャリアビリティを設立。
西部 沙緒里 株式会社ライフサカス CEO
前橋女子高、早稲田大学卒。博報堂を経て2016年創業。「働く人の健康と生きる力を応援する」をミッションに、働き盛りの人が抱える生きづらさ・働きづらさを社会全体で支える環境づくりを進める。研修・講演事業、コンサルティング・アドバイザリー事業、Webメディア・オンラインコミュニティ事業の3領域で、全国の企業・行政・学校などとさまざまな協業や伴走支援を行う。 NPO女性医療ネットワーク理事、(独)中小企業基盤整備機構・中小企業アドバイザー。2020年東京からUターンし、新たに(一社)かぞくのあしたを設立。高崎市在住。